今日は、小話です。

 


実話なんですが、
登場人物は私の近くにいるヒトに似ています。

 


海や湖、又は川や池の
釣りが出来る場所が舞台となります。

 


その水辺で、毎日釣りをしている男のヒトがいました。

 


水辺には、小さな家があり
老人が住んでいます。

 


その老人は、毎日釣りにくる男を見ていましたが
魚が釣れたところ見たことがありません。

 


自分が見てないトキに
釣れているだろうと思っていたのですが

 


ある日、老人が水辺の絵を描くために
朝からずっと釣り人を見ていましたが

 


やはり、一匹も釣れません。

 


夕方、老人は
釣り人の横に座り声を掛けました。

 


「今日は釣れなかったね」
「残念だけど、明日はきっと釣れるよ」

 


でも、釣り人は「きょとん」とした顔をして
すぐに笑顔になりました。

 


老人は話しかけて解ったのですが
少し、性格がおっとりとしている男で

 


あまり、ヒトと話するのが得意ではない様子です。

 


それでも、老人は
釣り人の横に座って

 


しばらく、釣り糸が垂れる水面を
釣り人と一緒にみておりました。

 


そして、いよいよ釣り人の帰る時間が来たので
老人が又、励まそうと声を掛けようとしたトキ

 


驚きでも悲しみでもない感情が湧いてきました。

 


男が釣り糸を引き上げたトキに目にしたのは
釣り針が付いていない糸だったのです。

 


釣れてもつれなくても、釣りをする行為がすきだからする。

 


私もよくつかう考え方の一つに
行程が大切で結果ではない。

 


目の前のコトに集中しよう!

 


でも、結果がゼロパーセントの確率でダメなトキにも
同じことが言えるでしょうか。

 


ヒトは、本当に見返りや結果を一切考えずに
何かを行うことが出来るのでしょうか。

 


この釣り人にとっての「釣り」とは
いったいなんでしょうか。

 


勝手な想像ですが

 


魚はつれないかもしれませんが
生き物の魚とは違う大魚を
釣れる可能性があるのかもしれません。

 


それは、私のような小欲にまみれたヒトには
到底解らない「大魚」なんでしょね。
≪#0785≫

 


~~編集後記~~

 


今日もありがとうございます。

 


宝くじに当ったら
今の仕事を辞めますか?の質問に
即答できない高坂一彦です。

 


今日は、自分の親切やボランティア活動について
じっくり考えてみようと思います。

 


針が付いていない竿で釣りが出来るかどうかと
比べてみるのがテーマです。

 


高坂一彦 拝