戦後日本の経済復興と高度成長は「偶然の産物」だったは本当か

敗戦後のハイパーインフレ終了後の日本には、日本経済はまったくのゼロからスタートせざるを得ませんでした。本来であれば、日本も外国から巨額の借入れを行い、高い金利を支払いつつ、外国資本に金融を左右されるという不安定な状況で経済を再生させる必要がありました。ところが日本経済は偶然にもある時期からそうした状況とは無縁となりました。経済評論家の加谷珪一氏が著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)で解説します。
敗戦後、日本経済はゼロからスタート
日本の高度成長は、日本人の優秀さと血のにじむような努力がもたらした結果であるという価値観は、広く共有されています。しかし、この価値観は限りなく願望に近いと考えてよいでしょう。なぜなら、日本に限らず、経済成長を実現した国の多くが、何らかの偶然が作用しているケースがほとんどだからです。
日本の成長は偶然だったと主張すると、どういうわけか多くの人が怒り出すのですが、成長に偶然が作用したという現実を認めることが、自国を貶めることにはつながりません。それどころか、自分たちは幸運だったという現実を冷静に受け止めることで、獲得した富の重要性を再認識することができ、むしろ戦略的な行動を促します。逆に言えば、幸運であることを自覚できないと、すべてに対して自信過剰になり、判断を誤るケースが増えてくるでしょう。
詳しくはこれから解説していきますが、1990年代以降の日本が低迷したのは、まさに傲慢さが原因であると筆者は考えています。では、戦後の高度成長が偶然だったというのは具体的にどういうことを指しているのでしょうか。終戦直後に遡って考えてみましょう。
■高度成長のきっかけは朝鮮戦争で得た「大量のドル」
1945年8月、日本政府はポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争に敗北しました。
太平洋戦争開戦当時、日米のGDPには10倍以上の差があり、日本が戦争に費やした費用(日中戦争含む)は、国家予算(日中戦争開戦時における一般会計)の約280倍という途方もない金額でした。当時の経済力で世界最大の資源工業国である米国と全面戦争するのは到底、不可能であり、控えめに言ってもメチャクチャな決断だったと捉えていいでしょう。
しかも、一連の戦費はすべて日銀による国債の直接引き受けで賄われましたから、日本国内には戦時中から極めて強いインフレ圧力がかかっていました。戦時中は価格統制によってそれを強制的に封じ込めていましたが、終戦によってその効果が消滅し、日本はまもなくハイパーインフレに突入します。
国内の消費者物価指数は最終的に200倍以上に高騰し、預金の価値はほぼゼロとなりました。政府は銀行預金の封鎖を行い、強制的に新円の切り換えを実施しましたから、国民は価値が失われていく自身の銀行預金をただ眺めるしかなく、大半の国民がほぼすべての資産を失いました。戦費調達によって積み上げられた巨額の財政赤字は、全国民から銀行預金を没収することで何とか帳尻を合わせたわけです。
終戦後のハイパーインフレについては、一部の論者が戦災によって極度の供給不足になったことが原因であり、財政インフレではないと指摘していますが、それは事実ではありません。終戦時、エネルギー不足などから国内の生産設備はほとんど稼働していませんでしたが、設備の多くは戦災を免れており、約75%が残存していました。空襲で焼失したのは約25%しかなく、供給がゼロになってしまったわけではないのです。
とはいえ、ハイパーインフレ終了後の日本には、残存した設備があるだけで、日本経済はまったくのゼロからスタートせざるを得ませんでした。
通常、何もない状態の新興国が、生産を開始するためには、海外から多額の借金をしなければなりません。信用が低い国には、資金の貸し手は高い金利を要求しますから、利払いだけでも大きな負担となります。
借金に頼ることなく外貨を獲得した戦争特需
世の中には、モノ作りを主体とする製造業とお金を扱う金融業は、互いに無関係な業態と考える人が多いのですが、現実はまったく逆です。企業が製品を製造するためには、まずは生産設備を整え、原材料や部品を購入しなければなりません。原材料や部品の多くは輸入なので決済にはドルなどの外貨が必要となります。つまり、モノ作りを始めるためには、まずは外貨を調達しなければならないのです。
資金や資材の確保に際して外国資本に頼らない場合でも、そもそもお金がありませんから、政府が国債を大量発行し、中央銀行がそれを引き受けることで資金を調達する必要が出てきます。
実際、政府は国内向けの復興資金を十分に確保できず、復興金融金庫(のちの日本開発銀行、現在の日本政策投資銀行)が発行する金融債を日銀が引き受ける形で資金を供給しましたから、日本経済は再び激しいインフレになってしまいました(復金インフレ)。インフレを抑制するため、政府はやむなく強力な金融引き締め策に転じ、何とかインフレを押さえ込みましたが、今度は激しい不況に陥ってしまったのです(ドッジライン不況)。
つまり、ゼロから経済を成長させる国というのは、外国からの借金に頼るか、そうでなければ激しいインフレを覚悟する必要があります。インフレを繰り返す国がどのような状況に陥るのかは、何度もハイパーインフレを起こしている中南米のアルゼンチンを見れば明らかでしょう。
一部では戦争は経済を刺激するといった安易な主張をする人がいますが、それは現実を知らない机上の空論です。戦争をする以上、最終的には勝利か敗北しかなく、戦争に敗れた国はすべてを失うことになります。資本を消失させた国が背負うハンデキャップの大きさは想像を超えるレベルであり、場合によっては二度と復活できないほどの痛手を負います。終戦直後の日本はまさにそのような状況だったといってよいでしょう。
本来であれば、日本も外国から巨額の借入れを行い、高い金利を支払いつつ、外国資本に金融を左右されるという不安定な状況で経済を再生させる必要がありました。ところが日本経済は偶然にもある時期からそうした状況とは無縁となり、借金に頼ることなく外貨を獲得し、これを使って一気に成長を実現できたのです。その偶然というのは「朝鮮戦争」です。
1950年6月、北朝鮮が突如、軍事境界線を越えて南に侵攻。米国は国連軍を組織し、韓国を支援したことから、朝鮮半島全域が戦争状態となりました。朝鮮半島のすぐ隣にある日本は米軍の最前線基地となり、開戦直後から日本企業には軍需物資の注文が殺到しました。朝鮮戦争を契機とする一連の特需を朝鮮特需と呼びます。
朝鮮特需の勢いはすさまじく、戦争が始まった翌月には早くもトヨタ自動車に大量のトラック注文が入りました。各社は増産に追われることになり、日本経済は一気に息を吹き返したのです。
あらためて数字で検証すると朝鮮特需の巨大さが分かります。
一連の特需では、1950年から1952年の3年間に10億ドルを上回る発注が日本企業に対して行われました。1ドル=360円とすると、3年間で3600億円、1年あたりでは1200億円となります。朝鮮戦争前年の日本のGDPは3・5兆円程度しかなく、GDPの3・4%に相当する発注が米軍から一気に出された計算になります。
企業は増産に追われましたから、設備投資が爆発的に増加し、あらゆる業界が好景気に沸きました。1951年の名目GDPは前年比で何とプラス38%となり、翌1952年はプラス12%、1953年はプラス15%となりました。この数字は高度成長期の中国をはるかに上回る水準であり、特需の影響のすさまじさを物語っています。
株価上昇で企業価値がインフレに追いついた
株価も急上昇しました。
朝鮮戦争前の1951年1月に100円前後だった日経平均株価は開戦翌年から急上昇を開始し、ピークとなった1953年には一時450円を突破。株価上昇によって企業価値がインフレに追いつくようになり、各社の経営基盤も安定することになったのです。
朝鮮特需の効果はそれだけにとどまりません。ドルという貴重な外貨を大量に獲得することができたからです。特需のほとんどは米軍からの発注ですから、支払いは基本的にドルになります。今の日本では想像もできないことですが、経済が破綻した国にとって外貨というのはダイヤモンドよりも貴重な資産です。
先ほど説明したように、モノ作りを行うには、まず原材料を輸入しなければならず、それには外貨が必要となります。これがいかに大変なことなのかは、立場を逆にしてみれば想像しやすいと思います。例えば今、皆さんがネットオークションなどで使い古した中古品を販売すると仮定しましょう。商品を落札した相手が、経済が破綻している国の通貨で代金を支払うといったらどうするでしょうか。絶対にその通貨では受け取らないはずです。
つまり終戦直後の日本企業が外国からモノを輸入したいと取引を持ちかけても、相手は日本円では絶対に受け取ってくれません。どのような犠牲を払ってでも外貨を獲得し、その外貨で支払いを実施しなければ、モノ作りをスタートすることができないのです。
米軍からの思わぬ大量発注によって、日本は貴重な外貨を、借入れを実施することなく手に入れることができました。特需によって獲得した外貨は、次の生産を行うための原材料の購入に充当できます。
ゼロから成長する国が必ず直面する外貨の確保という大問題が、朝鮮特需によって魔法のように解決し、日本はこの資金をベースに一気に高度成長の波に乗ることができたのです。
このタイミングで朝鮮戦争が勃発したことはまったくの偶然ですし、日本政府が関与できたわけでもありません。戦争に対して不謹慎な言い方かもしれませんが、日本にとっては本当にラッキーな状況だったと言えます。
もし朝鮮戦争がこのタイミングで発生していなければ、日本の成長はもっと低次元にとどまっていた可能性が高いでしょう。外貨を確保するため、外国に借金しなければなりませんから、長期にわたって利払いに苦しめられたと予想されます。
実際、戦争の舞台となった朝鮮半島では南北の分断が続き、韓国は長い期間にわたって外貨を十分に獲得できない状態が続きました。今でこそ韓国は経済大国となりましたが、それでも企業がドルなどの外貨を獲得するのは容易ではなく、つい最近まで韓国は海外からの借入れに頼っていました。経済成長のスタート時点において、豊富な外貨を入手できたのかどうかは、数十年にわたって、その国の経済に影響を及ぼすのです。
加谷 珪一
経済評論家