私が聖書読み始めた頃に一番しんどかったのは、御言葉が毒舌?で、神様はとことん私を苦しめたいんだなって、怖くて悪の神様で、平気で人を殺す神様なんだなぁ〜と思って読んでました。


特に、新約聖書はその傾向が強い気がして、コリントのこの箇所も初めて読んだ時、絶望しましたねガーンガーンガーンガーン


悪霊も私を滅ぼしにかかってて
神様も味方してくれないし
え?ならどうすればいいの?!(イライラ)

って気持ちが強かったなぁ。

多くの人がそのイメージを持つ気がする。

そのままの身分で留まるのが良いとか
奴隷は奴隷のままでとか…

あとは、独身は独身のままで居なさいとかね


自己卑下に繋がって、めちゃ嫌な気持ちになったし、こんな神様信じたくないって思いました。


当時繋がってたクリスチャンに解説をお願いしても、その通りの解釈だったから、全然励まされなかったしwww


今の自由な生き方を完全否定してるような神さまに怒りを覚えた。


聖書って、聖霊が居ないと読めないんだと思う


今の私はなんとなくだけど、解釈が変わってる。


コレは、霊的な事を言ってるのであって、現実の奴隷、結婚、夫と妻の関係性に限ってだけ考えたら、苦しみの中生きる人がたくさんだ。


霊的な目で見たら、だいぶ変わってきたよ〜
hallelujah!!!!!おねがい


聖霊がいるといないって感覚が少しわかってきたかも?のシェアでした〜


問題の箇所はここです↓

[コリント人への手紙 第一  7:17-40]

 ただ、それぞれ主からいただいた分に応じて、また、それぞれ神から召されたときのままの状態で歩むべきです。私はすべての教会に、そのように命じています。
召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくそうとしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。
割礼は取るに足りないこと、無割礼も取るに足りないことです。重要なのは神の命令を守ることです。
それぞれ自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。
あなたが奴隷の状態で召されたのなら、そのことを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、その機会を用いたらよいでしょう。
主にあって召された奴隷は、主に属する自由人であり、同じように自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。人間の奴隷となってはいけません。
兄弟たち、それぞれ召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。
 未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。
差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。
あなたが妻と結ばれているなら、解こうとしてはいけません。妻と結ばれていないなら、妻を得ようとしてはいけません。
しかし、たとえあなたが結婚しても、罪を犯すわけではありません。たとえ未婚の女が結婚しても、罪を犯すわけではありません。ただ、結婚する人たちは、身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目にあわせたくないのです。
兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。今からは、妻のいる人は妻のいない人のようにしていなさい。
泣いている人は泣いていないかのように、喜んでいる人は喜んでいないかのように、買う人は所有していないかのようにしていなさい。
世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。
あなたがたが思い煩わないように、と私は願います。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。
しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、
心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。
私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。
 ある人が、自分の婚約者に対して品位を欠いたふるまいをしていると思ったら、また、その婚約者が婚期を過ぎようとしていて、結婚すべきだと思うなら、望んでいるとおりにしなさい。罪を犯すわけではありません。二人は結婚しなさい。
しかし、心のうちに固く決意し、強いられてではなく、自分の思いを制して、婚約者をそのままにしておこうと自分の心で決意するなら、それは立派なふるまいです。
ですから、婚約者と結婚する人は良いことをしており、結婚しない人はもっと良いことをしているのです。
 妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。
しかし、そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです。これは私の意見ですが、私も神の御霊をいただいていると思います。