自分の評価を低くするのは
謙遜の意味もありますが
逆の意味で考えると、
ものすごく評価が高く価値があると
気づかされる時があります。

≪#0564≫

 


今日もありがとうございます。
「人つながり感謝塾」の高坂一彦です。

 


昨日の私がまだ仕事から帰える前の
夜の食卓での家族の会話を
私が帰宅後にご飯を食べながら聞きました。

 


この4月、高校に入学した娘のことを
妻が息子に話をしました。

 


内容は、娘が高校入学後に
すぐに行ったテストの成績が良くて
学年の順位が上位だったことを伝えたところ。

 


自分の妹だとは思えないね!と、
嬉しそうに答えたらしい。

 


そのことを、ご飯を食べながら聞いた私は、
思わず箸を落としてしまいました。

 


聞き逃しませんよ!
そのネガティブな言葉は!

 


いやいや、そうじゃない!
あなたの妹だから、成績が良かったんだ!

 


あなたは、他の子が普通に出来ることも
かなり努力しないと出来ないけど

 


学校だって、1日も休まずに
努力して頑張っている。

 


努力をするあなたの妹だから
妹も努力が出来て良い成績だったんだよ。

 


胸を張って答えて欲しい
「当然でしょう。僕の妹なんだから!」と。

 


私が、あなたと同じだったら
そこまで、素直にあきらめずに
努力出来るかどうか解らない。

 


自分の事をそのような目で見ていることは
日頃からの私たちの接し方に問題があるのかな。。。

 


そんな反省をいたしました。

 


そこで、何故か思い浮かんだのは
「分相応」という言葉です。
意味は、皆さまご存じの通り、
『その人の能力や地位にふさわしいコトです。』

 


背伸びをして身の丈を大きく見せたり
虚栄心を出したりしたときに
分相応の言葉を思い出したいところです。

 


しかし、一歩間違えると
自分の事を過少に評価してしまったり
卑下したり、謙虚な気持ちになった時も
分相応の言葉を思い出したいですね。

 


私たちが人とお付き合いをしていて
この人は、腹の据わった人だと感じたり
何故か心を許せたり、一緒にいて苦にならずに
心地よかったりする人が何人かいると思います。

 


どんな人がそのような人かと考えると
自分自身の事を良く理解している人で
それを卑下することも無く
過剰に大きく見せることも無い
身の丈に合わせた振る舞いをしている人だと断言できそうです。

 


身の丈をしっかりと把握して
その身の丈より少しだけ大きい理想を持ち
努力する人がイキイキとしているような気がします。

 


現実の自分と理想の自分を把握して
少しでも理想の自分に近づける努力をする。

 


そうすると、他人と比較することも無くなるので
嫉妬も焦りも不安も無くなり
息子のように穏やかに生きることが出来るのですが

 


私も、まだまだ修行が必要ですね。

 


高坂一彦 拝