たくさん食べたかったよね
(13)デビューの日まで 忘れられない味
デビューの日まで僕は毎日、歌や芝居、踊りのレッスンに明け暮れました。高校生だったのですが、レッスンが大変だったので途中から夜間部に入りました。いろいろな年代の人が学んでいて、刺激になりましたね。
このころは、とてもおなかがすいて困りました。居候なので、やっぱり遠慮をしていたんでしょう。電車に乗るところを歩いて交通費を節約し、ラーメン屋さんで腹いっぱい食べたこともあります。
夜中に食べたお茶漬けの味も、忘れられない思い出です。レッスンのことで怒られ「夕食抜き」になったときのこと。お世話になっていた上条さんの家に、部下の清水さんという人が同じように居候していて、皆が寝静まったころに台所に残っていたご飯を「食べろ」って出してくれた。涙が出たのを覚えています。
多くの人に良くしてもらいました。定食屋さんでおかずを一品増やしてもらったり、銭湯で「今日はいいから」と無料にしてくれたり。できるだけ家族で一緒に食べるといった食事へのこだわりは、こうした経験が根っこにあります。
もうすぐデビューというとき、上条さんは大手プロダクションを紹介してくれました。チーフプロデューサーの家に移ることになったのですが、そこでは八畳の部屋を与えてくれたんです。相変わらずの居候で、部屋には着替えと洗面道具しかありませんでしたが、三角部屋からの引っ越しは正直うれしかった。
一九七二年三月に「恋する季節」で歌手デビューしました。発売日に「西城秀樹さんの『恋する季節』をくださーい」と渋谷のレコード店に行き、何枚も買いました。ちゃんと売れているか気になって仕方がなかったからです。
一番食べ盛りの頃に食べられなかったのは、辛かったでしょうね。
よくぞがんばりました。。。
お金がない分、一生懸命考えて工夫したり節約したり、賢くなったにちがいない。
このあたりのエピソードは、「のどもと過ぎれば」にも出てきますので、おさらいしときましょ。
清水さんのお茶漬けのはなし。
前回の、お父さん上京のはなしも含む
デビューできて、成功したからこそ過去を振り返ることができるけれど、レッスンばかりで何となく先が見えない状況にいる真っただ中では、夢があるとはいえ、不安だったでしょうね。
めでたく、「恋する季節」でデビュー。
(これがすべてのスタートね)
(少し広いお部屋(イメージ))
今日も最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。