高いところは苦手なのに…  

 

 

70年代のなつかしいエピソード、今回は「新曲発表会」。。。

 

<サーカス坊や> ヒット街道、恐怖の出発点?

 

 

 デビュー時代の裏話をつづっているが、もうしばらく、一九七〇年代の泣き笑いのドラマにお付き合い願いたい。

 

 あこがれのデビューは果たしたものの、同期のライバルに後れをとったぼくだが、元気だけは人一倍だった。

 

 三曲目の「チャンスは一度」あたりから、少しヒットのきざしが見え始め、そして五曲目の「情熱の嵐」…。

 

 ”君が望むなら 命をあげてもいい”。レコード会社も、プロダクションも、目の色が変わってきた。

 

 新曲発表会を埼玉・西武園のユネスコ村で行うことになり、ぼくは感動で胸が震えた。しかし、当日に経験する恐怖と苦痛を知っていれば、あんなにハシャギはしなかったのに…。

 

 甘かった。

 

 新曲発表会はヘリコプターから”縄バシゴ”を伝い、ステージに飛び降りて歌うという企画だ。

 

 今ならさまざまな規制で許可は下りなかったと思う。

 

 一九七三年五月二十九日、ヘリはユネスコ村のステージの上空に達した。無数の手が打ち振られ、熱狂の嵐(あらし)がヘリの上のぼくにも伝わってきた。

 

 いよいよ縄バシゴをつかもうとして、下界を見下ろしたとたん、「派手にやろうよ!」と言った本番前の強気なハートは吹き飛んだ。

 

 怖い、怖い…。

 

 だれかから聞いたことだが、人間が一番恐怖を感じる高さはビルの六、七階くらいらしい。それ以上になると”あきらめの観念”が強くなり、恐怖は薄れるという。

 

 初歩の降下訓練などはあえてその高さに設定し、怖さに打ち勝つ心を育てるのだ。

 

 ぼくが経験した高さは、まさに恐怖の沸騰点…。ファンの皆さんの「ヒデキ!」と叫ぶ声も、震えるハートで聞いていた。

 

 命綱はあるが、とにかく怖い。歌手が何でこんなことをしなきゃいけないの?!

 

 当時のマネジャーをうらみながら、引き受けた自分をものろった。

 

 縄バシゴをつかむのは簡単そうに見えるが、思った以上に力がいる。それこそ腕がちぎれるほど握りしめたが、その痛みはキリキリと腕から胸に押し寄せてきた。

 

 命綱があるから手を離せばいいのだが、宙づりで降りる自分の姿を想像すると、みっともない。

 

 歯をくいしばりながらにこやかに、ステージに降り立った。すさまじい歓声は人気者への階段の第一歩だったかもしれない。

 

 だが、それが良かったのか?

 

 この時からぼくは「サーカス坊や」と呼ばれるようになった。

 

 

大ヒットが見えてきて、新曲発表会までできるようになった若きヒデキ。

高まる期待に「ハデにやろう!」と、ヘリコプターから登場する企画はいいけれど、これ、めっちゃこわいやつですやん。。。

高いところは、苦手なのに。。。

それでも、引き受けたかぎりは責任をもって、ファンのみんなの前にさっそうと登場しようと、こわくてもがんばったのね。

エンターテイメントの陰には、こんな自己犠牲が。。。

きっとカッコよかったんだろうなぁ、ファンのお姉さま方も盛り上がったんだろうなぁ。。。

 

もしかしたら、この発表会に参戦した方もいらっしゃるでしょうか。

私はこの頃は遠くに住んでいて、しかも小さかったので当然参加できず。。。

転勤で上京したときには、もうユネスコ村がなくなっていました。

 

ユネスコ村の跡地にはユリが植えられていて、年に一度、6~7月ごろにユリ園が開かれています。

4年ほど前に訪れたときの写真をのせておきます。

 

 

一面、さまざまな品種のユリの花がビッシリ咲いていて見ごたえがありました。

 

 

ここで、新曲発表会があったのね… ちょっと感慨にふけりながら。。。

 

 

そういえば、先日の「カンゲキ!オールリクエスト」でも「カサブランカ」がかかっていましたね。

秀樹さんのカバー曲、いいものがたくさんありますから、カバーのみのリクエストもできそうです。

 

久しぶりに今年は所沢ゆり園、行ってみようかな。

それまでに新型コロナウイルス、終息していますように。。。

 

 

今日も最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。

 

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