政府紙幣と機能的財政論 | 時事刻々

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今回は、機能的財政論と政府紙幣、特に政府紙幣の歴史についてまとめてみました。
機能的財政論とは、『国家運営のための必要経費は、税金による収入ではなく、貨幣の発行益を以って充てるべき』ということです。このメリットは、税収に縛られることなく、必要な政策を必要なだけ行えるようになりますし、いたずらに増税を行って庶民を苦しめる必要がなくなるのです。
貨幣の発行益とは何かというと、例えば、一万円札を作る為の経費は、20円です。残りの金額が、一万円札を発行した時の発行益です。つまり、機能的財政論とは、政府紙幣の発行こそが、その理論の根幹にあるのです。
しかし、ここで疑問に思う人も多いのではないでしょうか。
「それじゃまるで無税国家じゃん」「もう税金要らないってこと?」「夢みたいな話だな」などなど。税金の本来の役割は、貨幣回収による景気調節機能です。不景気の時は減税を行って国民や企業の手持ちのお金を多めに残して消費や(設備)投資などを活発化させて景気を上向かせ、景気が過熱した時には、増税を行って市中に出回るお金を多めに回収して金融を引き締めることが、税金の本来の目的なのです。
そして、本当に政府紙幣で国家が運営出来るのか。
ここからは、政府紙幣の歴史を見ていきたいと思います。

世界で最初の紙幣は中国の四川で発行された交子であり、当初は鉄貨の引換券として流通していました。やがて宋の政府が交子の発行を官業として国家が発行するようになり、これが政府紙幣の始まりです。その後の元では交鈔が発行され、補助貨幣の面もあった交子とは異なり当初から通貨として流通しました。しかし財政難により濫発したことから、激しいインフレーションを招きました。元ののちの明でも宝鈔が活発に発行されたが、インフレーションはまぬがれませんでした。
政府紙幣は、最初の頃は失敗続きでした。今でも政府紙幣と聞くと、「そんなことしたらインフレがー!」という人がいますが、彼等の頭は明の時代のまま止まっているのでしょう。

政府紙幣は日本を始め、様々な国で発行され、様々な形で使われてきました。
そして、政府紙幣を使った国家運営に最初に成功した国は、アメリカです。
 
グリーンバック紙幣は、リンカーンがアメリカ南北戦争の時に、北部政府が戦費をまかなうために発行し、1862年に発行が開始され1879年まで続けられた紙幣のことです。
なぜリンカーンが政府紙幣を発行したのか?
それは、1775年のアメリカ独立戦争にまで遡ります 
イギリスからの重税に反発して、アメリカが独立運動を起こしたというのが歴史の時間に習ったことなのですが、当時世界最強を誇った海軍を持つ英国に対してあまり勝算のない戦争を挑む必要があった程、アメリカへの税金は重かったようです。
なぜイギリスがそのような重い税金を課税する必要があったのかというと、当時のイギリスは今のアメリカと同じで常に何処かで戦火を交えていたので、国王ジョージ3世が巨額の戦費を借りてしまった英国銀行への利子の支払いが巨額で、イギリス国内におけるこれ以上の増税は無理だったので、植民地のアメリカに課税したためなのです。

つまり、中央銀行からの借金返済のためにイギリスはアメリカに重い課税をし、アメリカ独立戦争が起きたという訳です  
そして、1783年にアメリカは独立しました。
金貸したちは、植民地だったアメリカが独立を果たし、このまま大きな国として成長してくことを脅威に思い、アメリカという大陸をバラバラにしようとしたのが1861年に起きた南北戦争なのです  
当時、南部と北部との経済・社会・政治的な相違が拡大していました。
南部では農業中心のプランテーション経済が盛んで、特に綿花をヨーロッパに輸出していました。プランテーション経済は黒人労働奴隷により支えられていました。南部の綿花栽培の急速な発展は、イギリス綿工業の発展に伴って増大した綿花需要に負うもので、イギリスを中心とした自由貿易圏に属することが南部の利益だったため、南部は自由貿易を望んでいました。
一方北部では、急速な工業化が進展しており、新たな流動的労働力を必要とし、奴隷制とは相容れず、ヨーロッパ製の工業製品よりも競争力を優位に保つために保護貿易が求められていました。
つまり・・・
南…農業(綿花)→輸入してくれるイギリスと仲良くしたい→自由貿易
北…工業    →工業製品が得意のイギリスはライバル →保護貿易

金貸したちは、南と北のどちらを支援するでしょうか??
これを見ても明らかなように、もちろん南ですね  イギリスの金貸したちは、南を支援しアメリカが一国として経済的にも、政治的にも発展しないようにしていたと言えます。
この金貸したちの思惑に気付いていたリンカーンは、「アメリカをなんとしても統一させたい!」と思い南北戦争に挑みました。
リンカーンは奴隷制に反対して、南北戦争を開始したように学校で教わりましたが、実際はだいぶ違うようで、彼には奴隷を解放する意思は最初はなかったようです  
ここで、リンカーンの隠された思いを紹介します☆
リンカーンの言葉です 
“それが現実に存在する州の奴隷制の妨げをする目的は直接にも間接にもありません。私にはそうすることの法的権利はないと信じますし、そうする意向もありません。”
”私の最重要な目標は統一国家を存続させることであって、奴隷制を破棄することでも維持することでもありません。もし奴隷解放なしで統一国家を維持できるならそうしたでしょう。”(引用先:金融界の実情)

リンカーンと言えば、「奴隷解放」!のイメージでしたが、本当の目的は、アメリカを金貸したちから守り、統一するためだったんですね 
さらに続きます。
リンカーンはこの時戦争を維持するための資金を銀行に借りに行きますが、アメリカを2分したい銀行家達は高利貸し並みの27%の利子を要求します。

自ら戦争のきっかけを作り、敵対する方に高利で金を貸す。金貸したちは、勝敗がどちらに転んでもいいように巧みに手を打ちます 
しかし、
そんな高利では国家が破綻するのは目に見えていますので、リンカーンは借りずに引き下がります。
そして時の財務長官チェースにどうしたら戦費を工面すればいいんだろう、と泣きをいれたところその財務長官は、
”リンカーンなぜ悩むの。そんなことは簡単だよ。財務省が印刷する紙幣を法的に有効な通貨と認める法案を議会で可決させればいいんだよ。そしてその印刷した紙幣で兵隊達の給料を払って、そのお金を使って軍需物資を調達すれば今度の戦争だって勝つことができるよ。”
リンカーンは長官に国民はそんな紙幣を信用するんだろうか?と聞きます。
財務長官は
”もし君がその通貨を法的に認めさえすれば、国民はこの事に関しては選択できない。 (通貨決定の権利は)憲法によって明確に議会に与えられているんだから、国民は政府の決定を全面的に承認し、(新通貨は)今まで流通していたいかなる通貨とも同じように価値があるのだよ。” 
歴史に”もし”はありえないそうですが、この友達の一言がなかったら、リンカーンが南北戦争に勝利していたかどうかは疑問だと思います。
彼は1862年と63年の2年間で450億ドルの新紙幣を発行します。他の紙幣と区別する為に、紙幣の裏側に緑のインクを使ったのでグリーンバックと呼ばれています。彼はこの利息なしのお金を使って、南北戦争に勝利したのです。

こうしてリンカーンのグリーンバック紙幣により、アメリカは南北統一を果たしました。
現在の朝鮮半島情勢を考えれば、それがどんなに困難なことか、分かると思います。
今アメリカが超大国として世界に君臨していられるのは、政府紙幣の賜物なのです。

現在では、政府紙幣は世界に広がり、採用されています。たとえばシンガポールの通貨シンガポールドルはシンガポール金融管理局が発行と管理を行っているが、これは中央銀行の業務を政府自ら行っているといえるでしょう。

中華人民共和国の香港特別行政区の法定通貨である香港ドルは、香港金融管理局の監督の下で民営銀行3行が紙幣を発行しているが、10香港ドル紙幣(ポリマー紙幣)だけは香港特別行政区政府の発行する政府紙幣です。このように銀行券と政府紙幣の双方が発行される場合もあります。