たいへんごぶさたでございます
このところ、ブログにたどり着くまでに体力が尽きてしまう日々が続いており、えらく長いこと更新をおさぼりしていました。
久々のヒットスタジオで復帰します。
メドレーのトップは小柳ルミ子さん。
さすが、ルミルミはうまいのです~。
→ 水上スキーも得意な秀樹さん
→ ニキビも少なくなった高田みづえさん
→ 初登場の大塚博堂さん
(パワフルな歌声)
→ 空手とバレーボールで鍛えた振付、世良公則&ツイスト
→ 本名は「森田」、森昌子さん
→ 子守歌と歌作りに忙しい紙ふうせん
→ メドレートリは都はるみさん
なんと、はるみさんはちょっと前(2月3日)にグァム島でご結婚されたばかり。
(おめでとう!)
放送日は2月13日、そう、バレンタインデーの前日でした。
というわけで、それは大きなハート形のチョコレート(森永製菓謹製)。
男性歌手の皆さん各自にも女性からそれぞれプレゼント。
秀樹さんにはルミルミから。
(もらったよ~ん)
トップは高田みづえさん。
チョコレートをあげたい男性は?との問いに「5人くらいかな」。
「花しぐれ」(4曲目のシングル)
間奏では歌待ち席の皆さんにもカメラが(みんなノリノリ)。
次は、秀樹さん。
タヒチ・モーレア島から帰ってきたばかり。
現地ではなんと、お姉さま方がトップレスだったそうで。。。
翌日の14日は日比谷公会堂でバレンタインコンサートの予定。
「ブーツをぬいで朝食を」(23枚目のシングル)
この曲は大好きなのだよ~~ん。
「ブ」から始まる好きな3曲のうちの一曲。
ライターを使っているということは、まだ歌い始めのころかな。
リップスティックのような円筒形のライターだったのよね。
(ポケットにちゃんと収まっているのである)
(あ~とは~ ながれゆく~)
手をふりふりする振付が好きだったのよ。
後半は、びっしり並んだキャンドルのセンターで歌う秀樹さん。
(ブ~ツ~をぬ~いで しろいへや~へ~)
(あいやぁ、長い脚~~)
(きまった!)
ライティングが変わっても決まったままよ。
次は小柳ルミ子さん。
春を先取りして、ピンクの衣装です。
何を入れるんですか?と聞きたくなるほど、小さくてかわいいポシェット。
リボンがついたネックレスは、、、いらないような気もするけれど。。。
「ひとり歩き」(24枚目のシングル)
ちょっとした振付もあります。
(ちょっとそこまで でかけ~てきま~す)
ブーツもピンクですよ。
ちなみに、この曲の少し前、22枚目のシングルが「星の砂」です。
大塚博堂さん。
「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」が大ヒット、注目された博堂さん。
ステージ活動が中心で、哀愁を帯びた歌声に若い女性のファンも多いようなのですが、、、
テレビにあまり出ないのは、「世間さまに見せる顔じゃないから」って。
そんなことないよ~。
「哀しみ通せんぼ」(4枚目のシングル)
布施明さんの「めぐり逢い紡いで」は博堂さんの作曲なんですよ。
残念ながら、博堂さんは1981年に脳出血で亡くなられています。
まだ37歳の若さでしたから、訃報を聞いたときはたいそう驚いたものでした。
都はるみさん。
いきなり教会に行って挙式したというはるみさん、ドレスも教会の貸衣装だったそうです。
「のれん」(75枚目のシングル)
だんな様の朝月さんとは12年のお付き合いだったそうです。
ずっと結婚したかったけれど、仕事もあって周りからは反対されていたみたい。
ほんとは6月に結婚のはずだったのですが、たまたまお休みで訪れたグァムで、テンションがあがったはずみで挙式。。。
きっとそれほど待ち望んでいたんでしょうね。
(ご存じのとおり、残念ながら離婚してしまったようです)
CM明け、なぜか大笑いしている歌手の皆さん。
どうも秀樹さんがクシャミしてしまったみたい。
「風邪かしら~?」って真理さんも注意してます。
アップになった秀樹さん。。。
お顔隠しちゃった(ルミルミ笑いすぎ…)
さてさて、紙ふうせんのふたり。
ゲストは大村崑さん、謡子さん夫妻。
大阪に住んでいたころ、お向かいさんだったらしく、後藤さんが謡子さんにギターを教えていたそう。
謡子さんはシャンソンもうまいらしい。
さらに、大村家のオーディオは素晴らしいらしく、録音もさせてもらったことがあるとか。。。
さすが、オロナミンC。。。(意味不明)
そんな大村崑さん、突然「記念写真を撮ってほしい」と。
なんと、カメラご持参。
紙ふうせんと4人で、と思いきや、「みんなで」。
というわけで、出演者一同で「はい、チーズ」、順さんがシャッターを切りましたの。
カメラは当然、「ピッカリコニカ」?
(そういえば、順さんってカメラのCMしてましたね)
「冬が来る前に」
もともと「赤い鳥」というユニットで活動、「翼をください」や「竹田の子守歌」などがよく知られています。
解散後、紙ふうせんはフォーク系に、一方の3人は「ハイ・ファイ・セット」としてポップ系の活動へ分かれていきました。
その後も近畿地方を中心に活動していた紙ふうせん。
関西の人間にはおなじみ、「おはよう朝日です」の初代テーマ曲「朝の空」も歌っていました。
コープこうべがまだ灘神戸生協だったころのイメージソング「風のように」も、紙ふうせんの歌なのですよ(おそらくですが、今でも店内で流れていると思います)。
さて、後ろで座って見ている大村崑さんですが、、、
また撮ってるし。。。
森昌子さん。
オープニングとは衣装を変えて。
大人っぽく、きれいになったね、とほめられてます。
「春の岬」(24枚目のシングル)
前回の傑作選と同じ曲。
今度は、雑談せずにみんなちゃんと聞いてますよ~。
「ラッキー・テレフォン・プレゼント」
秀樹さんは下二けたを担当、「58,325円」でした。
トリは、世良公則&ツイスト。
「あんたのバラード」(メジャーデビュー曲)
この曲でポプコン、世界歌謡祭、ともにグランプリを獲得、当時は世良さんのワイルドなボーカルとアクションが話題になり、あっという間に大人気。
その後の活躍はご存じのとおり。
日本でもロックバンドが歌謡曲並みにヒットする、そういう流れをしっかり作り上げたグループといえます。
当時、ツイストと原田真二さん、Charさんの3組で「ロック御三家」と言われていたらしい(私はそんなに印象がないんですが)。
なんと、後ろには花魁が登場。
「さざなみ太夫」という、ほんとの花魁だそうですよ。
この放送のあった78年2月というと、「ザ・ベストテン」がすでに放送開始しています(78年1月からだったかな)。
ベストテンはけっこうセットが派手でしたから、今まではそれほど演出のなかったヒットスタジオも、この時ぐらいから演出を意識してきたように思います。
秀樹さんの「ブーツ」とツイストの「あんたのバラード」って同時期だったんですね、、、
やっぱり、私の記憶は、相変わらずいいかげんですなぁ。。。
今日も最後まで長文におつきあいいただき、ありがとうございます。