ハマの外人スキー・横浜DeNAベイスターズ外国人偏愛ブログ -2971ページ目

ブラッグスいい人伝説

今日4月23日はPSP‐23の日。リンクサイトのPSP-23で提携企画をやってますのでみて下さい。

http://ameblo.jp/bluewave-nao23/entry-10031481990.html

このネタは私も知りませんでした。右のバナーにある「実況パワフルプロ野球ポータブル2」のネタですね。最近の野球ゲームはスゴいな。昔、「ベストプレープロ野球」の、ベイの応援歌をMIDIで配ってるサイトがあって使わせて頂いておりました。懐かしい。


ウ様、最近どうなんでしょう?3号HR以降は決勝タイムリーを打ったものの得意の特大アーチの噂は聞かず・・・

凱旋試合のチケ、売れてますのでお早めに。

http://www.baystars.co.jp/newscolumn/detail.php?in_id=1219


ウ様に関する記事、1件見つけたので紹介致します。

http://blogs.yahoo.co.jp/greenke24/47067228.html

ウ様にはファンの輪がよく似合うね、がんばれウ様!


さて、ようやく本題。今日は1993~96年に活躍したグレン・ブラッグスを紹介します。新生横浜ベイスターズの4番打者として、R・R・ローズと共に来日したブラッグスに対する注目は、当時ローズの比ではありませんでした(ローズの記事はいずれ書きます、いまだ誤解もあるでしょうし)。メジャーの4番が来た!と。


bura

しかし当時メジャーに対する注目は低く、過度の期待があったのも確か。レッズで4番を打っていたブラッグスでしたが、成績は.237、HR8本と凡庸でした。それでもこれほど実績のある外国人選手が来日するのは稀で、横浜ベイスターズとなってからは打者ではこのブラッグスとコックスぐらいです。


しかし開幕してからは成績は伸びず、33打席ノーヒットを記録。かと思えば一転、29打席連続ヒットと波の激しい選手でありました。この連続ヒットでもしや、球団初の3冠王誕生か?といらぬ期待をした私でしたがその後すぐ骨折。

されど初年からインパクトを残したブラッグス。翌年の期待は膨らんだのですが・・・年々、ローズの成績の影に隠れてついには消えていくのでした。


ブラッグスといえば、イカつい風貌から怖いヤツのイメージがあるかもしれません。実際、恐怖伝説はいくつかあります。

・豪快にスイングしたバットが自分の背中に当たり、折れた。

・高木豊氏が一緒に風呂に入り、スゴいアレをを見るのを楽しみにしていた。

・古田敦也いわく、守っているとき打席から鼻息が聞こえて非常に怖かったらしい。

・イニング間のキャッチボール時、ブラッグスの相手を務めた万永が球を怖がるようになってしまった。


しかし、それもブラッグスの野球に対する生真面目さゆえの事なのです。


ブラッグスいい人伝説

・春のキャンプはほぼ、初日から参加。

・度々、1塁にヘッドスライディングを敢行。メジャーで4番を打った選手がやったので驚かれた。

・10点差付いていた試合で、守備で気合の入ったプレーを連発。

・日本で引退するまでプレーしようと、オフにロスで日本語学校に通っていた。

・食事の前には必ずお祈りをする。

・阪神大震災の際、オフの出来事にも関わらずアメリカから多額の義援金を送った。


大物といわれたブラッグスでしたが、実際は真面目なナイスガイでした。

96年、死球を受け成績が落ち、引退を決意。死球に対し怒り狂うことが度々あったのは、その怖さを知っているゆえの事だったのでしょう。

96年最終戦、スピードガンコンテストに飛び入り参加。スタンドの大声援を背に剛速球を投げ込み、ブラッグスは去っていきました。

日本で引退したブラッグスは、有名ボーカリストの奥さんのマネージャーみたいな仕事をしているようですよ(記事中のシンディ・ヘロンさんが奥さん)。

http://d.hatena.ne.jp/tanoux/20060926