☆進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム
http://ameblo.jp/shingekinosyomin/ より


【 日銀の「発行銀行券」を、「純資産の部」に置き換える運動を提案します。その2 】

2019/02/20 11:55 コメント(59)



※ コメント 54 ~ 59


《 それで逆に質問なのですが、貨幣は負債でないとの貴殿の発想で、国の借金を税金で返せ!と言っている連中に対する究極的な反論やカウンターは何でしょうか? 》



※ 経済がパープリンな「私」
…の閃き(ひらめき)。


論説、甘々(あまあま)です。

「骨組み」程度の仮説、を
書いてみました。


みぬささんの『貨幣負債論』

良い、と思います。


「お金=借用書」の理解から始まって、

みぬささんのエントリーは

「私」には、
ざっと読んで、
すっと理解出来ます。


経済や会計知識がしっかりしている方々は、
零細応援さんの理論が理解出来る、
理解しやすいのだと、
思います。


ゆくゆくは、
統一的見解を目指しつつ、


ひとまず、おのおのが力強く、
「国」の借金問題に対する、
反論なり、カウンターなりを展開しつつ、


◆「消費税廃止」は「可能」であり、
“ 廃止すべき ”「税の在り方」である。


◆そして、「消費税廃止」は、
経済成長出来ずに、三流国、弱体国家になりつつある我が日本国の「経済政策」における有望、有益、有効手段であり、

強力な「武器」になり得る。


◎ 上記2点の見解、主張は一致させて、

夏の参院選に向けて、意見を取りまとめると、良いのではないでしょうか?




◆ みぬさ式(進撃式)『貨幣負債論』


骨組み… ( 草稿 )


メモ的、覚え書き、程度に、

「負債」について、考えてみました!




( 始まり )


ここで言う「負債」は、
一般的な金銭の貸し借り、

《 誰が誰に対して、いつまでに返さなくてはいけない 》


そうした概念の「負債」ではなく、

「借用書」から発展した「通貨」の本質、人間社会の本質、エッセンスが実は「負債」であり、

そして、その「貨幣」=「負債」の流通を可能にするものは、つまりは相互の


「信用」「信頼」関係であったとする、


「お互い様」「助け合い」
「持ちつ持たれつ」

そうした要素が詰め込まれた、

そうしたものであり、


そうした「負債」に関する
「概念」について述べています。


そうした「試み」、
そうした立場、視点から、
「貨幣」=「負債」について語るもの。

それが
みぬさ式(進撃式)
『貨幣負債論』なので、あります。



◆ ここで、ちょっと「唐突」ですが、
例を上げてみます。


例えば、ストラディバリウスの素晴らしいヴァイオリンを、
素晴らしいヴァイオリニストに、ある財団が貸与しました。

その財団から借りた、「名器 ストラディバリウス」に対する、ヴァイオリニストの「負債」は、

一体、何によって、
返済、返却が可能であるのか?


それは、
素晴らしい演奏をして、
人々に喜び、感動を与えて、
世の中に力を与える、
活性化させる、社会貢献する、

そのことによってのみ、

ヴァイオリニストの
名器ストラディバリウスに対する
「負債」は、

返済、返却が、

可能になる、のであります。


『名器 ストラディバリウス』をそっくり、あるいは、2つ、3つに、増やして返しても、


財団にとっては、
「貸与」した「目的」を果たしたことには、なり得ません。


ただ、「ヴァイオリン」を
返却するだけでは、

いくつに増やして返そうと、

まるで意味がない、


…ので、あります。


財団は、

そのヴァイオリニストの
人柄、技術、才能、
総合的なものを信用、信頼して、
ストラディバリウスの名器を「貸与」
するのであります。


良い「演奏」魅力的な「演奏」を、
「たくさん」してもらうために。




※ ヴァイオリニストにとっての「負債」を、


「名器 ストラディバリウス」

に例えてみました。



結局、
そうした目に見えないかたちの、
サービス、信用、才能、使命、労働、伝統、までをも含む、
物やサービスを交換出来る便利な道具が、


「貨幣」=「負債」である。


…とする。



みぬさ式(進撃式)
『貨幣負債論』とは、


つまり、
ものやサービス、
伝統や技術、人様の労働を

「負っている」「借りました」

そうした、

「負っているもの」「借りたもの」を

交換する、引き出す「道具」が
「貨幣」である、とする。


そうした主張、学説、理論、


です。



「貨幣」は、
物やサービス、伝統、技術、人様の労働の「負債」証明書、だから、

使うことにより、
「資産」に変わります。

使わなければ、ただの「紙切れ」。

ただの「紙切れ」が何故、
使うと即座に「資産」に変わるかは、

「信用」「信頼関係」で
「貨幣」を媒介にする者同志が
成り立っている、結ばれている
結びついているから、である。


道具である「貨幣」=「負債」が流通、使われてお役目を果たす、終えれば、日本銀行に戻されて、溶解されて、「消滅」する。



素晴らしいヴァイオリニスト(人々、国民)が名演奏を奏で、十分使命、役割を果たした後、

名器ストラディバリウス(=貨幣)は、
財団(=日銀、日本政府)の元へと返り、

ヴァイオリニスト(人々、国民)からは、
ストラディバリウス(=貨幣)の「貸与関係」は「消滅」する。


どんなに価値があっても
博物館の奥で眠っていては
意味がなく、


「名器 ストラディバリウス」は

名ヴァイオリニストに
弾いてもらってこそ、


本来の価値を生む!!!!!


つまりは、
「通貨」=「負債」とは、


現代社会において、

人々から健全に、
その人の使命、役割、労働、サービス、伝統などを引き出す、


素晴らしき「道具」


なのである。


「道具」(=「貨幣」「負債」)を

より的確に使用、活用することが、

人々をより、豊かに、

より成熟した社会にすることに、

繋がっていく、


…のである。



( …以上、です。 )



※ 「仮説」「骨組み」「閃き」
…を書きました。