今週の月曜日から始めた
わが子の職業訓練センター(仮称)への通学を同行。
自分のコトを中心に振り返ってみました。

≪#0546≫

 


今日も本当にありがとうございます。
高坂一彦です。

 


とても楽しい1週間でした。
私の人生の中でも、かなりワクワク、ドキドキした
貴重な体験ができました。

 


解っているコトは
息子の為にやっているのではない
自分の不安を払しょくするためにしています。

 


結果、息子の為になっていると信じているのですが
どうでしょうか。

 


これと同じように
誰かの為と思って行うことがあります。

 


しかし、その誰かの本当の気持ちは
解るわけが無いと考えています。

 


だとすると、本当にその誰かの為になっているかどうかも
解らないことになりませんか?(誰に聞いてる?⇒自分です)

 


だから、自分の為にする。

 


言い方を変えると、自分が誰かの為にすることで
自分が納得できるかどうかを
誰かの為になっているかどうかの
判断基準にするしか無いようです。

 


しかし、これは押し付けになる可能性があり
本当に相手の気持ちを蔑にする危険が伴いますが

 


それをちゃんと意識できていていれば
相手の心の声をしっかりと聴こうとする姿勢が
相手にも伝わり、人間関係が損なわれないでしょう。

 


私も、
私の事を解ろうとしてくれる人の
気持ちに触れた時に
その人との距離が近づいたと感じます。

 


それは、結果的に私の本当の気持ちが
伝わらなかったとしても
解ろうとしてくれる人のことを
その人は特別な人として、脳はインプットします。

 


今までも、これからも
息子に係る理由は、
『すべて自分の為のような気がする』
それが、答えです。

 


愛情があるとしたら
それは、息子へ向けたものではなく
自分へ向けたものです。
それを冷静に受け止めています。

 


でも、私が安心して仕事をしていて
恩恵を受けるのは間違いなく
私たちの家族であることも事実です。

 


私がイライラしたり
不安で病気になったり
暗く浮かない顔をしていたりしていて
家族にとってメリットはありません。

 


だから、家族からは私へ
「そんなに、心配しなくて大丈夫だよ」
と、声を掛けてくれるのでしょう。

 


こうやって、相手の足りないところを
お互いが思いやりながら
困難に向っていくんですね。

 


独りよがりで
自分だけ何かを背負っても
上手く行かないし
潰れてしまいます。

 


今の社会は
介護、介助、医療的ケアなどの
当事者とその家族に対する対応に
目が向けられ始めています。

 


政策的には賛成です。

 


それは、ともかく
私的には「安心と安全」を軸に
考えて対応していこうと思います。

 


さて、今日は1週間の最後の通学日です。
どんな、楽しいこと、嬉しいことが
待っているのでしょうか。

 


街には、優しさが溢れていると信じて

 


いってきま~す。

 


高坂一彦 拝