他人との比較で不幸が始まると言うけれど、比較して不幸になるのは比較的才能がない人で、それなりに才能があれば他人よりできる自分に肯定感が沸いてそれなりに満足したりするものだとも思う。


つまり、他人との比較で不幸になるからしない方がいいという人の大元は、才能のない人でも苦しんだり自殺したりせずにそれなりにコミュニティで生きてほしいと願う優しい人か、もしく才能のない人に利用価値を感じて自分のために生かしておくためにそう言っている人なんじゃないかと考えた。


私は馬鹿で、ずる賢い人にいいように利用されるのが嫌いだ。誰かに操られた人生でなく、自分自身の人生を生きて死にたいと願う欲望が強いのかもしれない。


馬鹿だから、誰よりも賢くなって、いろいろ理解して、騙されたり利用されたりしないようにいろいろと考える。


思い通りにならない賢ぶっている馬鹿な私は、本当に賢い人達からはうざがられ嫌われる。


でも本当に賢い人の中でも特に賢い人達は、そんな私を愛さずにはいられないのを何となくわかっていて、私はそれを利用して生きている。


そんな気がする。