今日は、娘から見た社会についてです。

 


今日のブログは
昨日のブログで書いたチャレンジの一つです。

 

 

息子だけではなく、娘の目から見た社会も
取り上げてみようと思います。

 

 

そうすることで、ダシに使っているかどうか等
気付きやヒントを得られるかもしれません。

 

 


昨日のブログはこちら

高坂一彦の『思考に栄養3分間ブログ』マインドマップ&呼吸法&傾聴のプールス講師

 


娘は、花の高校生です!

 


ファーストフード店でアルバイトをしながら
好きな事をして楽しんでいます。


昨日もアルバイトだったのですが
おじいちゃんとおばあちゃんが

 


お客さんとして、来店してくれて

 


飲み物だけではなく
ちゃんとハンバーガーも注文したとのコトでした。
(妻の両親が近所に住んでいる)

 


でも、注文した品物が出来て
呼び出しているのに、耳が遠くて聞こえないらしく

 


手招きをして読んでいたら
店の人に「知り合い?」と、聞かれて

 


おばあちゃんです!と、
臆せずに答える娘は素敵ですね。

 


両親は、娘の事を溺愛していて
何かあるとすぐに顔を出してくれます。

 


娘も、おじいちゃんとおばあちゃんのことは
大好きで、時々お家に遊びに行きますが

 


娘は、家に行ってあげている!
と、いう立場らしい。

 


私は、近所に妻の両親がいて
とても感謝しているのですが

 


娘からは“あたりまえ”の存在であり
いるのが当然であります。

 


他人に対する敬意とか感謝とか
悪口を言うとか

 


対人関係のコトについては
とてもうるさい父親の私ですが

 


祖父母に対する娘の気持ちは
ほっておくことにしています。

 


なぜならば、壁を作らずに
存在が当たり前と思われている
祖父母がとても幸せそうだからです。

 


子どもが育つ過程で大切なことの一つに
地域の力があるのは間違いありません。

 


本当は、ご近所さんの間で
高坂さんの娘さんが

 


駅前のファーストフード店で
アルバイト始めたそうよ!

 


なんて、会話が出るくらいの
地域が理想なのかもしれませんね。

 


が、それはそれで、かなり大変だったことを
思い出しております。

 


私が子どもの頃の地域はまさしく
こんな感じでしたね(涙)
≪#0762≫

 


~~編集後記~~

 


今日も、ありがとうございます。

 


私自身、企業内研修で良く使う表現に
“ありがたい(ありがとう)”の反対は
“あたりまえ”です。と、言っています。

 


この表現を使う講師の先生は
かなりいらっしゃると思います。

 


要するに、当たり前に存在するものなど
ありませんよ!

 


感謝しなさい。と、云うことです。

 


目の前のモノ・ヒト・出来事に
礼を尽くすのは、相手への敬意でもありますが

 


自分自身の人格面が、ワンランク上がる
のではないでしょうか。

 


企業などで、人間関係を考えた時に
当たり前の存在ではなく、

 


有難い存在であることに気付きなさい!
と、いうことに繋がっていきます。

 


しかし、当たり前のように
話しを聴いてくれるヒトであるならば

 


知らず知らずのうちに
その当たり前のヒトの周りに
人が集まってくるような気がします。

 


有難いヒトだから、会いに来てくれるのも良いですが

 


いるのが当たり前だから、会いに来てくれるのも
悪くないような気がします。

 


高坂一彦 拝