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Vol.24 No.1, 2022
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教育講演
水素の臨床応用をめざして
鈴木 昌
東京歯科大学市川総合病院 救急科
Key words: フリーラジカル,活性酸素,酸化ストレス,炎症,アポトーシス応
表 1 臨床応用のための要件
要 旨
分子状水素の臨床応用には,有効性,機序,有害事象の有
無,体内動態,投与経路と投与量の確立を要する。各種実
験モデルは様々な病態に劇的効果を発揮する。機序にKeep1
-Nrf2 経路の関与が着目される。また,ミトコンドリアで
酸化ストレスを惹起し,抗酸化作用が導かれるとも考えられ
る。現状で人体に対し無害と考えられている。COVID-19 の
呼吸不全の進行に効果を示す可能性があり,早期のIL-6 減
少と酸素化能の改善の傾向がみられている。
はじめに
分子状水素(H2)は,自然界に存在し,炭素を含まないエ
ネルギー源として注目される。米国航空宇宙局(NASA)は
液化水素を燃料として使用する研究を続け,人に対する影響
を調査している。熱傷や凍傷,あるいは窒息の危険を挙げる
が,LD50 は設定できず,発がん性等を含めた危険性はない
とする(NASA, NSS1740.16)。そもそも人を含めた高等動物
は,Hydrogenase を有さないがため,水素を活用できない。
このため不活性ガスと認識されている。また,潜函病予防に
水素を含んだ混合ガスが用いられてきたが,健康上の問題が
生じたとの報告はない1)
。
生体内で水素が活性酸素種除去の効果を発揮することは本
邦で確認された2)。以来,脳梗塞や心筋梗塞,心停止後症候
群をはじめとした様々な病態に劇的効果を示すことが,次々
と報告された2-8)。今日では美容から集中治療に至るまで,
様々な応用可能性が考えられている。しかし,その機序の解
明はいまだ途上である。あたかも「夢の特効薬」のような宣
伝や商業活動も見かけるが,臨床試験によって確実な有効性
が確立された病態は,現状では存在しないことに留意が必要
である。
本稿では,分子状水素の医学的展開について,その現状を
紹介する。殊に,臨床応用を考慮する場合には,その効果,
有害事象,投与方法が確立していなければならないことを踏
まえた(表 1)概説をする。また,われわれを苦しめてきた
COVID-19 に対する可能性についての考察を試みる。
分子状水素の効果
分子状水素は,その物理化学的性質から活性酸素種に対す
る弱い還元作用があると知られていた。しかし,生体内で分
子状水素を利用する機構が存在しないことから,分子状水素
は生理的機能を有するとは考えられてこなかった。ところが,
2007 年に生体内における活性酸素種除去の効果が本邦で確
認された。大澤らは分子状水素の弱い還元作用に着目した。
生体に対して強力な酸化ストレスを有するいわゆる「悪玉」
効果がある
効果発現の機序がわかっている
有害事象の有無がわかってい
毒性の有無がわかっている
体内動態がわかっている
投与経路が確立されている
投与量が確立されている
Medical Gases, 24 (1):
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活性酸素種であるヒドロキシラジカル(・OH)とペルオキ
シナイトライト(ONOO-)とが水素投与によって選択的に
消去されることが明らかなった。その上で,これらが多量に
発生する脳の虚血再灌流モデルを用いて,分子状水素ガス吸
入が脳梗塞領域を縮小させることを明らかにした2)。これが
契機になり,動物モデルで様々な病態に劇的効果を有するこ
とが確認されるに至っている。心筋梗塞のモデルでも同様の
効果が確認され3),次に心停止後症候群に劇的効果を示して
いる4,5)。冠血流の途絶している心筋領域においても分子状
水素の到達は観察され,吸入された分子状水素が臓器内に拡
散していることが示された3)。すなわち,脳梗塞や心筋梗塞
のように血流途絶した領域にも分子状水素は到達し,血液脳
関門や細胞膜,ミトコンドリア膜をも透過する優れた拡散性
が,病変部位への速やかな到達を可能にし,効果を発揮する
と考えられるに至っている。その後,分子状水素の効果は虚
血再灌流障害,メタボリック症候群,炎症,あるいは癌など,
200 近い疾病モデルにおいて示され,一部は人への応用が試
みられている8)
。
人に投与した報告のうち,脳梗塞や心筋梗塞,心停止後
症候群では有効性のある可能性が示されている9-11)。われ
われは現在,心停止後症候群に特定臨床研究・先進医療B
(HYBRID II Trial,jRCTs031180352)として二重盲検無作為
化比較試験を進め,この結果を解析する準備段階にある12)
。
このような致死的疾患の他にも,角膜に対する効果なども示
されている13)。人への応用のためには,投与方法の確立と安
全性の担保とが必要になる。確実な治験をもって治療法が確
立されるということを考えれば,分子状水素の臨床応用は,
いまだ道半ばである。
効果発現機序
なぜ分子状水素が様々な病態に対して有効なのか,精力的
な検討が続いている。すなわち,現状は現象論から,「水素
は効く」と言われているにすぎない。多様な病態に効果を有
するとするその機序について,最近の検討は,水素が多数の
遺伝子発現に変化を及ぼしていることを示しており,その約
半数がシグナル伝達に関与していることを明らかにしている
14-17)。すなわち,分子状水素は単一の分子に影響を及ぼして
効果を発現するというより,複雑なシグナル伝達経路のネッ
トワークに効果を及ぼしていると考えられるようになってき
た。
不対電子を持つ原子や分子であるフリーラジカルは,生体
内で主に呼吸鎖,貪食,プロスタグランジン合成,P-450 系
で発生する。また,ミトコンドリアではATP 生成の副産物
として発生する。これらはシグナル伝達や感染防御のように
生体反応において不可欠だが,酸化ストレスとして有害な作
用をも有しており,様々な病態に関係している。従来,様々
な抗酸化物質が,様々な病態に試されてきたものの,細胞内
シグナル伝達を損なわず,適度な抗酸化作用を有する候補物
質は皆無であった。前述の2007 年に大澤らが示した研究成
果は,分子状水素がその候補たりうることを紹介した画期的
なものであった2)
。
当初,フリーラジカル除去が水素の主たる効果と考えられ
てきたが,近年はKeep1-Nrf2 系が着目されており,効果発
現の有力な機序としてコンセンサスを得つつある18)。細胞は
酸化ストレス・親電子性物質にさらされると,グルタチオン
合成酵素やヘムオキシゲナーゼ1(HO-1)などの酸化ストレ
ス応答遺伝子を発現誘導し,生体防御に努める。この酸化ス
トレスによる遺伝子発現機構に関して,転写レベルの発現調
節にNrf2 による遺伝子発現の活性化がある。一方,非酸化
ストレス下では,Nrf2 はKeap1 と名づけられた因子によっ
て細胞質に留められ,核移行が阻害されることで遺伝子発現
が抑制されている。このようにKeep1-Nrf2 系は,活性酸素
種を減らすことによって炎症を軽減すると考えられてきた。
近年, Keep1-Nrf2 系はインターロイキン6(IL-6)やインター
ロイキン1 β(IL-1 β)の遺伝子発現を阻害することで炎症
を抑制することを示している19)。このようにレドックス感受
性転写因子であるNrf2 は,抗酸化物質による傷害や炎症の
抑制に寄与する。分子状水素は,このNrf2 の活性化によっ
て抗炎症作用を有すると考えられている。すなわち,分子
状水素が酸化ストレス下で活性化されるNrf2 経路を増強し,
虚血再灌流や肺障害モデル,敗血症における脳損傷などに効
果を有し,HO-1,スーパーオキシドディスムターゼ(SOD)
あるいはカタラーゼを含む下流のエフェクターを活性化する
のである。これらの効果はNrf2 ノックアウトマウスでは観
察されなくなる。さらに最近になって大澤らは,LPS 誘導敗
血症モデルで,LPS 投与後の分子状水素投与は効果的ではな
く,LPS 投与前の分子状水素投与によって生存率が向上する
ことを示した20)。すなわち,分子状水素の前投与がHO-1 誘
導を促し,保護的効果を発揮したことを示した。また,培養
神経芽細胞を用いて,分子状水素がミトコンドリアにおける
活性酸素種の蓄積を起こし,弱い酸化ストレスを惹起して
Nrf2 系の抗炎症作用をもたらすことも示した。これによっ
て,分子状水素はミトコンドリアに対してホルミシス効果を
発揮すると考えられるようになった(図 1)。
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分子状水素の安全性と有害事象
水素は燃料としてロケットや自動車などに活用され脱炭素
社会に向けてますます重要となろう。このため,多くの市民
は水素に燃焼や爆発といった危険なイメージを抱いている。
しかし,水素の燃焼温度は500℃を超え,ガソリンよりも高
い温度である。また,酸素の存在下であっても,4% 以下の
水素は燃焼しない。したがって,水素ガスを用いた臨床応用
を考慮する場合には,必然的に4% 以下の濃度の水素を用い
ることで安全性が担保されることになる。既述の通り,水素
は人体に作用しないとされてきた。すなわち,有害な分子と
は認識されていない。事実,NASA は各種報告をまとめ,人
体に無害であること,発がん性がないこと,LD50 は明らか
にできないことを報告している(NASA, NSS1740.16)。また,
深海潜水時に約50% の水素が使用されているが,毒性の報
告はなされていないことは既述のとおりである1)。われわれ
が行った臨床試験のPilot study でも重篤な有害事象を観察し
ていない9,11)。よって,医療を行う環境において,4% 以下
の水素ガスを使用することは,懸念しうる安全上の課題が現
状では見当たらない。臨床あるいは動物実験で水素ガスを使
用したとして,水素分子は空気よりも軽く容易に拡散して,
ガラスをも透過する。都市ガス等のように室内に貯留する心
配は皆無である。よって,室内に充満して高濃度になり,4%
を超えるという心配は,通常環境では危惧する必要がない。
体内動態
分子状水素は実際には人体内に微量に存在する。以前から,
空腹時の呼気中水素は消化管発酵反応の指標と考えられ,消
化管細菌叢の異常増殖を示唆するとされ,消化管疾患診断へ
の応用が試みられてきた。これは消化管由来(口腔内,胃,
小腸,大腸)とされる。消化管内細菌叢によって水素ガスは
1 日に12L 産生されるとも言われる。また,大腸内視鏡前処
置を行うと,呼気中水素濃度が低下すると言われる。また,
胃では胃酸による化学反応によっても水素ガスが発生してい
る。動物にトリチウムガスを吸わせると,トリチウム水とし
て排出されることは古くから知られ,それは主に腸管内で起
こることがわかっている。つまり,分子状水素は体内,特に
消化管内で産生あるいは酸化されて体内に取り込まれている
と考えられる21-23)
。
これまで動物実験あるいは臨床試験で低濃度水素ガス吸入
が行われているが,吸入した水素はどのように体内に分布し
ていくかが最近になって明らかになった。分子状水素ガスを
単回吸入させると,肺から血液中に瞬時に吸収されて動脈に
流れ,その後,動脈血中の水素濃度は減少し,遅れて門脈や
静脈で水素濃度が上昇する。静脈系で水素濃度が上昇しても,
頸動脈ではその血中濃度が維持されないので,血中水素は肺
で排出されていると考えられる24,25)。飽和水素水の飲用や腸
管細菌叢が産生した水素は主に門脈系に流れるものの,肺で
排出されるであろうことが想像される。事実,アセトアミノ
フェンによる肝障害モデルでは,水素水の腹腔内投与が肝障
害予防に有用とされるが26),ガス吸入では効果がなさそうで
ある(未発表データ)。このように,水素の現状での主な投
与方法であるガス吸入と飽和水素水飲用とでは,効果発現部
位が異なる可能性が考えられる。
投与経路と投与量
現状で人体に直接的に投与を行う主な方法は,前述の通り
飽和水素水飲用とガス吸入とである。水素水はその溶存して
いる水素の濃度についての信頼が揺らいでいるが,市販はさ
れている。あるいはスポーツジムなどでは水素水を提供して
いることが多い。ただし,何に対してどの程度の量を飲用す
べきか明らかでない。したがって,飲用は極めて現実的で容
易な投与方法だが,慎重な検討を要すると言える。一方,ガ
ス吸入は,これも前述のとおり,燃焼への危険を考慮して,
図 1 水素の作用機序
水素分子そのものが生体内で発生する侵襲によって惹起された活
性酸素種の消去に働くことが考えられてきた。加えて,ミトコン
ドリアに軽度の酸化ストレスを与え,それによって Nrf2/HO-1 経
路が誘導され,過剰な炎症を抑制する可能性も指摘されている。
あるいはそれ以外の何らかの機序によって生体侵襲に伴う過剰な
炎症反応を抑制し,臓器障害の軽減に寄与していることが考えら
れている。
Medical Gases, 24 (1):
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4% までの濃度で使用することが原則と考えられる。心筋梗
塞や出血性ショックモデルなどで示されているとおり,動
物実験では,およそ2% 前後で最も効果が発揮されている。
1% 以下や3% 以上では,2% よりその効果がやや劣ると考え
られており,他の薬剤などとは異なって,濃度依存性の効果
を発揮するわけではないと考えられている2,4,27)
。
投与タイミングについては,急性期病態では,臓器等の障
害を防ぐために,より早期の投与とするのがコンセンサスで
ある。ホルミシス効果があることを考えれば,可及的速やか
に行うのが現実的であろう。ただし,それをいつまで続ける
のが良いのかについては,検討がなされておらず,今後の課
題であろう。
COVID-19 に対して
人の肺炎に対する分子状水素の投与経験は乏しい。これま
で行われてきた敗血症モデルや肺障害モデルの実験結果を踏
まえれば,肺炎に対して付加的な効果を期待できる。また,
細菌性肺炎における自験例では,水素ガス投与によって炎症
性サイトカイン濃度の劇的な低下が観察されている28)
。
2020 年以来,われわれの生活を一変させ,いまだに猛威
をふるうSARS-CoV-2 による感染症は,今もなお,重症化し
た患者の救命に大きな困難が立ちはだかる。罹患した場合に
は,一定程度の割合で重症呼吸不全を来している。また,他
の新興感染症に対しての備えも当然必要である。現状で,分
子状水素に抗ウイルス作用は期待しえないが,分子状水素が
炎症性サイトカインを抑制し,呼吸不全増悪を抑制する可能
性はありえる。
水素吸入に特殊な機器や技術は不要で,4% 水素+96% 窒
素の混合ガスボンベと病院に備えられている酸素とを使用す
れば簡便に行うことができる。あるいは安全性が担保される
なら,水を電気分解する水素ガス発生装置利用はさらなる簡
便性を持つ。水素は無味無臭かつ無刺激で,患者に苦痛はな
い。診療所や在宅治療でもすぐに応用できる。肺炎が重症化
しなければ,集中治療のような膨大な医療資源消費を回避
し,早期回復が見込める。さらに,抗ウイルス薬等との併用
が可能で,付加的効果を期待できる。前述のとおり,早期の
投与によって分子状水素の医学的効用が高いとすれば,重症
化する前に投与を行うのが最も合理的である。したがって,
COVID-19 に分子状水素を利用するならば,軽症や中等症患
者への投与が最も効果的と考えられる。
中華人民共和国では,標準診療と水素ガス吸入(66% 水
素+33% 酸素)の比較試験を行っている。この検討では,
自覚症状としての呼吸困難のスケールが改善し,安静時酸素
飽和度の改善がみられたとする。ここでは空気と比較して気
道を通過するエアが,水素添加酸素で抵抗が少なくなるので
吸気努力を減少させたとしている29)
。
本邦のとある救命救急センターでは,2000 年4 月の段階で,
治療法のないCOVID-19 患者に対して,副作用の心配がなく,
少しでも有効な治療が救命に役立てられないか,との考えか
ら通常治療に水素ガス(大陽日酸株式会社のご厚意)を付加
することを倫理審査委員会の許可のもとで行った。中等症に
対する水素吸入によって,早期のCRP・IL- 6の低下,それ
に伴うP/F 比改善が観察されている(図 2;未発表データ)。
IL-6 はCOVID-19 の重症度を反映するとされ,水素がIL-6
抑制に関与しているならば,重症化を防ぐ有用な手段となる
ことが期待できる。
おわりに
本稿では分子状水素の医療応用への可能性を概説した。分
子状水素は救急集中治療や移植医療,あるいは癌治療をはじ
めとした様々な領域に効果を有する可能性が高い。臨床試験
や治験においては,その鍵を握るのは臨床医であり,臨床
医がこの治療法の登場を強く期待することが,成否を握ると
言っても過言ではない。臨床試験の知見の集積を行って,臨
床応用される日が早期に到来することが望まれる。
図 2 人の肺炎に対する水素吸入
a)肺炎による心停止後症候群に投与した経験。16 時間の吸入に
より IL-6 と TNF- αの減少が観察された(文献 28))
b)COVID-19 に対する臨床経験で 4 日間の 1%水素加酸素投与に
より P/F 比の改善と IL- 6の現状が観察された(未発表データ)。
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COI
著者は大陽日酸株式会社から奨学寄附金を受領している。
文 献
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