毎年6月が異常に忙しくなる理由について | 社長ブログ・・・意識を変えると景色が変わる

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皆様いかがお過ごしでしょうか?


いよいよ東京オリピック開幕7月23日
目前に迫ってきましたね
これから暑くなりそうです
体調管理には気を付けましょう~

さて

毎年6月、私は異常に忙しくなります

それは
スズキ機工の事業運営の生命線

 

 

経営計画書の作成と経営計画発表会の準備が

あるからです

 

そんな訳で今月は経営計画書と

経営計画発表会について
チョコっと書いてみます

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

今から24年前
父に請われ28才の時に
スズキ機工に入社しました

創業事業の18L缶業界が
バブル経済崩壊のあおりを受け
淘汰の時代に突入・・・

入社後すぐに1社また1社と
18L缶製造メーカーが
倒産・廃業してゆきました

中小の18L缶製造メーカーの
外部保全部門のような立ち位置の
当時のスズキ機工に未来はありませんでした

そして
社員8名で年商が1億に満たないころ
生き残るために18L缶業界以外の
業種として取引を開始した
自動車部品製造メーカーに
4400万円の売掛を踏み倒され

さらに担当していた設計と電気の
社員を引き抜かれてしまいました

その後
裁判になり完全勝訴したものの
その会社が倒産・・

スズキ機工は待ったなしの
厳しい状況に突入してゆきました

そんな状況下でも
前職の食品原料輸入販売の商社時代の
コネクションを活かし
食品機械の
設計・製作の取引を増やすことで
何とか首の皮一枚で
倒産・廃業の危機を乗り越えました

そして38才の時に
取引していた18L缶製造メーカーの
最後の一社が倒産し
創業事業の売り上げがゼロになりました

それと同時に
食品機械設計・製作メーカーに
事業転換を果たし
そのタイミングで社長に就任しました

その後、
誰にも負けないくらいのハードワークを
自分に課し
ひたすらガムシャラに仕事に向き合いました

それでも、ダメでした・・・
毎年、決算を迎えると
悲惨な結果で資金繰りに苦労する日々でした

迷走状態・・・
まさにそんな感じでした

ワラにもすがる思いで
市中にある経営指南本
読み漁るなか

今もお世話になっている
古田土会計の古田土先生が上梓された
ドロくさいけど必ず結果が出る
『経営計画書の作り方』に出会い
10年前に初めて経営計画書を作成しました

薄いペラペラの10ページほどの
リーフに理念・ビジョン・方針を
自分の言葉で書き込み
買ってきた手帳に綴じて
手作りで作成した経営計画書を
当時の社員全員に手渡しました

そこから
経営計画書に足りなかった
戦略・戦術を
毎年更新するスタイルで書き込んでゆき

人の移動を伴う装置事業は
お客様の業種・規模でなく
移動時間・距離を最優先にし
車で1時間以内の狭いエリアに
特化した地域戦略を明文化・徹底し
業績を立て直しました

その後、5年10年先を見据え
下請け体質の事業形態から
脱却を目指し

初めての自社開発装置
ハイブリッド式自動粉掛け装置HS-101


さらに
ベルハンマー
ベルシザー
パケットリール
などの自社ブランド製品を開発・販売に取り組みました

SNSを駆使した広告戦略なども
明文化し販路を開拓してゆきました

数多くの失敗も伴いながらも
その経験を経営計画書に落とし込み
更新してゆくことを継続してきました

そして毎年、7月の第一木曜日に
柏のクレストホテルに
社員全員と金融機関様・お取引様を
お招きして経営計画発表会を必ず開催してきました

このような歴史のもと
10年間かけて進化させてきた
経営計画書と経営計画発表会

 



今年はコロナのため
ご来賓の招待は行わず
十分なスペースを確保して
社員のみで開催しました

先行きの見えない状況がしばらく続きますが

経営計画書で

方向性を社員と共にすることで
前を向いて進んでゆけると

思っています

 

頑張りたいです・・・・

 

それでは

今月も頑張って行きましょう~オ~!!

!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!(長い)