昭和の名ソングライターがまた
少し前になりますが、作詞家のなかにし礼さんが亡くなられました。
筒美京平さんの訃報もたいへん残念でしたし、さらに作曲家の中村泰士さんも旅立っていかれ、聞きなれた名曲を作られた方々がいなくなるのはさびしい限りです。
ニュースなどで代表曲としてあげられていた、
「心のこり」(細川たかしさん)
(わたし ばかよね~)
もう少しで「私バカよね」のタイトルになってしまうところだったというエピソードが。
つづいて「北酒場」
(きた~の~ さかばどおりには~)
2曲とも作曲は中村泰士さん、細川さんにとっては恩師を続けて亡くされて残念に思われているでしょうね。
私の心をとらえて離さない「石狩挽歌」(北原ミレイさん)
(あれからにしんは~ どこへいったやら~)
幼少期に暮らした小樽での経験がモチーフになっているのは有名なエピソード。
歌詞のインパクトが強烈すぎた「時には娼婦のように」(黒沢年男さん)
(ばかばかしい ひとときが~うれしい~)
実は作曲もなかにし礼さん。
あらためて調べてみると、この歌もそうだったのと驚く作品ばかり。
一部をピックアップするだけでも、、、
「愛のさざ波」(島倉千代子さん)
「人形の家」(弘田三枝子さん)
「手紙」(由紀さおりさん)
(なみだで つづりおえた おわかれ~の てがみ~)
「夜と朝のあいだに」(ピーターさん)
(おまえよ しずかに ねむれ~)
「恋の奴隷」(奥村チヨさん)
「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイスさん)
「雨がやんだら」(朝丘雪路さん)
「君は心の妻だから」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)
「まつり」(北島三郎さん)
「ホテル」(島津ゆたかさん)
(ごめんなさいね わたし みちゃったの)
「まわり道」(琴風豪規さん)
(ふたりの は~るに かんぱいを)
もともとはシャンソンの訳詞をされていたので、海外の曲の日本語詞も多く手がけられ、
「フィーリング」(ハイ・ファイ・セット)
(あなたと わたしが うつくしければ それでいい)
などなど、皆さんよくご存じなのではないでしょうか。
ポップスから演歌まで幅広く、そして歌詞のほとんどが頭に入っている曲が多いのも特長ですね。
上にあげた歌は、小さい頃に聴きなれたものも多く、子供には驚きのめっちゃ大人の世界の歌詞も中にはありました。
しかし、その言葉だけがどぎついわけではなく、全体を通したストーリーの流れがあって、自然と心に入ってきたような感覚がありました。
なので、するするっと覚えてしまうのでしょうね。
秀樹さんのシングルでは、
「サンタマリアの祈り」
(ぼくのいのちを ここにささげます)
生命を捧げても守りたい愛、究極の自己犠牲をテーマにした荘厳な歌詞でした。
当時は、内容が悲しすぎて、聴くのがつらいくらいだったのですが。。。
あらためて、正座して聴きたい一曲。
「Blue Sky」
(いもうとみたいに すなおに ついてくるかい~)
アサヒ・スーパードライのCMソング。
男のロマンあふれる、さわやかで明るい曲、はい、素直についていっちゃう~。
B面の「海辺の家」も同じくなかにし礼さんの作詞です。
「夏の誘惑」
(ゆうわくてきな なみのお~と もうなんにもいうなよ~~)
大胆になってしまう夏の恋、すべては夏のせいよね。
これがまたとってもドキドキする歌詞ですが、、、はい、仰せのとおりに。。。
「33才」(訳詞)
(いつのまにか ぼくも ことしさんじゅうさん)
秀樹さんがこの歳になったら歌いたいと思っていた、フリオ・イグレシアスのカバー。
33才で人生の半分、なんて、ちょっと早すぎないですか、、、
なかにし礼さん、その訳詞はないんじゃない?なんて思ってましたが、もともと原曲の歌詞にその内容があるようです。
あとの半分を一緒に生きてくれた家族がいたことも含めて、この歌詞をなぞるように駆け抜けた人生だったと思うと、泣けてきます。。。
先日、古賀政男音楽博物館を訪れたとき、大衆音楽の殿堂に、なかにし礼さんのレリーフが飾られていました。
何度かのガンも克服され、まだまだご健在でがんばっておられると思ったばかりでした。
あちらでは秀樹さんとお話されているかな。。。
どうか安らかに。
今日も最後まで長文におつきあいいただき、ありがとうございます。