五輪経済効果「ここまでアテが外れた」残念な総括 | 時事刻々

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五輪経済効果「ここまでアテが外れた」残念な総括

鈴木 貴博:経済評論家、百年コンサルティング代表
五輪開催の本当の収支を考える(写真:Noriko Hayashi/Bloomberg)

「おもしろうてやがて悲しき五輪かな」

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この夏を俳句で詠むとこんな感じでしょうか。もちろんこの句はパロディーで、基になるのは松尾芭蕉が長良川の鵜飼いを見て詠んだ句「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」です。

鵜飼いの一夜が明けてみて、昨晩はあれだけ楽しかった心が、切なく悲しい心に変わっていくさまを芭蕉が詠んだのだといいます。それと同じで東京五輪の開催期間はあれほど興奮し感動し日本を明るくしてくれたものが、閉会してコロナが拡大して開催の赤字も拡大してみると、何やら日本人の心にも切なく悲しいものが込み上げてくるという点では、冒頭の句は今の私たちの気持ちを表していると言っていいでしょう。

東京2020組織委員会が昨年12月に発表していた組織委員会予算(バージョン5)では東京五輪開催に関わる広義の予算(組織委員会負担分以外を含んだもの)は総額で1兆6440億円まで膨らんでいました。

税金補填分は1兆円を超えそう

組織委で負担できない赤字分は東京都と国で協議して分担を決めるのですが、その合計額がこの時点で9230億円とされていました。そこに今回、無観客開催が決まったことでチケット収入の赤字(チケット代900億円プラス払い戻し経費)が加わるので、パラリンピックも含めすべてが終わってみれば税金補填分は1兆円を超えそうです。

これを都民で割ることになれば1人10万円、国民全員で割ることになれば1人1万円の負担です。いずれにしても最終的な請求書は政治家からわたしたちに回ってくるわけで「やがて悲しき」気持ちはじわじわと私たちの心に染み込んでいくことになるでしょう。

では「おもしろうてやがて悲しき」イベントは開催してもよかったのでしょうか? 経済面で検証してみましょう。

オリンピック開催前にシンクタンク各社が東京五輪開催の経済効果を試算し公表しています。おおむね各社とも東京五輪の経済効果は30兆円を超えると発表しています。その中からみずほフィナンシャルグループ(みずほ総研、みずほ銀行産業調査部の共同調査)が2017年2月に発表した「経済効果30.3兆円」という試算を基に、今回の開催の最終的な経済効果を振り返ってみます。

最初に重要な点を指摘しておきますと、東京五輪開催の直接効果はわずか1.8兆円にすぎないということです。開会式から閉会式までの期間は17日間。この短い期間に世界全体がオリンピックで盛り上がったわけです。そのうちIOCが世界のメディアから得た莫大な放映権収入も日本経済には関係ないわけで、日本の中で行われた五輪の新規経済需要だけ積み上げると1.8兆円だということです。

シンクタンクの試算と組織委の予算は厳密に対応している数字ではないのですが、結果的にそこから1兆円の赤字が出るわけなので、イベントの赤字としては巨額です。ですがそのマイナスはほかの経済効果で埋めることができるかもしれないわけです。

ではその「ほかの経済効果」とは何でしょう。いちばん大きいのが五輪開催に伴う事前のインフラ投資です。実際に東京への招致決定以降、首都高の老朽化対策や、首都圏の鉄道の整備予算が下りて交通インフラ整備事業が前倒しで進みました。都内では民間でも1000億円規模の大型再開発計画が30件以上も起工し、各所に新たな街並みが出現しました。

また重要な点としては既存インフラのバリアフリー化も進みました。都心のJRでもホームへのエレベーターがなかった駅にエレベーターが新設されたり、ホームドアが設置されたりと公共交通機関のダイバーシティー対応も加速しました。

赤字1兆円を上回る経済効果はすでに発現

これらの建設投資についてすべてを合計すると12.9兆円の新規需要が生まれ、121万人の雇用が誘発されると試算されていたのですが、これらの大半はすでに実現しています。言い換えれば東京五輪がなければ日本のGDPは累積でそれだけ低かったことになるわけで、もうこの段階で開催の赤字1兆円を大きく上回る経済的なプラスは手に入ったことになるわけです。

また五輪開催で消費が上向く点は日本経済全体の効果としては無視できないはずです。

政治家は「東京五輪と新型コロナ第5波の拡大は関係ない」と言っていますが、数字を見れば五輪開催とコロナ拡大の時期は一致します。開催前の7月1日に1.02だった新型コロナの実効再生産数(1人の感染者が何人にうつすかの数値)はオリンピック開催後に急増し、開会式の7月23日には1.34、そして8月1日にピークの1.79を記録します。その後閉会式に向けて下降し閉会後の8月中旬時点では1.1台にまで下がっています。(実効再生産数は東洋経済オンライン「新型コロナウイルス国内感染の状況」より)

政府がいくら関係ないと強弁しても、政府がオリンピックというお祭りを主催していれば国民はどうしても外に出て騒ぎ始めるわけです。するとコロナの新規陽性者数は爆発的に増加しますが、結果として消費も増加したことになるはずです。

2021年1~3月期のわが国のGDPは年率で3.9%のマイナス(第2次速報値)だったのですが、8月16日に発表された速報値では4~6月のGDPは年率1.3%のプラスと回復の様相を示しています。この後、11月になれば7~9月の経済成長率が発表されることになりますが、オリンピックが誘発した消費需要だけを考えれば7月後半から8月前半にかけてはそれ以上に経済が成長していたはずです。

このオリンピックの消費誘発効果をプラスの要素と考える一方で、デルタ株のまん延によって緊急事態宣言が日本中に拡大し、お盆の帰省の自粛など政府が逆に経済にブレーキをかけなければならない方向で動いていることは大きなマイナス要素です。東京五輪が国民の外出を増やし、それによって第5波の拡大が加速したという仮定に基づいてお話しすれば、短期的な消費増よりもその後の消費減によるGDPの押し下げ効果のほうが大きいかもしれません。

実際、4~6月期の実質GDP成長率1.3%というのは先進国の中では極めて低い数字でした。ワクチン接種が進んでいるアメリカが6.5%、ドイツが6.1%、コロナでの打撃が大きかったイギリスに至っては20.7%と、社会がアフターコロナへの移行を始めている国々と比べれば、日本の数字は見劣りします。

これらの情報を総合すれば「五輪開催で消費が上向く」という皮算用はトータルでは逆の結果になるのではないでしょうか。五輪で消費が上向き始めたけれどもそのことで逆にコロナが増加し経済に水を差す結果になった。ほかの先進国と比較すれば五輪を開催せずにコロナ対策だけに集中していたほうが、2021年の日本経済はよくなっていたかもしれません。この点は残念な結果になりそうです。

期待されていたインバウンドの盛り上がりは?

さて、みずほFGが試算した30.3兆円の五輪の経済効果ですが、実はまだ実現していない大きな項目で、しかも今回の開催方式の結果おそらくこれから先も実現しない可能性の高まったものがあります。それがインバウンド(訪日外国人旅行)での拡大効果です。

みずほFGは東京五輪が生み出す観光需要増大効果を12.7兆円、それに伴う雇用誘発効果を180万人と試算しており、東京五輪の経済効果としては最大級の要素として挙げていました。

根拠としては過去の開催国、オーストリア(2000年)、ギリシャ(2004年)、中国(2008年)、イギリス(2012年)ともに開催決定前のインバウンドのトレンドラインを大きく上回る形で外国人観光客が増加しているという事実があるのです(2017年公表のレポートのため2016年開催のブラジルについては分析されていません)。

ご承知のとおり2013年から2019年にかけて日本はインバウンド消費で沸き、2019年には3188万人の外国人が日本を訪れました。みずほFGのレポートではオリンピック開催で2020年には3600万人を超えることが予測されていたのですが、新型コロナで逆に2020年は411万人まで訪日外国人数は落ち込んでしまっています。

過去の開催国のインバウンドが増加したのは五輪で世界中から観戦客が訪れてよい体験をして、その口コミで開催年以降もリピーターや口コミによる観光客増効果が長く続くというメカニズムでした。一方で今回の東京五輪は、海外からの観光客をシャットアウトして無観客開催の決断をせざるをえませんでした。

その結果、オリンピックの訪日需要が失われただけではなく、2022年以降、たとえアフターコロナでインバウンドが回復したとしても、少なくとも五輪効果の口コミによる観光客増大効果は得られないことになります。つまり12.9兆円と試算されたインバウンド増大効果は取らぬ狸の皮算用で終わったと考えるべきでしょう。

さて、マクロでの収支も検証してみましょう。みずほFGのレポートによれば東京五輪招致以前の日本のGDP平均成長率は1.1%でした。これが五輪による押し上げ効果で2016年以降は平均で1.4%に増えることが予測されていました。その増分の累計が30兆円近くになることでGDPを見れば五輪の経済効果が実際に確認できるとされていました。

ところが実際には2016年以降の経済成長率を見ると順番に、年率の実質経済成長率は0.8%、1.7%、0.6%、0.0%、▲4.6%という結果でそれまでの平均1.1%よりも見劣りします。押し上げが想定された1.4%を超えた年は2017年だけ。残念ながら東京五輪の経済押し上げ効果はマクロ経済全体でみれば確認できません。建設ラッシュはGDPを押し上げた一方で、消費増税とコロナでトータルの景気は水を差された結果です。

結果をまとめてみれば、東京五輪招致の経済効果は開催前のインフラ整備分までは実際に日本経済を潤してくれました。2020年はコロナで1年お休み。2021年の開催では1兆円の赤字が発生し、2021年以降に期待されたインバウンド増大効果は幻に終わったというのが総括です。

2020年度税収は過去最高だった

最後に1兆円の赤字補填を財務省は認めるでしょうか? 

そして財務省は新型コロナで大幅な税収減を想定していたのですが、今年7月5日に発表があったとおり、2020年度の一般会計税収は60.8兆円で予想よりも5.7兆円も多くなりました。1兆円の補填など気にする必要がない税収環境とはいえます。

こうしてまとめてみることでこの夏、野球、柔道、スケボー、ソフトボール、競泳など金メダルラッシュに沸いたあの日々を思い浮かべる私の気持ちに読者の皆さんも共感していただけるのではないでしょうか。やはり今回の東京五輪は、

「おもしろうてやがて悲しき五輪かな」

だったのでした。