「願い事を放ったり、願い事リストを書いた後には、いったん忘れて、日々を過ごしましょう♪」

 

 

 

「そしたらいつの間にか、叶ってるよ♪」

 

 

 

みたいなことって、チラホラ聞きますよね。

 

 

 

 

 

それについて、昨日も書いた「目標を掲げない」ことと絡めて書いていきます。

 

 

 

 

 

目標って、忘れるもんじゃないですよね。

 

 


常に頭に置いておくもの。

 

 

 

〇〇大学合格!とか、週5件の成約!とか、甲子園出場!とか。

 

 

 

 

 

で、このやり方で進める場合もあると思う。

 

 

 

高校球児は甲子園を夢見るからこそ、頑張れるんだと思うし。

 

 

 

 

 

甲子園を夢見ることと、まだ甲子園出場が決まってない今が、苦しくなく共存できているから。

 

 

 

 

 

 

 

でも、私の場合、目標とか、目標を落とし込んだ計画を思うと、

 

 

 

だんだん心がしぼんでいった。

 

 

 

 

 

ゴリゴリに「〇〇万円稼ぐ」みたいな数値目標ではなかったけど、

 

 

ふんわりと「稼ぎ続けたい。稼ぎ続けよう」みたいな感覚があった。

 

 

 

 

 

(↑言葉だけ見ると、なんの問題もない気がしますよね)

 

 

 

(その通りで、この「稼ぎ続けたい」という日本語にどんな想いを乗っけてるかによるんです)

 

 

 

 

 

私が乗っけた想いは「稼ぎ続けたい。稼ぎ続けたら、家にいながら経済的な自立が叶う」でした。

 

 

 

 

 

で、経済的な自立が叶うと、いろんな自由が叶うから、

 

 

 

自由を叶え続けるために、稼ぎ続ける必要がある、と思ってました。

 

 

 

 

 

↑一見なんの問題もないように見えるかもしれないけど、

 

 

 

「稼ぎ続ける必要がある」という言葉は、どしんと、重くのしかかるものでした。

 

 

 

 

 

 

高校球児にとっての「甲子園出場」とは、全く違うものでした。

 

 

 



英国村のお土産は、ジンジャーパウンドケーキと、アリスの紅茶飛び出すハート

生姜を甘く煮て刻んだものが入ってて、めちゃウマ♡

 

 

 

「自由」のためには、「稼ぎ続ける必要」がある。

 

 

「稼ぎ続けたら」、「自由」が得られる。

 

 



それって、逆に見ると今は「自由」がないってことなんですよね。

 

 

 

 

 

 

私にとって「目標」が合わなかったのは、そこ。

 

 


 

掲げると同時に、「今は叶ってない」という状況が無意識下に発生してしまうところです。

 

 

 

 

 

叶えたら、自由になれる。イコール、叶えるまでは、自由じゃない。

 

 

 

 

 

この感じに苦しくなってたんです。

 

 

 

 

 

じゃあ、どうやったら苦しくなくなるかというと、

 

 

 

 

「今、既に自由である」という感覚で生きること。

 

 

 

 

これは「自由」以外にも、いろんなものが当てはまります。

 

 

 

 

 

楽しい、幸せ、満たされてる…などなど。

 

 

 

 

「今、すでに〇〇だ」という感覚で生きよう、みたいな言葉もよく聞くし、

 

 

 

 

わりと長い間、「幸せに生きるために必要っぽいから、そういう風に思えるようにならなくちゃな。

 

 

 

 

藤本さきこさんもそう言ってるし。

 

 

 

 

ぶっちゃけ、心の底からは全然そう思えないけどな」くらいに受け止めてましたけど昇天

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の「目標を掲げるの、しんどい…」という気づきを得た時、

 

 

 

やっとこの「既に〇〇である」の状態で生きることの大切さがわかりました。

 

 

 

 

 

「大切」みたいなぬるい表現では足りないくらいです。

 

 

 

 

 

 

 

その感覚がないと、生きていけないのが本当だった。

 

 

 

 

 

 

今、自由で、幸せで、楽しくて、満たされてないと、心が生きていけない。

 

 

 

心が生きていけないと、身体の動きも止まる。

 

 

 

 

 

それが、チーム感受性の私でした。

 

 

 

 

 

 

 

で、目標を掲げると、対になって「今は叶ってない」という無意識が発生してしまう状態。

 

 

 

 

↑これを「願いごと」について「今は叶ってない」となるのを防止する策が、

 

 

 

「願った後は、忘れよう」だったんだな、と思いました。

 

 

 

 

 

「執着すると重たくなって叶わないから、執着しちゃいけないんだな」と理屈っぽく受け止めてたけど、

 

 

 

 

「まだ叶ってない」と思って苦しくなるタイプの人が、

 

 

 

 

苦しくならないための方法だったんです。

 

 

 

 

 

 

…というのが、現時点での私の気付きや考え方です。

 

 

 

 

 

 

自分が自由を得るために、と思うと、目標を掲げるのは苦しい。

 

 

 

 

だから目標を掲げるのは、今はいったんやめて「今の楽しさに集中する」ことにしました。

 

 

 

 

 

 

でも、今の私の「楽しさ」って、【講座に来てくれたお客さんと関わり、気づきや変化を生み出すこと】もあります。

 

 

 

 

 

一人の消費者として、映画やカフェを楽しむ楽しみもあるけど、

 

 

 

人と関わること、提供者であることも楽しい。

 

 

 

 

 

 

この楽しさを追いかけていくと、もしかしたらそのうち、

 

 

 

高校球児が甲子園出場の目標を掲げても消耗しないのと一緒で、

 

 

 

 

目標を掲げても、しんどくならない自分になっていくような気もしています。

 

 

 

 

 

今はまだ予感だし、言葉になってないんだけど、そんな予感ニコニコ

 

 

 

 

目標を掲げるのをやめる、が私の体感覚ビジネスのセカンドステージだとしたら、

 

 

 

目標を掲げても平気になる、がサードステージとしてあるかもしれません♪

 

 

 

 

ここについては、いつか言葉になったら書いていきます飛び出すハート