年刊ではなく月刊です。一応
久しぶりの投稿になります。月刊「祭御宅」ではなく、年刊「祭御宅」状態となっております。どこぞの首相みたいに経歴詐称状態になっていること、お詫び申し上げます。久しぶりの投稿のお題は、三木市大宮八幡宮明石町屋台を愛する愉快な仲間たち、大宮八幡宮の祭を愛する楽しい仲間たち、祭を愛する仲間たちにおすすめの江戸観光スポットを紹介します。
おすすめの場所はずばり深川区の富岡八幡宮
管理人がおすすめする江戸観光スポットは、深川区の富岡八幡宮。その理由を、境内やその周辺を紹介しつつ書いていきます。
ワッショイの神輿

2025.08.13 富岡八幡宮の鳥居
おとずれたのは、昨年の8月13日で、祭がちかづいている日だったようです。境内では、和太鼓やバンドの演奏など奉納芸が行われていました。舞台の右側に「深川八幡宮」とあるように、富岡八幡宮は、別名「深川八幡宮」とも呼ばれます。
現在の東京の祭は、神輿がたくさんでる祭となっていますが、神社の神さんの御霊をいただく神輿は、境内に保管されています。毎年でるわけではないのですが、写真の神輿は4tあるそうです。江戸時代は、多数の神輿ではなく山車の出る祭だったようです。

2025.08.13 富岡八幡宮の巨大神輿
町中には、神輿の設置場所がつくられていました。深川の神輿をかつぐ時の掛け声は「ワッショイ」です。深川などで使われていた掛け声が、メディアなどを通して神輿などを担ぐ時の掛け声として一般化して現在に至ると考えられます。「オミコッサンジョイ、チョーサンジョイ」や、「おみこっさんどい、おっさんなんどい」の掛け声とは程遠い掛け声ですね。
2025.08.13富岡八幡宮の神輿の設置場所。
相撲と富岡八幡宮そして、横綱
ジェミニAI先生によると、深川区の富岡八幡宮は江戸時代の勧進相撲が幕府公認で行われた「江戸勧進相撲発祥の地」だそうです。勧進はお寺(神社)の建物改修、新築などの資金集めの意味で、いわゆる興行相撲がこの地で始まったと伝わっているようです。よって、大関の力士碑や横綱力士碑が今も残っています。

2025.08.13 富岡八幡宮境内の横綱力士碑
ところで、横綱碑の歴代横綱を見てください。初代の名前は、「明石志賀之助」。最近実在した人物だということがわかってきたそうな。とにもかくにも、「明石」の名前を冠した初代横綱が祭られているのが、富岡八幡ということになります。

2025.08.13 横綱力士碑の歴代横綱
すぐそばの成田山東京別院不動堂
すぐそばには、交通安全の祈祷などで知られる成田山の別院があります。そこに祭られるのは、不動明王。神仏習合の時代はここも深川八幡と一体だったものと思われます。

2025.08.13 成田山深川別院不動堂
現在、不動堂では五色の幟を模したものに願い事を書いておおさめすることができます。その幟に書かれている文字を見ると「南無大日大聖不動明王」とあります。不動明王は大日如来の化身とされていることから、この大日と書かれていると思われます。
さて、三木の明石町屋台奉舁五カ町にも大日如来堂を擁する大日町があります。ここからも、明石町の香りがしてきます。

2025.08.13 成田山深川別院不動堂の願い事を書く幟を模したもの
富岡八幡宮の別名は深川八幡、そして、〇〇八幡
2025.08.13 富岡八幡前の寺院その名前は⁉
富岡八幡宮には、上の不動堂の他にも寺院が隣接しています。その門前にあるのが、下のお寺です。そのお寺の名前はなんと「永代寺」! 大宮八幡宮の神宮寺であった月輪寺と同じく高野山真言宗の寺院です。
そして、この富岡八幡宮のもう一つの別名が、「永代八幡」です。永代といえば、明石町五か町の子ども達の遊び場となっている永代池公園と同じ名前となります。某祭ブログのボンクラ管理人が、野〇ソをしてアイスクリームの袋で尻をふいたと伝わる伝説の公園です。
永代池公園は、その名が示す通り、もとは永代池という池でした。しかし、天保十三年(1843)の地図では、この永代池に当たると思われる池に描かれているのは、「宝来池」で永代池ではありませんでした。いつの間にか永代池とよばれるようになったのは、とある出来事を境目になったものと思われます。

2025.08.13 永代寺
杣八幡宮と「永代」
三木の永代池のすぐそばにある杣八幡宮は、三木の町を出て明石に向かう明石道の脇に鎮座する明石町屋台奉舁五か町の杣宮町内の神社で、大宮八幡宮の元宮と伝わります。「杣」は平安時代頃に「杣人(そまびと・きこり)」が住んでいたからとも伝わりますが、江戸時代においては、三木城の用材を明石城に移転する持ち出しの「杣の場」がまさしく、この杣八幡宮であったといえます。
大正十五年に発行された「美嚢郡誌」の杣八幡宮の記述には興味深い記述があります。なんと、杣八幡宮の御魂(神様の魂)は、一時期深川八幡(富岡八幡)に「維新期・(幕末・1668年頃)」に移転していたというのです。たしかに、前述の宝来池と書かれた地図には、杣八幡「跡」と書かれていました。
しかし、明治四年(1871)の大宮八幡宮の池田春翬の日記には杣八幡宮が復活していた様子がうかがえます。つまり、この頃には、杣八幡の御魂は深川八幡・富岡八幡・永代八幡から三木にかえってきていたことになります。この頃を境に、永代池と呼ばれるようになったのかもしれません。

杣八幡宮-2020年代撮影か-
また、大宮八幡宮の神宮寺であった月輪寺の紹介文にも、江戸時代のはじめのほうにも、月輪寺の僧が深川八幡宮に出張に行かれていたことがあることが書かれているという研究についての記述がありました。今すぐ思い出すのは難しいのですが、月輪寺・大宮八幡宮・杣八幡宮と富岡八幡宮はかなり昔から関係があったようです。そして、その鍵をにぎるのは、われらが明石町といえるのかもしれません。
編集後記
神鳩より贈り物を 法被に受け賜りき友を祝ひて読める
神鳩の 賜ひき法被の 白滴 運つく人ぞ 道は明るし
(八幡の神の使いである 鳩が送ってくださった 白い滴を 法被に受け取ることができた運が付く人の行く道は明るい。)
身は江戸に 心は三木の 明石町 導き給へ 宮の上まで
(身は江戸にあっても、 心は三木の明石町にある 導きたまえ 宮の上まで)
この町の 太古の由は 知らずとも 太鼓の響きの 心と業(わざ)知る
(この町の むかしのこと(太古の由)は知らないが、 太鼓を響かせる 心と業(わざ)は知っている)











































