【覆る常識 東日本大震災8年】(2)堤防だけで命は守れず

■避難の丘、救命艇整備も「まず逃げろ」。
「俺たちは津波を見たら海か、高台に逃げる。身に染みてっからさ」
岩手県宮古市田老地区。明治29年、昭和8年、そして、平成23年と巨大津波に襲われてきた。中学生になると、津波の脅威を学ぶ。
「とにかく逃げる」。50代の漁師は言う。東日本大震災で自宅と漁師小屋を流され、いまも仮設小屋で作業する。震災時はトラックを走らせ高台に逃げた。
田老地区には「万里の長城」と呼ばれた総延長2・4キロ、高さ10メートルの防潮堤があった。昭和8年の津波を経て整備され、津波に強い街をつくったはずだった。だが大震災の津波はこれを越えて押し寄せた。高さは平均16メートル。181人の死者・行方不明者を出した。
そして今、この地区に新たな防潮堤が整備されている。高さは14・7メートル。灰色の真新しい構造物を見上げて、漁師は言った。
「人工物は、いつか自然に負ける。だから『まず逃げろ』なんだ」
地区で防災ガイドを務める元田(もとだ)久美子さん(61)は「いち早く避難するのが大事なのに、防潮堤を生かせなかった」と悔やむ。防潮堤は少なくとも時間稼ぎにはなった。津波にのまれた人は逃げなかったか、逃げたのに自宅に戻った人がほとんどという。
新たな防潮堤で一定の安全が確保されるとして、高台に移転せず、低い土地で家を再建した住民もいる。「とっさのときは判断が鈍る。ハードがあっても逃げる意識を持たなければ、また大事なものを失う」と元田さんは懸念する。
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巨大防潮堤に象徴されるハード。いち早く逃げるというソフト。その中間に位置する新たな対策が広がっている。
仙台市若林区の海岸公園冒険広場。この丘へ上がった住民は難を逃れ、標高15・89メートルの「避難の丘」として整備された。今も標高7メートルのあたりに津波の痕跡が残る。
雨風をしのぐ建屋と、高齢者や災害弱者が避難しやすいスロープを設置した。避難の成功体験が生んだ柔らかなハードといえる。
こうした取り組みは各地で進んでいる。宮城県岩沼市は総延長約10キロ、計15基に及ぶ「千年希望の丘」を造成した。基礎部分に使ったのは震災のがれきだ。付近の工業団地や農地からの避難を見込んでいる。
市内の津波は内陸約4キロにまで達した。県内の松島町や塩釜市では、海に点在する島々が自然の防潮堤となり、浸水域の拡大を防いだ。千年希望の丘は、津波が来れば、いわば陸上の島になる。
「まずは高く、遠くに逃げる。だが、いかに傷口を小さくするかも重要だ」と市の担当者は話す。
南海トラフ地震が懸念される静岡県袋井市の「命山(いのちやま)」。江戸時代に高潮対策で築かれた丘の文化を発展させた。平成25年から整備を進め4基が完成。「地震が起きたら命山をめがけて避難して」と市は呼びかける。
津波からの避難は高い場所に逃げるのが大原則だ。しかし、近くにビルや高台があるとはかぎらないし、高齢者や障害者、小さい子供は逃げるのが難しい。
発想の転換で生まれたのが「津波救命艇」だ。密閉式の小型船で、津波が襲う前に乗り込み、船ごと浮かんで生き延びる。旧約聖書に登場する「ノアの箱舟」の現代版とも呼ばれる。
国土交通省が26年に性能などの指針を策定し、普及に本腰を入れ始めた。指針を満たす救命艇は今年2月末で全国に約20艇。多くは太平洋側に置かれている。
伊豆半島の東岸に位置する静岡県伊東市。観光客でにぎわう港の陸側に、目を引くオレンジ色の救命艇が昨年設置された。「土地勘のない観光客の避難対策が長年の課題だった」と市の担当者。相模トラフの巨大地震で最大10メートル以上の津波が押し寄せる恐れがあるためだ。
救命艇の定員は25人。どれだけの観光客が逃げ遅れるかは未知数だが、担当者は「設置でひと安心できる部分はある」と話す。
高知市は25年、遊園地や動物園がある「わんぱーくこうち」に救命艇を設置した。担当者は「浸水予想エリアから逃げることが大原則。救命艇は最後の最後の手段だ」と語った。