記録的大敗のシーズンを振り返る | ハマの外人スキー・横浜DeNAベイスターズ外国人偏愛ブログ

記録的大敗のシーズンを振り返る

ここ最近の15戦で1勝14敗のわが横浜。

皆さんも私も、相当ストレス溜まっているようで・・・本来、日常のストレス発散に行く野球観戦で更にストレス加算してくれるもんですからたまりませんねw

5月アタマには「10月の予定空けとかなきゃ!」と一瞬思ってしまいましたよw

バキ

しかし5月3日に首位に立ったのち、1ヵ月後の6月3日には5位。凄まじいです。

ですが序盤のダッシュが効いて、まだ借金は7。過去のシーズンに比べれば、まだマシでございます。星勘定よりもヒサンなのは、補強の意思が無く改善の余地が全く無い事です。それが大洋クオリティだから仕方ない。

それがいい
いくら大洋からのファンでも、それでいい訳は無いですよねw今日は記録的大敗を喫した02年を、在籍した7人の外国人を中心に振り返ってみましょう。


01年、智将・森氏を監督に迎え5年連続Aクラスで02年は開幕。だが00年に引退したR・R・ローズの穴は依然大きく、01年に補強したズーバーとドスターもチームを去った。代わって4番に入った鈴木尚も3割を軽くクリアするも本塁打6本と、4番を新戦力に頼る形での開幕となりました。


4番の期待を背負って入団したのは、マイク・グラン。ローズタイプの中~長距離打者との触れ込みでした。

この方、確かに飛ばす力はありました。しかし、やはり確実性に欠ける所がありまして、8月22日の巨人戦で1試合5三振というナイスな記録を作りました。結局.226、10本塁打で最後は痔で帰国。もう少し見たかった。


主に5番を打ったのはボイ・ロドリゲス。私のみB・ロッドと呼んでいました。時に外国人打者が3人スタメンに並ぶという、一部好事家以外には悪夢の打線の中で孤軍奮闘。盗塁も10個をクリアし、7月27日の広島戦ではサイクルヒットを記録(なぜかチームは負け)。及第点の活躍だが年齢的に伸びしろが無いという事で解雇。なら獲るなよ・・・


グランの代わりに4番を打てる外国人打者として、急遽来日したのがアーニー・ヤング。パワーだけならグランを遥かに凌ぎました。しかしセンターにしては壊滅的な守備と、本塁打以外のヒットはほとんど無いという有様。もちろん、オフに解雇。

サンダース>ヤング>グランってとこでしょうか・・・


ローテ投手として来日したのがジェイソン・ターマン。オープン戦では好投したが、その際に球種がバレて開幕2戦目でメッタ打ち。2軍で好投し、さあ1軍復帰という所で一緒に2軍落ちしていたグスマンの方が先に昇格し、やる気を無くして帰国


ドミンゴ・グスマンはテスト入団でした。壊滅的なコントロールであっさり2軍落ち。見切られた格好でしたがチームの状態が最悪となり、首脳陣がやむを得ず昇格させるとその後は先発でまずまず。03年にチーム最多勝をあげるが解雇横浜で7勝上げる投手を他球団が見逃す筈も無く、森繁和とともに中日へ

負け運で有名なのが01年入団のシェーン・バワーズ。01年は先発すると打線が沈黙、防御率はさほど悪くなかったが3勝13敗。残留したもののその点は変わらず、8月8日の巨人戦で完封するまでは頑張ったがその後は負け星だけを積み上げていった。ついてない方でした。


ぶっちぎり最下位のチームを救うべく、6月に急遽ヤングと共にやってきたのがクリス・ホルト。6月にいきなり3勝を上げ、7月16日には敵地東京ドームの巨人戦で3安打完封を成し遂げました。この時代の東京ドームはピンポン球並に打球が飛び、左打者がひっかけたレフトフライがそのままスタンドインする状況が続出していました。その中での完封は非常に価値がありましょう。ちなみに02年にはグスマンも完封勝利を挙げており、外国人投手3人が同一年に完封は球団史上初。おそらく破られることは無いでしょう。何故かホルトのサイン入りユニがうちにあります。


記録づくめのシーズンでしたがなんといっても5月の4勝17敗5月初勝利が22日というのが凄まじい。02年49勝86敗5分、03年はそれを上回る45勝94敗1分


さすがに今年は、そこまではいかないかなw