「しかし、神はこの世でくだらないとされていることを選び、この世の知識人に恥をかかせたのだ。彼はこの世で弱いとされていることを選び、この世の強い者を赤面させた。 神は世の中で重要視されないもの、すなわち、この世が見下し無価値とするようなものを選んだ。神はこれらを大切にすることで、社会の価値観を根底からくつがえした。」1コリント教会への手紙 1:27-28
神様の考えてることが世の常識とは真っ逆だったことに驚いた。
なぜなのか?を考えてみると、最初のエデンの園でアダムとエバが蛇にそそのかされたその時から人間は神の考えとは真っ逆になってしまった現実がある。
この思想が現在まで続いていた悲しい根底があったと知る。
親に教えられ、世間からも聞かされ、私たちは優秀な人間にと頑張り続けてきた。
学歴も大事、偏差値も大事、人格も大事と言われ続けてきた道徳に翻弄されながらも
『失敗』は許されないものと、強がりをも身につけてきた。
それでも社会は厳しく、エリートを選び続け、また一方で選ばれない苦しさに押しつぶされるばかり。
その陰で、不良やニートもいて、それも苦しまされている。
いい加減辞めないか?と悲しみの葛藤に悩むなか、これは実力と言って自分の力で這い上がるのと同じなのだと。
弱い自分、何もできない自分ならば、神様に祈り、自分を正直者にして、へりくだり、心の重荷を置いて悔い改めることもできる。
それがあるからこそ、イエス様と友達になり、神様に頼れる。
そこに希望がある。
しかし、イエスを信じない限り、神の子として生きることは出来ない。
神の子として生きながらも、善悪に苦しみ悩まされ、何回も神を思い出して悔い改めることに、神様の大きな愛と不思議なる神のみわざがあることを知る。
自分の力は捨てて、イエスを心の中に迎えて神と共に生きよう‼️