比叡山延暦寺 無動寺明王堂 不動明王御開帳 | 行雲ふしぎ日記

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Not all those who wander are lost.

 

(※無動寺明王堂への参道途中の休憩所に貼られていた、タラコ唇のヤング最澄さん by おかざき真里。大阪の南堀江あたりに居そう)
 
(※比叡山延暦寺御由緒。観光バスは東塔にばかり乗りつけるが、三塔十六谷二別所と境内は広く散らばる)
 
(※比叡山延暦寺地図。延暦寺の敷地は京都府と滋賀県にまたがるが、大きな境内は殆どが滋賀県)
 
 
 
比叡山無動寺明王堂の御本尊(不動明王)御開帳へ行って来た(近畿三十六不動尊巡礼第26番)。御開帳を知ったのは、近畿三十六不動尊巡礼公式サイトの当該ページ。カレンダーに書き留めてそのままになっていた。近日になり情報を調べたが出てこない。Google mapが山中に指し示す点には比叡山ドライブウェイからは何ら細道すら繋がっておらず、法要の時間も分からず。…結局お寺に電話をして尋ねた。法要の開始は10寺半、駐車場からは徒歩30分ほどかかる、とのことだった。結局それだけを頼りに当日出掛けた。

 

高野山の赤不動御開帳では間際に行ってお堂に入り切れなかったので、早い目に着くつもりで8時前にに京都の自宅を出た。一旦滋賀県へ出て湖西道路の皇子山付近から西へ比叡山を登る。有料ドライブウェイの延暦寺東塔(とうどう)手前で「不動寺明王堂・弁天堂」と書かれた茶色い看板を見つけ、右脇道へ逸れて停めたことのない駐車場へ。日曜朝で道路が空いていたので9時前に着いたが、駐車場は8割方埋まっていた。歩行者に道を訊くと、ケーブル延暦寺駅の方向で合っていると言う。この先は歩道のみ。緩い坂道を下って駅へ向かう。駅前で突如眼下に開けた琵琶湖北側の絶景を眺めていたら、トイレはケーブル駅前で済ませておいた方が良い、本堂からはだいぶん下ったところにしかないから、と先ほどの人が教えくれた(案の定、同じ境内とはいえ本堂から凄まじく階段を降りたところにあるお堂の中だった)。

 

 

 

(※ケーブルカーの延暦寺驛。日本で一番長いケーブルカーだそう。乗ったことがあるが、行違いポイントが面白い)

 

(※駅の隣の無動寺参道入口)

 

(※下る参道。この辺から聖域のエネルギーを感じる。現場では分からなかったが、写真で見るとジリジリ強い)

 

(※頼むからそんなに下らないでもらえませんか?(涙目)、と思いながらどんどん下る)

 

 

 

ケーブル駅の南側には、無動寺参道の石碑と石鳥居。そこからどんどん下っていく。途中手水舎があったので手を洗っていると、居合わせた人が横の石造のバスタブのようなものに手を合わせていた。後で調べたら、千日回峰行の行者さんが堂入りのとき毎日夜更けに水を汲みに来る閼伽井だったらしい(そういえば、なんか前に動画で見た。本堂からは急勾配の山道を相当登ったところだ。死にかけの時にこんなキツい坂道を登るなんて!)。周囲の杉は御神木レベルの太さ。内宮の太杉のようにたくさんありすぎて珍しくもない。その後更に帰りが恐ろしくなるほどの急勾配をこれでもかと下って、ようやく弁天堂への参道との分かれ道に「明王講一日萬拝法要」の看板と受付テントを見つけた。

 

 

 

(※到着。下りっぷりが恐ろしい。帰りの山登りが怖すぎる)

 

 

 

聞けば、お供え物を持って来た人はこちらで預けるのだと言う。南山エリアは参拝料もないらしく、何だか後ろめたい感じで、別のテントで護摩木だけ納めて本堂に上がらせて頂いた(後で知ったが、お布施を熨斗袋か半紙に包んで渡すと良いらしい。相場はよく分からず)。堂内には9:10過ぎで10人強ほどの参拝客。正中は僧正様が通るためか空けてある。腰を下ろして待つことにした。正面、入の字に垂れた錦の幕間に、お不動様の金の剣と跏した右脚が覗く。内陣は暗く、像も黒いので細かい造作はよく見えない。修法壇は護摩壇ではなく大壇だった。程なくして多宝塔がお坊さんの手で持ち込まれる。てっきり護摩が焚かれるのかと思っていた。大壇左手前には一幅の曼荼羅が掛かっていた。金剛界曼荼羅の一部を切り取ったような、大円の中に小円が十字に並ぶ図柄だ。ギリギリまで仕度があるのか、内陣はお坊さんたちが行ったり来たり写真を撮ったりとせわしない。裏腹に、外陣ではお堂の板壁とも言える蔀戸(しとみど)が全て外へ向かって全開で掛けられ、五色幕越しに吹き込む風がのんびりとした空気を醸し出していた。…来るとだけ決めてさっぱり読んでいなかった「近畿三十六不動尊巡礼」ガイドブックの当該ページを広げてみたが、今ひとつ頭に入らない。相応和尚(そうおうかしょう)の開山の下りとご本尊の由緒葛川(かつらがわ)息障明王院へお参りした際に知った。回峰行の本拠地らしい。…御開帳日の堂内なのに何も感じないなあと思っていたら、そのうちに微かに眉間が疼いているのに気が付いた。見ると、外陣左手前、五瓶華(ごびょうげ)の赤華が載る錦を纏った円台の下に、丸まる白象(?)の香炉が隠れており、そこからいつの間にか薄っすらと薫香がくゆっていた。右手には数珠を手に経文を囁き続ける参拝客女性このどちらか、或いは両方のせい。そのうちに外陣は満杯になり、外周りの廊下まで人で埋め尽くされた。

 

 

 

(※無動寺明王堂 本堂)

 

 

 

10:30の定刻になり、お坊様方がお堂の後ろから列を成して入場して来られた。全員内陣の定位置に着かれたところで、外廊の方がなるべくお堂に入れるよう、堂内の方は前に詰めて下さい、と声が掛かった。自分も荷物を抱えて前に詰める。狭いもはや正座を崩せないこれはツライ。程なくして法要が始まった。ゆっくり穏やかに声明(しょうみょう)が流れる。完全椅子生活で硬くなった下半身がキツい。まったく正座がもたない。痛い。とても痛い。かと言って横坐りできるほどのスペースもない。仕方なく小さく斜めに三角座りをさせてもらった(それでも衰えた背筋で同じ姿勢で居続けるのが辛くて、始終モゾモゾしていた)。微かに疼いていた眉間はそのうち大きく広がり、頭頂の第7チャクラもズドンと棒を刺したように開くああ、とっても法要だなぁ、と思いながら、増大する場の仏様エネルギーをうっとりぼわわんと感じ続けた。今朝は目が覚めたのが5時半で、昨夜は3時間半しか寝ていない。眠い。そのうち三角座りをしたままうつらうつらし始めた。半覚醒状態で聞く声明は気持ちがいい。半覚醒状態でも眉間と頭頂は開いている意識が浮上してきて覚醒しても開いているとにかく開きっぱなしになっている身体は力を込めて縮こめているので、全身で気を感じる態勢にないのが残念だ。途中から最後の方、参拝客全員で慈救呪を何度も唱えたり、般若心経を唱えたりする場面があった。台蜜の慈救呪は、覚えている東蜜のと違ったが、前に書いた紙が貼ってあったので何とかなった(「センダ」と書いてあるのを「センダン」読んでいて、?、となった)。般若心経は参拝客全員が空で暗唱しているらしく(ひええ!)、独り慌てて手持ちの薄い経典を取り出し字面を追いながら一緒に唱えた

 

長い法要が終わると(1時間半~2時間弱?)、阿闍梨様がお加持をして下さいます、とアナウンスがあり、袈裟まで全身白装束のお坊さんが左脇から出て来られた両袖口に茄子紺の組紐が大きく波縫いのように付いている。1人だけ僧衣が違っていて、若いめだけれどなんだか偉いお坊さんぽい。お加持とは個人的に護摩を焚いてもらうものかと思っていたが、全員一度に手短かにしていただけるものらしい。というか、お加持って見たことない。お坊さん曰く、こうべを垂れ、手を胸の前で合わせて握り締め、お願い事を一心に心に唱えよ、握った拳は(参列者の間を順に回って)数珠で肩や頭を叩くまでほどいてはいけない、とのことだった。勝手が分からず、出だしでキョトンとしてしまったが、すぐにお加持が始まっていたらしく慌ててこうべを垂れた。前傾姿勢の正座がむちゃくちゃキツい。でもお加持なんてして頂けるのは生まれて初めてなので、一生懸命姿勢を保ってお願い事をする。…お願い事など突然言われようともひとつしかない。低級霊・未成仏霊・禍ツ神に憑かれませんように、神様・仏様・高次の皆様とだけ繋がれますように。途中で、低級霊・未成仏霊・禍ツ神は半径6m以内に入ってきませんように、我が身が光となりて弾きますように、というのが浮かんで、なんで半径6m?、と思いながらそれも祈った。

 

お加持の後は荷物を置いて、内陣を拝観させて頂いた。脇間左端でお坊さんに赤瓶華の水をピッと頭に掛けてもらい、左手に塗香を頂だく。水はその一滴で全身が清まるようにイメージせよとのことで、とりあえず最大限言われた通りにした(素人がイメージしてどれくらい機能するんだろうか?)。両側の壁には十二天のお軸がズラリと並ぶ。護法善神。人っぽいけれど膝下から爪先まで豹の足だったりして、みんなちょっと怖い。そしてこの下の眷属の方々は多分もっと怖い(ついでに言うと、怖い神様でも怖がってはいけない)。お軸はそんなに気配を感じなかったが、奥へ進むと何体ものお不動さまや菩薩さまがいらっしゃり、一体一体が濃いエネルギーをむんむん発していた。どこかのお寺が廃寺になるまでご本尊をされていた方々なのだろうか。これはきっと相当拝み込まれている。度々頭がボワーンといっぱいになって鼓膜が内から疼くので、暫し目をつぶって休憩し、気を収めながら、一尊ずつ拝ませて頂いた。前には必ずスイカなど丸い果物がお供えしてあった。そう言えば、大壇でも四辺の中央には丸いグレープフルーツが2つずつ置いてある。この丸いお供え物も、きっと何か具体的な意味と作用があるのだろう(…気になる)。大壇と須弥壇の間の狭い通路を通ってご本尊を拝観する肝心のエネルギーは、よく覚えていない(並んでいる小さい像も軒並強い)。急いで、今日は来させて頂いてありがとうございました、とだけ言ったように思う(そばへ来るのが不味い人間だったら全力で阻止されるだろうし)。ついでに近寄っても黒すぎてよく見えない。とりあえず半跏ではないことは分かった。赤不動もそうだったが、ホンモノは黒すぎの暗すぎで、ネット画像(あれば)の方が見やすいしかしポイントはそこではないのだおそばで直にホンモノのエネルギーに触れさせて頂けるところに有り難みがあるのだ(…と、よく覚えていないのに言ってみる)。

 

右側の空間にも数体お不動さまが居られて、順に拝んで反対側の端へ。内陣を出る前に簡素な白い僧衣(袖口に紐飾りなし)の若い背の高いお坊さんが散華を下さったなんで白装束なんですか、と聞いたら百日行の最中だと言う。道理で、畳の上を歩く素足が黒ずんだ傷痕だらけだった訳だ。わらじ一つで野山を駆け歩くから。聞かれたお坊さんは嬉しそうにさらに黒ずんだ足裏を見せてくれた。ハハハ、マゾっぽくて楽しそう。そうやって無茶苦茶キツい中を強くなっていくんだろう。大変なんだろうなあ。頑張って下さいね、と言ってお堂を後にした。

 

 

 

(※頂いた散華の裏表)

 

(※本堂を出た正面の景色。山の急斜面に小振りの堂宇が建ち並ぶ。遠く湖南には近江大橋の手前に大津プリンスホテルが細く建つ)

 

 

 

法要後のお坊さんの話では、午後1時半から更に護摩堂で護摩供があり、それまでにお昼ごはんの振舞いを頂けるのだと言う。周りにレストランなどないためのお計らいなのだろう。急激な石段を降りて、護摩堂の前を過ぎ、更に下ると「お食事所」と書かれた立て看のあるお堂に着いた。中へ入ると、入口で山菜の炊き込みご飯とお茶パックが渡され、着席してからお麩とわかめのお吸物が運ばれてきた。周りの女性客が、毎年ここのお昼ごはんは美味しいのよ、と口々に言っていたが、実際とても美味しかった。なんというか、それだけを食べてもちょうど加減の味なのだ。そして少し塩辛い目のお吸物と一緒に頂いても美味しい。ただ寝不足と疲れでお腹が空いていなかったのと、追加で護摩木を書いていて時間がなかったのとで、1/3だけ食べてお吸物を飲み干し、護摩堂へ向かった。

 

 

 

(※お食事を頂いていると、奥で、ワンッ!、と犬の鳴く声がした。トイレは非常に綺麗だが、和式と男性用の男女共用。普段は女性の居ない世界なのかも)

 

(※頂いたお昼ごはん。炊き立てのホカホカ。ありがとうございます)

 

 

 

古い護摩堂には礼堂がないらしく、手前に剥き出しの白木とプラ板で簡易工事をしたような簡単な畳敷の部屋が付け足してあった。中は既に結構な人で埋まっていたが、午前の法要よりは少ない。1時半の定刻になると、今度は先ほどの紐付き白装束(浄衣と言うそうだ)のお坊さんが颯爽とやってきて、護摩壇の前へくるりと乗り込みながら、ほぼ同時に大声で何かを唱え出した。急に始まるんだな、と思ったら、堂内に、わっとエネルギーが充満する…何これ早い! 強い! お護摩ってこうだっけ。いやじきにムンムンに強くなるけど、こんな急激な起ち上がり方だったっけ。ここまで急じゃないよね? 何これ? …独りで内心ぶつぶつ驚きながら、礼堂にまで広がるエネルギーを感じ続ける。礼堂は明らかに屋外に後付けしたものだ。護摩堂の扉は開け放ってあるが、開けておけばエネルギーが届くというわけではない。赤不動御開帳のときは、開け放たれた堂扉の外にエネルギーは感じなかった。これは後付けの礼堂にも届くように、何かしてあるのかもしれない。ここでも全員で慈救呪と般若心経を唱えた。そして最後にまたお加持をして下さった。同じ姿勢で一心にお願い事を心で唱える。2回目ではもう、低級霊・未成仏霊・禍ツ神に憑かれませんように、しかお願いしなかった(一番大事)。阿闍梨様はお加持が終わると再び颯爽と素速く出ていかれた。法話はないらしい。法話の代わりに、お加持。通り一遍の耳タコの話を聞くくらいなら、問答無用でお加持を受けられる方がずっと有り難い。

 

その後御朱印を頂き、近くの弁天堂へ寄ってから(これも更に別の谷へ下りて登ってくる)、元来た山道を登りに登って駐車場へ向かった。2回の長い法要の随喜で頭の中はぐわんぐわん、硬い身体でもたれも出来ず、ずっと床に座って背筋が悲鳴を上げれば、今度は急勾配の続く登山である。聞けばこの南山は比叡山を上から半分ほど降りたところに位置するとか。そりゃ無茶苦茶しんどいはずである。一息にはとても登れず、何度も太腿が限界を迎える中、休憩を繰り返して時間を掛けて駐車場まで辿り着いた。汗だく。時計は3:40になっていた。その後横川(よかわ)へ車を飛ばし、仰木(おおぎ)へ通り抜けて家路に着いた。

 

夜はガチガチの全身筋肉痛になっていた。流石に不味いと思い、エプソムソルトとヒマラヤ岩塩の風呂に浸かり、持ち腐れていたストレッチポールとヨガマットを出してきて全身ほぐし、立禅で少し気を巡らせてから寝た。2時間眠り、1時間起きて、その後飲まず食わずトイレにも起きずで12時間ストレートで眠った。前々日はまた耳元で男の笑い声がして叩き起こされたりしていたが(皆さん旧盆新盆に向けて毎年6月半ばからアップを始める傾向が)、お加持と仏様エネルギーが効いたのか霊は一切出なかった

 

そういう訳で、無茶苦茶しんどくて、エネルギーもすごくて、これまでの巡礼生活の中で一番印象に残るお参りとなったのだった。あんんんんんなに山を下って登るなんて! 徒歩としか聞いてないし!(行くけど!) ダラダラ山登り40分の施福寺より、階段808段の長命寺より、青岸渡寺へ向かうガタガタの熊野古道大門坂2時間より、どれよりもしんどい。自信をもってしんどい興味本位の観光で行く法要ではない。法要3時間プラス比叡山半分分の登山だから!

 

とりあえずいつか再び行くときのための自分宛のメモとして、

 

  1. せめて床に横坐りし続けられる程度に、股関節・尻周りのストレッチをして十分下半身をほぐしておけ! 椅子生活ではとんでもなく身体が硬くなっているぞ!
  2. 背もたれ休憩なしで床座り2時間+1時間できる背筋を鍛えておけ!
  3. 前の晩はしっかり寝ておけ! (3時間半など言語道断) 法要で寝るな!
  4. 帰りの激坂登山では大腿筋と大臀筋を破壊するからそのつもりでいろ!
  5. 長時間の法要とお護摩と内陣拝観の仏様エネルギーで頭がボワンボワンになって後でガンガンに疲れるぞ! 復活に15時間の睡眠を要するぞ!

   ✳︎ そろそろ般若心経を覚えろ

 

ということを言い残したい。同時に己の駄目すぎる肉体をまざまざと認識する機会となった。…回峰行をする人たちってとんでもない。あんな距離、1日分の歩行距離・高低差からしたら、ほんのお遣い程度の距離でしかない訳だから(しかも回峰行中は、高低差850m・走行距離30kmの山の上り下りから帰ってきて、更に掃除・洗濯・炊事・お勤め等、普通にノルマがあるらしいし)。次に訪れるときはもう少しマシな自分になっていたい。…あるいはもしかして、身体を鍛えたらお化けが出なくなったりしないだろうか?(…うーん)

 

ところでお加持をしてくださった白装束のお坊さんはどういう人だったのだろうか、と起きてから調べたら、千日回峰行を満行された釜堀浩元という北嶺大行満大阿闍梨様だったらしい。ひええ、何か特殊な行の最中の人なのかなと思ったら千日回峰行を達成している人じゃないか! あんな所に居るの?! ついでに大行満大阿闍梨は「不動明王の化身」「生き仏」と称され、仏として拝まれる存在でもあるらしい。それで、お堂に入って来るとき、みんな平身低頭で頭を下げていたのか。そんなスゴイ人に、生まれて初めてのお加持をしてもらっていたとは(勝手が分からなくて、ボサっとしてしまった…)(しかも正座も限界だった…)。千日回峰行を満行した人というのは、その後もあのお寺でお不動様に仕えるのだそうだ(輪番というのがそれ)。回峰行の動画で夜のあの本堂は見たことがあると思うが、その後どこでどうされているとかまでは考えたことがなかった。きっと隔離された内陣の仏様たちと同じく、一般人の邪気を受けない生活をどこかでされているのだろう、くらいに思っていた。

 

釜堀大阿闍梨に関する比叡山延暦寺の公式動画を見つけた。30分ほどあるが、ぜひ見ていって欲しい。

 

 

いのり  比叡山延暦寺

(※大行満大阿闍梨に一般参拝客がして頂いたお加持も、この土足参内の玉体加持と同じような様相だった)

(※そう言えば、十二年籠山行の侍真さんも実はお見かけしたことがある。土砂降りの雨の日に〜雨の日に行ったら山の上は土砂降りだっただけなのだが〜作務衣で浄土院の軒先に立っておられた。こちらに気がつくと、すぅーっと裏手へ消えていかれた)





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