そして東京へ  

 


(11)父の猛反対 今はその親心が分かる


 僕は、地元広島のジャズ喫茶で歌ううちにスカウトされ、高校一年の夏休みに東京へ行きました。東京では、有名なプロダクションの人に紹介されて会い、近いうち本格的に上京しようと決心しました。ところが広島に戻って両親に切り出すと、猛反対に遭いました。


 音楽に理解があったはずの父が「趣味でやっている分には感性が育っていいが、食っていけると思っているのか!」と、手のひらを返して強硬な姿勢で反対しました。厳しいプロの世界で生活できるのは一握り。今から思えば、息子が挫折したり、暮らしに行き詰まったりするのを避けたい、という親心だったんでしょう。


 後に引かない性格の僕は叔父にお金を借り、手続きを進めてもらいました。黙って出て行こうと準備していると、それをお見通しの父は「二度と家から出さん!」と、僕の手足を縛り上げて押し入れに放り込んだんです。


 理不尽な仕打ちに押し入れで泣いていると、スッと戸が開き、母が「痛かったでしょう。お父さんには私からよく話すから。行き先の住所だけは教えてね」とひもをほどき、僕を出してくれました。そして、僕は一人、ジーパン姿で夜行列車に乗り、上京しました。


 きっと、僕の一度言ったら聞かない性格を知っていた父と母の、出来レースだったんだと思います。昔かたぎの父は「がんばれ」とは言わず、失敗しても広島に戻れるよう「最初から反対していたんだ」という形にしておきたかったのではないかと思います。その代わり、母は優しくしてくれたのでしょう。


 三人の子どもができた今、僕も同じ立場になったら…。迷うところです。やはり父と同じことを言うかもしれませんね。


以前は「大魔神」と呼ぶほど、秀樹さんにとっては怖~い存在だったお父さん。
家庭を持って初めて、子どもの将来を心配するお父さんの気持ちがわかるようになった秀樹さん。
長男の慎之介さんは同じ道で頑張っていく決意のようですが、秀樹さんがいたらやっぱりすぐには賛成しなかったのでしょうね。

先日、松田聖子さんのデビューに至るエピソードの記事を読みました。
聖子さんのお父さんは、大学に進学してほしかったようで、芸能界入りなんてありえない、大、大、大反対だったそう。
しかし、聖子さんの歌手になりたいという思いが強かったこと、聖子さんのデモテープの歌声を聴いて「絶対スターになる」と確信したソニーの担当者さんの強い思いもあって、ようやくお父さんも納得、歌手・松田聖子が誕生したのだそう。
誰もが簡単に成功する世界でないことは明らかですから、昭和の時代(今もそうだと思うけど)、どこの親御さんでも反応は同じだったのではないでしょうか。
忙しい中、中央大学法学部の通信課程を卒業された聖子さん、おめでとうございます。
4年で通信課程を終えるのは難しいらしく、ひとつの道を極めた人はやはりポテンシャルが違います。
学びに早い遅いはないということですね。

話は戻って慎之介さん、「Nスタ」に出演されたようですね。

 

 

どのような活動をしていくのかわからないけれど、自分をしっかり持って突き進んでいただければ。
きっとお父さんも見守ってくれていますよ。。。


今日も最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。