《 仮 説 》


「お金」は「投票券」「愛情」と考えたいのですが、こうした考え方は合っていますか? 間違っているでしょうか?

「この物」「この商品」「このサービス」に、例えば「私は、~円の価値を見い出して、お金を支払います」 こうした意志表明のシステムである…。

(※ 売る側も、この値段では売りません。値段はつけられません。そういうケースもありそうです。)


こんな風に考えることは可能でしょうか?

そうだとしたら、人々は皆、自立していて、積極的に社会参加していることになり、平等であり、

そうした人々に相応しいコミュニティーがそれに伴い、生まれ、育ち、発展していく…。

とても素敵で平等なことだ、と思います。

そこには「愛の気持ち」があり「善意があり」、

例えば「健全な人」の体内に血液が健全に廻るように、お金が人々から人々へと流通して、人と人の間を暖かく、しっかりと繋いでいく…。

私はそんな「お金」の流通、理想をイメージしているのですが、こうした考えは間違っているでしょうか。


その一方で、「お金」を自分たちのパワーを行使する、支配のための「道具」「ツール」として利用している勢力があることを、最近気付き始めました。どうしたら良いのだろう…、と考えてみたりしました。



私が見つけた一つの結論は


「そういう事実を知っているからね!」


と、一般庶民一人一人が
意志表明することで、

その支配に抵抗が出来て、

自分たちの「心の自由」を
勝ち取っていけるのではないか、

という“アイデア”です。


お金に「人々、人類に対する愛情」「社会奉仕・社会貢献」の気持ちがこもって、お金が支払われるか否かが、大切ではないかと考えます。


自分に合った職場を、
強運とご縁でしっかり掴んで、
自分の持ち味を生かしつつ「質の良い」
労働を提供し、
お給料を有り難く頂いて、

そして自分の自己表現にも繋がる
「良いお買い物、お得なお買い物、楽しいお買い物、心が豊かになる幸福なお買い物」
をしたいです。

そして、
自分を少しずつでも磨いていきたいです。




以上、


このようなことを、
考えていたりしたことがあります。


そんな私は、


「お借りしま~す♪」


そういう言葉がとても好きだと思いました。


つまり、


『あなた(あなた方)がかけた時間や労働力をありがたく、お借りしま~す♪』


と言いながら、
お金(紙幣・貨幣)を差し出し、

その素敵な品物(サービス)を受け取る


ということです。


自分が差し出した
お金(紙幣・貨幣)は、

やはり、自分が労働で獲得したお金(紙幣・貨幣)であり、


「あなたがかけた、時間、労働力をお借りしますね! 素敵な商品(サービス)をどうもありがとうございます♪」


そうお客様から感謝され、
ありがたく頂いた、
お金(紙幣・貨幣)です。



◆「経済とは、働いて、物やサービスを作り、それを使うこと」


◆お金=「借用書」



そういった「経済」に関する考え方を
『進撃の庶民』ブログ内で学ぶことが出来ました。



「お借りしますね♪」


そういう風に、お客様から喜んで頂けるような、お客様に役立つ、品物、サービスであるなら、


自分自身も喜んで、能動的に、積極的に、
楽しく、自然体に、
肩の力を抜いて、ナチュラルに、
労働する、働ける気が致します。




◆品物をGETする!

◆サービスを受け取る権利を獲得する!

◆それが出来るように、働いて稼ぐ、出来るだけたくさんお金(紙幣・貨幣)を獲得する!



こちらは、達成感、充実感、満足感、など
やる気が出る、
考え方なのかもしれません。




◎自分の労働で得たお金(紙幣・貨幣)で
「権利を行使しま~す♪」


◎あなたがかけた労働力、時間を
「お借りしま~す♪」




同じ、お金(紙幣・貨幣)を
使うにしても、

結構、印象、感じ、感覚、雰囲気は、

変わる気が致します。


あなたは、どちらがお好きですか?




※ 「経済」のことは、
さっぱり分かっておらず、
自分の頭の整理・整頓のために、
この記事を書かせて頂いております…


ありがとうございます☆☆☆☆☆