この記事を読んでくださる皆さんはコーチングに興味がある方や

ーチングという言葉を一度は耳にしたことがある人がほとんどかと思います。

「コーチングに興味はあるけどどんなものなのか分からない!」
そんな方に向けてこのブログを書こうと決意をしました。

そして、結論から申しますと「コーチングに興味があって受けるか迷ってる人」は絶対に受けたほうがいいです!

特に自分を変えたいと日々感じている方。

 

大切なことは,「コーチングを受ければ人生変わるの?」という姿勢ではなく,

「コーチング受けて自分を変えてみたい!」という姿勢だと思います。

コーチングに限らず,自分から行動しなければ変わるということは起きません。

 

でも,「自分を変えたい,良い人生を歩みたい」と感じている自ら進んで行動を始める方には,

コーチングはそれは手助けする大きな力があると思います。

20年以上,理想と現実の自分とのギャップにもやもやしていた私も実際に自分の力で変えられてきているという実感があります。

すみません,熱く語りすぎて,怪しい勧誘みたいになってしまいましたね(笑)

つい最近弟にコーチングの練習をさせてもらった「暑苦しくて宗教の勧誘みたい」と言われてしまいました...。

 

話は戻りますが,
なぜ私がコーチングをこんなにおすすめをするのか?
わたしがコーチングを受けた体験を基にもう少し詳しく具体的にご説明していきたいと思います

私がコーチングを受けてから起きた変化について以下の順番で次回のブログからご紹介していきます。

①自分の状態が客観視できるようになる。
②自分の本当の気持ちが見えてくる!
③セルフコーチングができるようになる。

それではお楽しみに!

私が精神科医にかかり,

診断された結果は,軽度のうつ病だった。

 

そうゆう病気になったきっかけが大したことではなくても,

自殺をしたいと思ったことは事実だし,

まさか自分がこんな病気にかかるとは思わなかった。

一歩間違えれば死んでいた人生もあったのだなと思うと今でもぞっとする。

 

そして幸運なことに親は「休んだ方がいい」という医師の意見に理解を示してくれ,

私は高校を2か月休学することにした。

 

その2か月は,人生のガス抜きと言ってもいいくらい,

なにもできなかったし,なにもしたくなかった。

こんなに自分を取り繕っていない時間を過ごしたのは人生で初めてだった。

 

何もしないことで,かつて「他人から見えている自分を演じる」ことに縛られていた私は,

徐々に「何もしなくても生きてていいんだ」と実感することになる。

 

これは,私の環境が本当に恵まれていたと思う。

何もしていない自分を許すことができたのは,何もしていない自分を許してくれた家族や友人がいたからだ。

 

この恵まれた環境の上で私はこのことに気づくことができたが絶対に忘れてほしくないことがある。

それはもし仮に「ありのまま」の自分を他人が許してくれなくても,必ず自分だけは「ありのまま」の自分を許してあげること。

そして周りに「ありのまま」の自分を許してくれる人がいるならその人達を本当に大切にすること。

 

当たり前の事だと思う。

だけどそれをしっかりと教えてくれる大人は周りにいなかったように思う。

 

この2か月で「ありのままの自分」になれた私は,

成績が低い自分を許し,〈やめてはいけない〉と思っていた部活動をやめ,

”かっこ悪い自分”をさらけ出したが誰にも嫌われることはなかった。

 

そして「ありのまま」の自分に”かっこいい自分”を見つけ出せるようになった気がした。

 

この話のまとめは,「辛いことからは逃げる」や「頑張らなくてもいい」という単純な話ではない。

どこかの誰かが言ったように人生に正解はないし,

その時犯した失敗は未来の成功のきっかけかもしれない。

 

感情はいつだって主観的なものだ。

違うと思う意見があってもいいと思う。

 

ただ,ありのままの自分を愛してあげることができれば人生はとても豊かなものになる。

 

その後の高校生活は,「頑張れない自分」を許してあげることから始めた。

もちろん成績は低いままだったがそれでもよかった。

 

友人はもう一度私に部活動を誘ってくれた。

休学中にも連絡をくれた友人だ。

一時は辛くてしょうがなかった部活だったが,

自分を許してあげることができるようになった私は再入部を経て最高の学生生活を送れるようになったと思う。

 

私がうつ病になった原因は,

「他人の期待に応えたい自分」と「期待に応えるための努力ができない自分」のはざまに挟まれ徐々に自分を批判していったからである。

 

では今の自分が高校時代に戻った時に教えられることは何か?

そう原点回帰をしたときに考えたのが心と身体の健康面でサポートすること。

 

出来ないことには必ず理由がある。

それは必ずしも自分の心が弱いからではない。

心と身体の調子を調整してあげることができれば,

学生時代の私みたいに苦しんでいる人救うことができるかもしれない。

 

そして,「ありのまま」の君が一番素敵だよ,としっかりと伝えられる大人になること。

その言葉を欲している人を導いてあげられる人間になること。

 

「ヘルスコーチ」を通じて心と身体の健康状態をサポートしてあげることで,

少しでも心の病で苦しんでいるひとや自殺をしてしまう人を減らすことができればと思っている。

 

今までの人生で私はたくさんの人に「情熱」と「感動」与えられてきた。

今度は私の番だ。

 

まだ何も始まってはいない。

まだ何も成し遂げていない。

だけど「ヘルスコーチ」は私が「情熱」と「感動」を捧ぐことができる大好きなことだ!

小学生から中学生までの私は,クラスの中で比較的優秀な生徒であったと思う。

 

両親が教育熱心であったこともあり,

そこそこの勉強はできたし,

人並みの運動神経と身長が高いこともあり,部活動でも地区大会クラスだったら活躍できる選手だった。

 

先生や両親の言うことはよく聞き,

信頼をされていたと思うし,その期待に応えたいとも思っていた。

 

大きく道を踏み外すこともなく,

責任感も強かったため,学校では常に中心にいる存在だった。

 

「無理をしていた。」

 

正確に言うと当時の自分に無理をしていた自覚はなかった。

しかし,今思い起こすと過去の自分は「他人から見えている自分を演じている」

そんな状態だった。

多分人から嫌われることを心底嫌い,周りに好かれる(ちやほやされる)ことが好きだったのだと思う。

 

前述したとおり,そこそこ勉強ができた自分はそこそこの進学校に進学した。

そして壁にぶつかった。

 

そこそこの進学校にはたくさんの「できる人」たちがいた。

当然努力をしていない人たちは埋もれていった。

自分もそのうちの一人だ。

 

ある程度できた勉強は下から数えた方がはやく,

部活動では活躍できる場面もなく,

恋人には振られ...

周囲の期待に応えることが生きがいだった私は,

実は何も持っていないんだと気づいてしまった。

この世の何もかもから逃げ出したかった。

だけど逃げ出すことも怖くて,

何もできないまま過ぎていく日々が日常になっていた。

 

「他人から見えている自分を演じている」

そんな私にはそんな ”かっこ悪い自分” を周りに話す勇気もなかった。

 

ある日この世からいなくなれば,

この辛い現実から逃げ出せると思い立った。

 

その日から目に映る刃物や車,電車が

この世からいなくなるための道具に見えるようになった。

 

事故にあうため,

交通量の多い通学路の道にわざと飛び出し,

クラクションに恐怖し逃げ出す。

そんな朝もあった。

 

どうして最悪の結末にならずに済んだのか?

理由は簡単。そんな覚悟もなかったから。

 

〈限界だった。〉

 

学校のある朝,体が起き上がらなった。

心配した父が声をかけに来てくれた。

 

限界が来ていた私は,

その胸の内を留めておくことができなかった。

 

「死にたい。」

 

初めてその言葉を口にしたとき涙が止まらなかった。

きっと父や母,周囲の友達にとって私がこんな状態になっていたことは驚きだったと思う。

それくらい周りに助けを求めることやサインを出さずにずっと我慢していた。

 

それから私は精神病院にかかり,

学校を休学することにした。

 

これが私の人生で初めて味わった,

「挫折」のようなものだと思う。

 

そんな挫折を当時の私はどのように克服したのか?

そしてなぜこの経験がヘルスコーチを志す「きっかけ」となったのか。

次回のブログで書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

人生に起きることはすべて過去の必然が重なりあって起きていることだと思う。

 

私がそう考えるようになったのは,

「この出来事は必然で起きている!」と感じられるようなことが何度もその身に起きたからなのか。

Appleのスティーヴ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業スピーチで残した「点と点をつなげる」という名言に共感し,

そのような考え方が形成されたからなのか。

はたまた,社会人になり改めて自己分析をしたいと思い,

臨んだ自分の強みを分析できる「ストレングス・ファインダー」の結果に

【運命思考】が含まれていたからなのか。

 

私が「ヘルスコーチ」を目指したいと考えたきっかけも,

私の人生の中で起きた無数の〈必然の連続〉によって,

起きたことのように思う。

 

私は人生の中で自分が本当に大好きなもの,熱中できるものは見つからないと信じていた。

きっと平凡な人生を過ごして生きていくんだろうなと。

 

なぜそんな私が,

このようなブログを書き,

今,自分の大好きなことを見つけ,それに自ら真剣に取り組もうと思えるようになれたのか。

 

まず初めにそう思えた無数のきっかけを

一つづつ皆さんにシェアできればと思っている。

 

しばらくは自分語りになってしまい恥ずかしいですが,

少しだけお付き合いください!