今日は、「粉ミルクと地震」と題して、粉ミルクの異常な立ち位置と、それを打ち破った大地震、その後の顛末をお届けします。
それでは、ご覧下さい。
古賀茂明「乳児用液体ミルク問題を放置した安倍政権の大罪」
そもそも、液体ミルクを販売するのに、どうして厚労省に「要望」、すなわちお願いをしなければならないのだろうか。
食品衛生法に基づく厚労省の省令では、乳児用の粉ミルク(調製粉乳と定義されている)については、その規格基準が定められていて、それに適合する粉ミルクだけしか販売ができない。成分や添加物、さらに包装容器についても細かい規定があり、販売するためには、これに適合していることを厚生労働大臣に承認してもらうという手続きが必要だ。一方、乳児用液体ミルクについては、そもそも、この基準自体が定められていないため、承認申請もできないという状況だった。
また、その承認を得ても、消費者庁が所管する健康増進法という法律の規制があって、「乳児用」という表示をするためには、内閣総理大臣(実際は消費者庁長官)の許可を得なければならない。ところが、ここでも、乳児用液体ミルクについての、許可基準がなかったので、仮に食品安全法上で販売を認められても、「乳児用」という表示ができなかった。このため、乳児用液体ミルクは販売できないとされてきた。
このように、ちゃんとした基準が定められていないことを理由にして、一部には、海外から輸入された液体ミルクは、正式に乳児用ミルクとして認められていないから危ないとか、使わない方が良いというような「迷信」が流布されたりもしていた。
■災害で液体ミルクに光が当たった
このような状況に風穴を開けたのが、16年4月の熊本地震だった。厚労省が「特例」として配布を認めたのだ。フィンランドの乳製品メーカー「ヴァリオ」が、日本フィンランド友好議員連盟の呼び掛けに応じ、200ミリリットル入り紙パック約5000個を無償で提供したことが、この決定を後押しした。
役人がリスク回避のために、被災者のことを忘れて保身に走った典型的な事件だった。福島第一原発事故の時、原発被災地に大量の家庭用のカセットガスボンベを届けようと車で向かった男性が、警察に止められ、危険物を大量に運ぶ許可がないと言われて、泣く泣く諦めたという話があったのを思い出した。
折しも、2月21日に北海道胆振地方で最大震度6弱の地震が発生した。大きな被害は出なかったが、局地的ながら断水する地域が出た。住民にとって真冬の厳寒期に水を取りに出かけるのは大変な負担だし、より大きな余震が来れば、広域で断水する可能性もある。
それにしても、政府がもっと早く乳児用液体ミルクを販売できるようにしておけば、今頃、被災地では、日本製の乳児用液体ミルクが配布あるいは販売され、「やっぱり、日本製の乳児用液体ミルクは便利で安心だね」という声が上がっていただろう。本当に残念なことだ。
■粉ミルクの手間は母親なら甘受すべき?
災害のたびに話題になる液体ミルクだが、そもそも、液体ミルクが先進諸国で販売されているのは、災害用のためだけではない。子育ての負担の中でも、粉ミルクを使う大きな手間を軽減するという目的もある。
子育て経験のある方や、近くでそれを見ていた経験がある方ならわかると思うが、粉ミルクの利用は極めて手間がかかる。まず、粉をお湯で溶き、赤ん坊がやけどしないように人肌の温度まで冷ますが、これが結構時間がかかる。作り置きもできないので、誕生後しばらくの間は、夜中でも2~3時間置きに、泣いてぐずる赤ん坊をあやしながらミルクを作らなければならない。哺乳瓶の消毒も必要だし、外出時には魔法瓶持参で赤ん坊を抱えて大荷物を担ぐという重労働を強いられる。街を歩いていると、時々、汗だくになりながら、重い荷物を背負って、片手で幼児の手を引き、もう片方の手で乳児を乗せたベビーカーを押す女性を見かけたりする。あのバッグの中には、粉ミルクを作るための道具も入っているのだ。
ところが、安倍総理を支持する日本の保守、というより極右的な人々の間には、「母親は家を守り、夫と子供のために汗水たらして苦労するのが務めだ」という思想が蔓延している。働く母親たちの悲鳴も、彼らには、「愛情の薄いわがままな母親の繰り言」にしか聞こえない。こうした人々は、安倍総理の岩盤支持層である。安倍総理には、表の「女性に優しい」というポーズとは正反対の裏の顔があるのだ。
こうしたことが、母親たちの悲願である乳児用液体ミルク販売を成就させるために必要な前述の厚労省の食品衛生法に基づく規格基準設定を遅らせる一因になったのではないだろうか。
■規格基準設定を遅らせた厚労省の怠慢とメーカーのご都合主義
いろいろ調べていて気付いたのだが、驚いたことに、業界団体から乳児用液体ミルクの基準設定の要望が出たのは2009年のことだった。にもかかわらず、政府はこれを放置していた。基準が設定されたのは、それから9年後の昨年の夏だ。度重なる地震や豪雨被害などで、液体ミルクへの関心が高まり、世論が基準設定を求めたからだ。「女性活躍」「子育て支援」という看板政策を掲げている安倍政権としては、この問題に焦点が当たってしまった以上これを実施しない選択肢はなくなってしまったと言ってもいいだろう。
では、何故メーカーがやる気がなかったかというと、出生数の減少で事業の収益性・将来性に自信が持てなかったこと、逆にうまくいった場合には既存の粉ミルク事業との市場の食い合いになることを怖れたこと、液体ミルクを作るには新たな投資が必要なうえに、もしも粉ミルク事業の方が縮小するとその設備が一部不要となり、減損処理する必要が出る可能性もあることが理由として考えられる。
つまり、純粋な事業としては成り立たない可能性があったということだ。ちなみに、海外でも似たような事情があるのだろうか、液体ミルク事業に補助金を出している国もあるという。
■グリコ頑張れという声もあるが、問題は価格
昨年夏に厚労省が食品衛生法上の規格基準を設定し、それを受けて消費者庁が健康増進法上の表示許可内容を明確化したことにより、ようやく、民間企業がそれをクリアすれば、「乳児用液体ミルク」の販売ができることになった。
そこで、最初に手を挙げたのが、意外なことに、江崎グリコだった。「グリコは偉い!」という声も聞こえてきそうだが、実は、グリコは、粉ミルク事業ではほとんど存在感がない。粉ミルクのシェアは、明治がトップで、森永乳業、雪印メグミルク傘下の雪印ビーンスターク、アサヒグループ食品と続くが、グリコのシェアは数%しかないということだ。グリコには粉ミルクメーカーのイメージはほとんどないと言っても良いだろう。したがって、グリコは今回液体ミルク市場に参入するにあたって、「失うものがない」という強みがあったという見方もできる。
私がグリコが液体ミルクを作るというニュースを知ったのは、昨年12月に朝日放送テレビの「キャスト」という番組に出演した時のことだ。その時、私は、グリコが最初にリスクを取るのだから、他社が後追いして、過当競争で赤字になるようなことが起きると可哀そうだなと少し心配するようなコメントをした記憶がある。
ところが、今年1月31日に厚労省は、グリコだけでなく明治に対しても乳児用液体ミルクの製造を承認したと発表した。グリコが125ミリリットルの紙パック入りで保存期間6カ月なのに対して、明治は「後追い」というイメージを気にしたのか、240ミリリットルのスチール缶で保存期間1年とする計画だという。どちらも常温保存可能だが、明治は、地震などの災害用により重点を置いたのかもしれない。
グリコと明治の価格戦略がどういうものかが気になる。需要は一定程度は確実にあるはずだが、あまり高いと、売り上げは相当小規模になって儲からず、儲からないから値下げもできないという悪循環になる。その結果、事業として成り立たないというリスクもないとは言えない。
■失敗続きの官民ファンドを潰して子育て支援ファンドを作ったら?
国内での需要が小さいから値段が高くなるという障害を取り除くための方策としては、中国など海外市場への販売が考えられる。中国では、国産粉ミルクに有害物質が入っていて被害が出た事件もあり、それ以降、特に日本の粉ミルクへの需要が急激に高まっていて、ネット通販でもかなりの引き合いがあるようだ。ニュースなどで見た方も多いだろう。
ただし、一気に大量販売へと持っていくには、生産設備への大規模投資と価格の引き下げが必要で、リスクも大きい。民間だけでは、どうしても最初から大規模投資とはいかないかもしれない。
そういう時こそ政府の出番ではないだろうか。例えば、グリコが液体ミルク事業の新会社を作って、政府の子育て支援ファンドが、プロジェクトに出資するというのはどうだろうか。普通のファンドのように高いリターンは求めず、大量生産と海外輸出で単価を下げ、国内の子育て層が安く液体ミルクを買えるようにする。民間が二の足を踏む事業で、しかも、成功すれば、ビジネスとしての成果以上に社会政策的な目的も達成できるということであれば、政府が入る大義はあるのではないだろうか。もちろん、無理して官民ファンドでやらなくても、補助金だけでできるかもしれない。
今、政府が運営する官民ファンドはほぼすべてが失敗ファンドだ。それでも経済産業省をはじめとした各省庁はどうしても官民ファンドをやめようとしない。
そうであれば、失敗ファンドの代表格である経産省傘下のクールジャパン機構などが、新規投資を止めて、子育て支援ファンドに衣替えするというのもあるのではないか。
■災害対策用の備蓄を義務付けなどできることは何でもする
さらに、自治体は必ず災害時用に乳児用液体ミルクを備蓄するよう国が義務付けるという方策もある。初期需要はかなり大きなものになり、さらに保存期限ごとに入れ替えも必要だから、定期的、安定的な需要にもなる。それにより、販売開始と同時にかなり大きな需要が創造され、その結果、販売価格を下げることができるはずだ。
これまで、政府は、女性活躍、待機児童ゼロ、希望出生率1.8を目指すなどとスローガンだけは立派なものを掲げてきたが、国民から政策への要望があっても、その声が小さければ、とりあえず無視。少し声が大きくなり始めるとアリバイ作りで時間を稼ぎ、世論が注目したり、批判が高まったりすると、初めて重い腰を上げるという姿勢を続けてきた。乳児用液体ミルクの解禁も10年近くの要望を放置し、震災で国民の関心が高まってようやく対応したという意味で、その典型と言えるケースだ。本来は、とっくの昔から販売が始まっていなければならなかった。
このような政府のアリバイ作りと受け身の姿勢が日本の出生率低下の一つの原因になったのではないだろうか。
政府自身が自分の頭で考え、できることがあれば、国民から言われなくても何でも率先して実行する。そういう政府になれば、「女性活躍」も「子育て支援」も絵に描いた餅ではなくなり、出生率も上昇という具体的な成果が上がるのではないかと思う。