人間は何度も失敗をしてしまう。😭

なぜ、自分で動こうとするのか?

人の思考と行動パターンは
なかなか変わらず。

主の導き、主の指導が欲しい。

まだ、心の中にモヤがある。

これでは、またやり方と同じだ。


主は、我慢せずに私の思いの中、全てを話して、頼って良いと言われる。そして、主が解決してくれるのに。

今日は仕事で舞浜に。

ディズニーリゾートを目の前にしても、
感動がなくなった。




小さい頃は心から踊ったのに。

はぁ、仕事か。。と思うと憂鬱な気持ちになる。


人は大人になるにつれ、夢や希望が失われる


目に見えないものを
目に見えない神を信じるのは
子供の頃はいとも簡単に出来たのに
なぜ大人になると
こんなにも大変になるんだろう

なぜこんなに難しいんだろう

無駄な知識と経験は捨てるべきだ。


だからこそ、この素直な子供のような気持ちを神に吐き出そうと思う。もう、頑張って取り繕う事はやめる。



「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた」
Ⅰサムエル1:10

私たちは、思い煩いが増す時にどうするだろう。み言葉に「何
も思い煩わないで」とあるが、そうは言われても・・と思うだろう
か。あるいは、考えないようにするだろうか。不安や虚しさを考
えたくなくて、予定をいっぱいにし、走り回る人々がいる。しかし
ふっと心に浮かぶと暗くなる。

そんな時、主は、自分で何とかしようとせず、逃げるのでもなく、
ことごとくを主に告げよと言われている。「願い事を主に知って
いただけ。そうすれば主の平安が臨む」と。祈りの人と言われ
るハンナは、不妊に苦しんだ。又、もう一人の妻で子どもを持つ、
ペニンナのいじめに苦しんだ。

神に祝福されていないという、周囲の白い目に苦しんだ。心が
辛さと悲しみと痛みと嘆き、怒り、いら立ちでいっぱいになり、も
うどうにもならなくなった時、立ち上がって、主のもとへ行った。
そして、ことごとくを祈りに持って行った。自分で抱え込んだまま
苦しむのでなく、祈りのために立ち上がった。

ハンナの心は痛みで、主の御前で激しく泣いた。又、長く祈り、
主と交わった。心を注ぎ出し、つのる憂いといらだちを、主に吐
き出し、思いも感情もことごとくを主にぶつけた。主は、私たちの
感情も、思いも、ありのままを受け止めて下さる。

私たちを極みまで愛し、あわれんでいて下さるからだ。ハンナは
主に受け止めて頂いて、エリの「安心して行きなさい。その願い
が叶えられるように」との言葉で、もはや以前の顔でなく、すっき
りし平安になった。主のもとへ行き、ことごとくを告げよう。

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問題が来た時に、考えたくなくて、避けたり、逃げたりしていたい。
その瞬間は忘れるが、しかし、それはずっとそこにある。主は、
解決して下さるし、導いて下さる。それをまず主のもとに持って
行こう。祈りの中でゆだねて行く時に、必ず感謝へと導かれる。