※たくさんメッセージを頂けたので、少し追記しました♪(追記部分は色を変えてます)
以前に自己紹介でも書きましたが、私の10代はほーんとに暗かったんです。
家から通える距離の高校と大学に通っていたけど、家庭内不和のために17歳から一人暮らししてて、
友達もうまく作れなかったし、高校までは彼氏もいないし、親は他の家族のことで精一杯で、孤独感が強かった。
大学生のころだと思うけど、夏にワンルームのマンションで、布団に寝っ転がって天井を見ながら、
「今ここで心臓発作とかで急に死んでも、1週間くらい気づいてもらえなさそー。。」って、
そんなことを考えてる21歳でした。暗いw
んで、そういう強い孤独感って、”孤独死”みたいな極端なことを考えてないときでも、ずっと私を包んでました。
その感覚が、帰省やお墓参りで、京都市内に行くたびに思い出すんですよね
京都特有の(?)ぎっちぎちに家が密集して建ってる住宅街でも、
修学旅行生がたくさんいるような繁華街でも、
共通して思い出される、10~20代のころの感覚。
言葉にするならそれは、
「どこにも入れない」
「どこにも迎え入れてもらえない」
「歩けども歩けども、どこにも私の”ホーム”が無い」
というものでした。
密集しあう住宅街や、繁華街には、家もお店もたーくさんあるんです。
家には誰かが住んでいて、お店だったらドアを開けて商売している。
だけど、薄いセロファンが1枚覆ってて、どこにも入れない感じなんです。
知らない誰かの住宅に、突然ピンポンを押して「すみません、ちょっと休憩していいですか」「話し相手になってもらえませんか」なんて言えるわけもないし。
いや、私も別にそれをやりたかったわけじゃないんだけど
じゃあ、どんな状態を叶えたかったのか。どんな状態ならツラくならなかったのか。と言われると、あの当時の私は答えられなかっただろうな、と思う。
どの家からも、どのお店からも、セロファン1枚で仕切られてて、どこにも馴染めないままに歩き続けることに、足と心が疲れています。としか、答えようがなかった。
そう。私は今でもそうだけど、休日は家にいるより、出かけたいタチです。お出かけ好き♪
でも、セロファンが貼られた街に出かけるってことは、結局ずーーーーっと歩き続けるだけのお出かけです。
どれだけ足が棒のようになってきても、ただ歩くだけ。
繁華街に行けば、ファッションビルも、コンビニも、カフェも本屋もあるけれど、
どの店も「お金が無い私には、関係ない場所だよね…」と思うと、セロファン1枚の間仕切りを感じました。
もちろん、肉体を動かそうと思えば、お店に入っていくことはできます。
でも、入ったからにはお金を払うことを求められてる気がして、
服屋さんは落ち着かない。(買うほどのお金を持ってないから)
コンビニでもそそくさと急いで買い物して出る。(はよ出ろ、と思われてそうで)
唯一、カフェと本屋さんは、少額でもゆっくり滞在するのが許されてる気がして、”セロファン”を感じにくい場所でした。
でも、カフェでも一人。本屋さんでも一人。
それでも、足を休められるだけマシ。
心の孤独感はそのままだけど、肉体の休息を得られるだけマシ。
でも、夕方になればカフェや本屋さんを出て、またセロファンに覆われた繁華街や住宅街を通って、家に帰らなきゃいけない。
カフェや本屋さんだって、しょせんは一時の休息所で、私の”ホーム”ではなかったんですよね。
でも一人の部屋に帰っても、何をするでもなく、喋り相手もいないし、自宅にも”ホーム”感がない。
どこにも、くっつけない。
どこにも、抱きとめてもらえない。
宿り木がなくて飛び続ける鳥が、そのまま過労で死んじゃいそうな感じ。
…とまあ、暗い過去の感覚を突然シェアしてしまってすんませんw
でも、あの”セロファン感”の謎が、やっと言葉になりました。
自分とくっつく前、私はずっと「誰かとくっつきたい。受け入れられたい」と思ってました。
近所に密集してる住宅の、どこか一軒だけでも「やっほー♪」と気兼ねなく立ち寄れる"ホーム"があったなら、どんなに幸せか。
繁華街のお店から「お金ない人は来なくていいよ!」オーラを感じずに「とりま見においでよ!楽しいよ!」と、貧乏人でもウェルカムしてもらえたなら、どんなに休日が楽しくなることか。
でも、透明のセロファンが、私をつるりと跳ね返してしまう。
寂しい。生きづらい。どこかに所属したい。ココロ休まる場所がほしい。
近所にいくらでも住民はいるのに、どの家にも受け入れてもらえないとか、
繫華街にいくらでもお店はあるのに、どの店にも受け入れてもらえないとか、
そうやって【他人】と【私】の間にセロファンがあるってずっと思ってたけど。
【私】と【私】の間に、セロファンがあったんです。
私が私の話を聞いてなかったし、
「私のきれいな所」だけを自分として認めて、「ださい所」は責め立てていたし、
他人の前でうまく振舞え、とプレッシャーを与え続けていたし、
さっさと出世してカッコいい人間になれ、と焦らせ続けていたし、
泣けるほどに、ひどい扱いをしてたんですよね。
心休まる場所を、自分の中に持ってなかった。
その【一人でいる時ですら、まったくリラックスできない私】が、
そのまま家の外に出るから【住宅街や繁華街でも、まったくリラックスできなかった】というだけの話でした。
家の外に出ると、セロファン1枚で誰からもつまはじきにされちゃってツラいなぁ。どうやったらこの“セロファン感“はなくなるんだろう。とずーっと悩んでいたけれど、
なんのこたぁない。
家の中で、自分の中で、セロファンを生成してたのは私でした。
そして、今みたいに「生きづらさは、自分の設定や思考が原因」みたいな概念を知らなかったから、
外をほっつき歩く時の寂しくて苦しい感覚が、まさか自分の心の在り方によって生まれ出ただなんて、思いもしない。
お金がないから苦しいんだ。友達がいないから寂しいんだ。生まれた家が平和じゃないから不幸なんだ。←このくらいの推理しかできなかった。
生きづらさの原因が【外側にある】と思って、「なかなか外側のスペックを変えるのは難しいなぁ…」と、悩み続ける日々はほんとに苦しかったよねってしみじみと思います。
外側のスペックって、別に全然アゲていけるんだけど、それには元気がいるんです。心身ともに。
エネルギーに満ちてなきゃムリだし、自分を受け入れてないと無理。
過去の私は、生きづらさを常に感じながら「生きづらさの克服法は知ってるんだけど体が動かない…」とHPゼロでのたうちまわってるひん死の女の子でした。
でも「生きづらさの克服法」が、【外側のスペック上げ】ではなく、【内側を整えること】でも可能なんだと知ったところから、私の人生は変わっていきました。
田舎に越したこと、結婚・出産したことなど、私を受け入れてくれる”ホーム感”を得た理由は他にもあるけれど、
やっぱり一番は【自分と自分の間のセロファン】が消えたことだと思う
私のブログは、そうやって”自分とくっついていく記録”でもあります♪
(本気で心の学びが染みると、この生きやすさは3~6か月で手に入ります。数十年悩んでたとしても!)
もらい過ぎたプチトマト…間違いなく食べ切れずに腐らせると思ったので↓
ホットプレートとその蓋に並べて、ドライトマトに!やばい量でしょw
似たような孤独感に悩んでる方はいるかもしれないなと思ったので、思い出話を書きました
そのつらさは、絶対に癒すことができます。
引っ越し・結婚・出産みたいな外側のアクションより、一番効くのは【自分との繋がり】を取り戻すことですよ♪
生きやすい人生は、間違いなく未来であなたを待ってるので、諦めずにいきましょう♪