【2017年5月3日 憲法記念日に寄せて…】


《 個人的 覚書 …》



『日本国憲法』について


確か2013年夏、憲法改正が争点となる選挙がありました。

こちらの選挙がきっかけで、
『日本国憲法』に今一度向き合いたい、
向き合おうと思い至りました。



中学生の時は、
回りにいる教育熱心な先生が確か…

「憲法を守ろう!」派だったなあ
という、印象があります。


大学生の時、
自分は護憲派か改憲派か
考えてみました。


その時は、
一生懸命講義を聴いていた
『国際政治学』『憲法』の
それぞれの教授がどちらとも、
どちらかというと護憲派だったので、

「よし、じゃあ、私も護憲派」

そんな風に考えました。



それから随分年月が流れ、

2013年夏、改憲が争点の参議院選挙。


私はこれを機会に、

「今一度『日本国憲法』に向き合いたい!」

そう考えました。


まずはダイレクトに
『日本国憲法』そのものを
前からずーっと、
読んでいきました。


「前文」を読んで、


《 素晴らしい! 》


心から、感動しました。



その時は

「掛け値なしに素晴らしく、
ここには普遍的なことが書かれている!」


本当に心の底から、
そう思いました。



今、もう一度、
ざっと見直してみます。


すると、今抱く印象は、
少し変わりました。


「戦後間もなく書かれた時代背景を色濃く感じる。
崇高な、かなりハイレベルなことが書かれている。」


そのように感じました。


例えば、

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、」


前文の最初の方に、
そのように書かれていますが、



自分たち、国民には
現在、

選挙によって国会の代表者を
実際は選べていない、

という現実がある…。


■政治不信と無関心からの、低い投票率。

■投票すべき党、候補者が見つけにくい
現実。

■弱い野党。



20%の組織票を用意周到に
ガッチリ獲得してくる与党は大変強い。


「不正選挙が行われている」

そんな噂も耳にして、
私は最近の投票時は

★サインペン持参、

★携帯で写真も撮り、

★不正選挙対策、


そして投票をします。


選挙ではなかなか苦戦が続く…。


そうした現実の中で、

グローバリスト、軍産複合体、軍需産業で儲けようとする支配層に権力を握られてしまったら、

《戦争の惨禍》が起こる可能性を、
国民がぐっと確実に高くしてしまう、
ということに繋がっていくのです。



話は飛びまして、

私が『日本国憲法』で
特に好きなのは、


第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、経済的又は社会的関係において差別されない。…



これを読んだ時、

「私は『日本国憲法』に守られている。

『これは普遍の真理だ。』」


そう思いました。



憲法草案には、当時22歳だったベアテ・シロタさんという女性が関わっていました。

ベアテさんのドラマを知ると
また感動的なのですが、

ベアテさんは、お父さんの仕事の関係で
幼少期から日本で暮らし、
外国人の目だからこそ、強く疑問に感じた日本の風景を目の当たりにした体験などを生かしつつ、

第二十四条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)などの立案に尽力して下さいました。

この「男女平等」の項目は、アメリカの憲法にも勝るほど進んだものだそうです。


興味深いエピソードが
まだまだ Wikipedia に分かりやすく出ていたりしますので、

是非一度
「ベアテ・シロタ」で検索!

Wikipediaを一読あれ! です!


因みにベアテ・シロタさんのお父上は、
レオ・シロタさんという
「リストの再来」と謳われたピアニスト、
ピアノの名手です。

東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で教鞭を執り、日本人の音楽教育に本当に尽くしてくれた方です。


レオ・シロタさんについては、

『日本を愛したユダヤ人ピアニスト
レオ・シロタ』山本尚志 著 毎日新聞社


に詳しいです。



さて、私は今、
大学の時の教科書、
粕谷友介 著『日本国憲法 基本17講』を
開いています。


そちらを読むと、
日本人の手では、とてもとても
「民主主義的」な憲法を作ることが難しかった、当時の様子が見て取れます。


「1945年10月11日マッカーサー元帥が幣原総理大臣に憲法改正を検討すべきことを指示した。10月27日に幣原内閣に憲法問題調査会が設けられ、松本国務大臣を中心として憲法改正の調査が開始された。しかし、日本国政府および一般世論は、憲法改正に消極的であった。1945年12月の第89帝国会議において憲法改正の方針が打ち出された。これを松本4原則という。この松本4原則の内容は、極めて保守的なものであり、明治憲法の根本的改正というものではなかった」


一方、民間の動きで、
「憲法研究会」という有志の会7人のメンバーで作り上げられた憲法草案があり、
そちらが当時、毎日新聞紙上で発表され(スクープ記事)、

マッカーサーは
これなら良い!と

GHQ憲法草案作成の下敷として随分参考にした、ということです。


こちらも「憲法研究会」で検索!


是非、Wikipediaをご参照してみて下さい!



さて、大学の教科書に戻りまして、

マッカーサーが憲法作成を急いだのには、
当時の国際情勢というものがありました。


「昭和20年12月26日のモスクワ外相会議は、日本の管理の基本政策を議決する権限をもつ連合国の機関として極東委員会を設置することを決定していた。アメリカ・カナダ・フランス・イギリス・インド・オランダ・オーストラリア・フィリピン・中国・ソ連・ニュージーランドの11ヵ国によって構成されることになっていた。その委員会は昭和21年2月26日に発足が予定されていた。マッカーサー元帥は、同委員会から制約される前に憲法改正の既成事実を早急に作っておく必要があると考えたといわれている。この頃ドイツでは(昭和20年5月8日無条件降伏)、4つの占領区に分割され、それぞれ4ヵ国(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)の軍政長官によって統治されることになっていた。その間アメリカ・イギリス・フランスの3ヵ国とソ連の対立が厳しさを増していった。1949年5月8日ボン基本法は公布されたが、同時に東西ドイツの分割は決定的となった」


日本が北はソ連、南はアメリカなどと、
分割統治にならないよう、
マッカーサーは先手を打ちたかった、
という意図があったということです。



話はまた飛びますが、


『天皇と軍隊』 という、


2009年フランス製作
渡辺謙一監督による
ドキュメンタリー映画があります。


昨年ポレポレ東中野で公開され、
私は友人に誘われて、見に行きました。


パンフレットに依りますと…、

「冷戦期アメリカ庇護のもとで、日本は第二次世界大戦の荒廃から経済的復興を遂げた。ソ連の崩壊、中国の市場開放、欧州統合とグローバリゼーションの波は、日本の政治に舵を切らせた。世界の中の日本のプレゼンスを高めるための“国際貢献”である。日本は矛盾と曖昧さの国であるとよく言う。憲法一つをとっても矛盾そのものは見てとれる。自衛隊の存在と、戦争および軍の保持を禁じた9条。主権在民と天皇の地位の曖昧さ…」


機会がありましたら、是非見て下さい!



関心を持つほどに、
知っていくほどに、

物事はまた、

どんどん違って見えてきたりします。



『日本国憲法』について


《恣意的な目的》込みで、
歪めて見たりすることなく、

多角的に、客観的に、
様々な捉え方をしてみて、



日本国民、
自分たちにとって、

どのような憲法が本当に望ましいのだろうか?



みんなで知恵を持ち寄り、

たくさん、たくさん、
議論が出来たら良い、と思います。



実際、

あちらで、こちらで、

志の高い、
心強い、有志の方々が、

それぞれのアンテナで、情報をキャッチ、

それぞれに勉強、思索を深め、

それぞれ、思い思いに、
情報、意思、考えを発信し、

時に討論会、

熱く、冷静に、議論を闘わせながら、
お互いが切磋琢磨する…。



そのような光景が見られます。



希望が感じられる、

今日、この頃、です。