私のブログには日々多くのメッセージが届きます。
いただいたメッセージは、全部読ませてもらっておりますが、読めない日もあります。
1週間くらい読めないことはよくありますし、
締め切り前や、取材旅行が重なっていると、1ヶ月くらい読めないこともあったりします。(そのあと何日もかけて、ちゃんとすべて読んでいます)
というわけで、質問がブログに、すぐに反映されないこともありますので、どうかご了承下さい。
質問の数が多くて、全部の質問にお答えするのは、どうしても無理 ということも、ご理解いただければと思います。
ブログの隅にちょっとだけ書くことに関しても、ひとりの方にしてしまうと、そこから先は、全員にしなくてはいけなくなります。
これもできないだろうと思うので、ご遠慮させてもらっています。
いただいた質問を無視している、メッセージを読んでいない、というわけではないので、そこは誤解のございませんよう、お願い申し上げます。
前置きが長くなってしまいました。
自己流供養のしまい方の続きです。
手書きをした紙を、数年前に捨ててしまった、という方は、その後の自分の体調や、家の状態を振り返って見てみます。
運気が急降下したとか、健康に問題が出ている、などの、「もしかしたら障りかも?」ということがなければ、問題ないです。
その紙に、幽霊は入っていなかった、ということです。
手書きの紙を、お寺の「お焚きあげ箱」に入れてしまった、
お寺の「古札納所」に入れてしまった、
という方は、してしまったことは仕方がないので、「仏様」に、謝りに行くといいです。
急いで行く必要はなく、行ける時でかまいません。
失礼になると知らなかった、と正直に言えば、許してもらえます。
「桜井識子がしまい方をすぐに書かなかったので、よくわからないまま、あわてて持って来てしまいました」というのが事実ですから、その事実を言えばいいです。
もしかしたら、ンモー! という眷属がいるかもしれませんが、素直に平謝りしているので、
「まぁまぁまぁ」と、仏様が、その眷属をなだめてくれます。
謝っているのに、「許さん!」という仏様はいないので、ご安心下さい。
手書きの紙を持ち出す時に、塩をかけてしまった場合、もしも幽霊が入っていたら、塩の効果でポロッと家の中で落ちている可能性があります。
この場合も、自分の体調や、家の様子を見ます。
「ヤバいな、いるかもしれない」と思ったら、幽霊を追い出す方法をしたほうがいいです。
この ↓ 記事から、4回連続で書いていますので、よかったら参考になさって下さい。
トイレの棚にお供え物をしている、という場合、
家のトイレには、通常の神様とは、少し違った存在形態の「神様」がいます。
ですので、幽霊はトイレに入れません。
心配いらないです。
おふだやお守りに、お茶やお菓子、果物をお供えしている、水とごはんはお供えしていない、という場合、
「この家はお供え物をするのだな。いつかごはんがお供えされるかもしれない」と、幽霊が、ごはんや水のお供えを待つ、居座る可能性があります。
おふだやお守りは、神様・仏様がそこに宿っているわけではなく、波動が入っているものです。
ですから、おふだもお守りも、お供え物を食べたり、飲んだりしません。
なので、お供え物はしないほうがいいですよ、というのが、私からのアドバイスです。
自分で彫った仏像をお持ちの方もおられました。
僧侶による開眼はしていないとのことで、そうなると、それは仏様ではなく、手作りの彫像です。
インテリアとして飾るのは問題ありませんが、お供え物をするのはNGです。
水やごはんをお供えしていたら、道がつながっていない彫像ですから、幽霊やよくないものが入り込む可能性があります。
「魂入れしていない神棚に、お供え物をするのは危険なのでしょうか」という質問もありました。
神棚は、仏像や位牌と違って、魂入れをする必要はありません。
仏像は開眼しなければ、そこから仏様が姿を現すことはないのですが、神様は仏様とは、「存在」が違います。
神様(その眷属)は、実際に、家に「来て」くれます。
そして、神棚のお社の中のおふだ・お鏡に宿ってくれるのです。
神様とは、そのような存在です。
来てもらえない場合でも、神棚のお社に祀ったおふだは、神社直通の窓口になります。
仏教である仏様とは存在が違うので、神棚に魂入れは必要ありません。
そして、神棚は聖域であるため、幽霊は絶対に入れませんから、お水やごはんをお供えしても大丈夫、というわけです。