世界一高いレベルの自動車税制改正で必ず起きる「大混乱」 財源としての基盤が揺らぎつつある | 時事刻々

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はい。皆さん、こんにちは。
今日は、番外編です。
今日のテーマは、「世界一高いレベルの自動車税制改正で必ず起きる「大混乱」 財源としての基盤が揺らぎつつある」ということで、「自動車税の改正に伴って起きる、税金としての自動車税の揺らぎと、国民の税制観」について、見ていきたいと思います。
それでは、どうぞ。


世界一高いレベルの自動車税制改正で必ず起きる「大混乱」 財源としての基盤が揺らぎつつある

加谷 珪一

政府・与党が自動車関連税制の抜本的な改正について議論を開始した。背景となっているのは、自動車産業が直面しているパラダイムシフトである。

自動車の動力源が内燃機関からEV(電気自動車)にシフトしていることに加え、シェアリング・エコノミーの進展で、今後、自動車を所有する人が激減する可能性も指摘されている。

「ガソリン車」の「所有」を大前提とした現在の税制に変革が必要なのは間違いないが、話はそう単純ではない。

自動車ほどバンバン売れる高額商品は他にはなく、政府や自治体にとって自動車から徴収する税金は重要な財源であり、まさに金づるといってよい存在だった。自動車の税制改革が具体的に進み始めた場合、財源をめぐるバトルが勃発するかもしれない。


すべてのフェーズで税金がかかる

クルマに乗らない人は、あまり意識しないかもしれないが、自動車には実に多くの税金が課せられている。自動車関連税制は、取得、保有、利用のすべてのフェーズをカバーしており、まさに税金のデパートという表現がふさわしい。

自動車を購入するとすぐに徴収されるのが「自動車取得税」である。自動車取得税は都道府県税となっており、税率は取得価格の2~3%である。自動車取得税は2019年10月に実施される消費増税に合わせて廃止される見通しだが、代わりに燃費課税(環境性能割)が導入される予定となっており、取得に際して課税するという基本的な仕組みは変わらない。

クルマを買ったということは、保有することを意味しているが、保有に対する課税が自動車税である。自動車税も自動車取得税と同様、都道府県税となっており、自動車税の課税基準は排気量である。大きなエンジンのクルマを保有している人ほど、多額の税金を払う仕組みだ。軽自動車に関しては同様の軽自動車税というものがあるが、こちらは都道府県税ではなく市町村税となっている。

クルマに対する課税はまだまだ続く。実際にクルマを利用することについても税金を払う必要があり、これは自動車重量税でカバーされている。

自動車重量税は国税となっており、クルマの重量に応じて車検時に徴収される。クルマ(ガソリン車)を動かすためにはガソリンが必要だが、これについては揮発油税(国税)が徴収される。ディーゼル車の燃料である軽油にも似たような税金が課せられるので、燃料課税を含めると、すべてのフェーズで税金が発生していることになる。

自動車関連による税収は、揮発油税を除いても、国と地方を合わせて2兆円を突破しており、政府や自治体にとって欠かすことのできない財源となっている。ここまで多くの税金が課される業界は珍しく、日本における自動車関連の税金は「世界一高い」(豊田章男トヨタ自動車社長)と言っても過言ではないだろう。

国にも地方にも、欠かすことができない財源

自動車関連の税金の多くは、もともと道路特定財源として位置付けられており、自動車税を除き、基本的に道路を拡張するための財源だった。しかし道路特定財源が公共事業のバラマキ目的で濫用された経緯があり、激論の末、一般財源化された。

しかし、道路特定財源が一般財源化された後も、税金そのものはなくならず、悪化が進む国や地方の基礎財源として位置付けられてきたというのが現実であり、今となっては、自動車の税収がなければ、国も地方も立ち行かないという状況に追い込まれている。

こうしたところにやってきたのが、自動車産業における100年に1度の大変革である。

自動車の動力源は、長くガソリン(もしくは軽油)を燃料とする内燃機関だったが、このところEVへのシフトが加速している。仮にEV化されるのが一部だったとしても、排気量をベースにした課税が状況にマッチしていないことは明らかである。

これに加えて、シェアリング・エコノミーの普及が予想されており、クルマは所有するものから、利用するものへと性質を変えつつある。カーシェアのサービスを利用する人が増えていることに加え、経済的な事情も手伝って、クルマの所有に関心を持たない層も多くなってきた。

現時点においても、ハイブリッド車などモーターと内燃機関の両方を備えた車種が増えており、排気量だけで自動車税を決めるという枠組みは、実質的な意味を失いつつある。

日本社会は自動車を都合よく利用してきた

こうした現状を考えた場合、自動車関連税制を抜本的に変革するというのは自然な流れであり、むしろ推奨されるべきことといってよい。ところが現実はそう簡単にいかない可能性が高い。その理由は、先ほどから説明しているように、自動車関連税制は政治利権のかたまりであり、財政問題とも直結するデリケートなテーマだからである。

税制改正において最大の焦点となるのは自動車税と考えられるが、自動車税が排気量ではなく、走行距離によって課税金額が変わる場合、利用者における税負担分布は大きく変わる。週末にしかクルマに乗らない都市部の利用者と、長距離の移動にクルマを使う地方の利用者とで課税金額にかなりの違いが生じるので、コンセンサスを得るのは容易ではないだろう。

しかも自動車税(および軽自動車税)は地方税であり、この税収がなければ、地方自治体はやっていけない。実際に議論が始まった場合、税収の確保をめぐって相当な混乱や対立が発生する可能性が高い。

結局のところ、自動車税が抱えている問題というのは、日本社会全体が抱えている諸問題と同じ図式と考えた方がよい。

昭和の時代まで、日本は好調な輸出に支えられ、順調に経済が伸びてきた。経済が順調なうちに成熟社会のグランドデザインを確立しておくべきだったが、それを実施しないまま時は過ぎ、やがては経済の仕組みそのものが大きく変わってしまった。

自動車産業はまさに昭和的な産業の集大成であり、自動車が売れるのをよいことに、日本社会は自動車を都合のよいお財布として利用してきた。だが経済フェーズのシフトは自動車産業にも影響を与え、財源としての基盤も揺らぎつつある。

日本人の税に対する意識は希薄

日本は給与所得者の所得税を源泉課税するという世界でも希な税制を採用している国である。本来、源泉課税というのは税の補足ができない主体を対象としたものであり、もっとも捕捉が簡単な給与所得に源泉課税を適用するというのは本来あり得ない仕組みといえる(日本の源泉徴収制度はナチス・ドイツを参考にしたものであり、戦費の調達という特殊な目的があった)。

このため日本の納税者の税に対する意識は薄く、こうした意識の薄さは、肥大化した自動車関連税制にもあらわれている。

税というのは国家権力そのものであり、税に関する議論は、国の成り立ちそのものについての議論と同じである。

多くの人はあまり認識していないが、日本には租税特別措置という制度があり、大企業の多くが、実はかなりの免税措置を受けている(表面上の税率に沿った金額を支払っている大企業は少ない)。どの企業のどの製品が減税対象になるのかによって企業の経営環境は大きく変わるので、政府は税制をひとついじるだけで、実質的に多くの大企業をコントロールできる。

これとは逆に、強力な政治力を持つ企業であれば、税制を意のままに操り、表に見えない形で自らの利益を最大化することも可能だ。確かに自動車からは多額の税金が徴収されているが、そうであればこそ、自動車業界は高度な政治力を発揮できたと考えることもできる。

自動車関連税制の改革は、これまで税について疎かった日本人にとって、税を意識するよいきっかけになると筆者は考えている。単純に自分が得するか損するかという話だけにとどまらず、何のための税なのかという視点で、自動車税について再認識する必要があるだろう。