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処分したものと動機
私は仏教系の新興宗教出身(三世)なので
(クリスチャンとなり退会済み)、
そちらで
配られた書類や品物、
仏壇、曼荼羅、数珠、教本などが
自宅にあります(した)。
先日、このうち、
仏壇と曼荼羅は私の所有物ではないので
難しいですが、
それ以外をまとめて処分
しました。
正直、これらをまだ所有していた事を
忘れていました。
毎日、
少しずつ聖書を読んだりしていて、
昨年洗礼も授かってからは、
辛い時期もありましたが、、より
「神様がどんな方なのか知る」事を知る
ようになりました。
見えない事を信じるなんて気休めで、
気持ちの問題だ
と思っていましたが、
実際に経験すると違いました。
そのうち、
習慣でやっていたで悪い事などを
辞めたくなっていき(食べ物など)、
生活は改善
されました。
そういえば長く仏間に入っていないけれど、
そこにまだ
自分の使っていた道具が
あったことを思い出して、
「イエス様に仕えると決めたのだから
中途半端に所有していたくない」
と思いました。
偶像の捨て方
順番はこういう感じでした↓
①祈る、聴く
②思い出す
③決める
④祈る、聴く
⑤調べて処分→完了
※終わりっぱなしにせず、
神様にお礼の祈りをします。
捨てることの恐怖心
新興宗教三世時代に、
「これらを雑に扱うとばちが当たる」
と、脅されたこともありました。
だから、正直まだ怖かったです。
今私は信じていないですが、
「信じている人に見つかったら
怒られるだろうな」
とか
「そうは言ってもこれまでの自分たちの
『念』みたいなのはありそう…」
とか、
そういう類の恐怖心が多少まだありました。
などと気を遣いました、…なので、
シュレッダーにかけられないものは
いらない紙に包んだり、
ゴミ出しのタイミングを見て
素早く捨てました。
数珠は本当に、
解体してしまうとただのビーズなので
趣味の手芸材料と見分けがつきません。
だから、まさに偶像だったんだと
感じましたが、
美しい職人技や素材そのものは
主の賜物で、お力なので
その部分だけは賛美
しました。
その後の変化
偶像を処分してから
しばらく経って、
一つ不思議なことが起こりました。
ある試験のようなものの結果が
残念だったのですが、
その時に、
過去の同じ様な悔しかった出来事、
トラウマ的な事を思い出すような事を
言われてしまいました。
今までの私だったら、
そこで言い返したり、
もっと落ち込んだかもしれないのですが、
その時は
(頑張ってきたことや、
自分の知っていること、知らないことを
完全に一番偉い人(神様)が
知ってくれているので、人間に対し
神経質に反応する必要がない)
と、冷静でいることが
できる様になっていました。
↑でも
向き合うべき自分の弱い部分には
しっかり向き合いますし、
それもできるように
なっていました。
自然と、
古い行いが新しく変わった様でした。
(まあ、辛かった事は辛かったですが)
これからもまだ、
捨てなければならない偶像があれば
捨てたいと思います。
まとめ
周りにクリスチャンがいない状況で、
自分1人が
神様を信じるようになった頃、
私は大変怖かったです。
逆に、
周りの人は皆他のものを信じているので、
聖書に書かれているように
神様に罰されてしまうんじゃないかとか、
そういうことを心配
していました。
これについては、
聖書のどこだかすぐに出てこないのですが、
(すみません)
信仰を確かにしていると、
クリスチャン1人に良くしてくれた人の行いは
異教徒であっても
神様が見ていて下さること
を読んで知りました。
なので、
焦って心配ばかりするよりもまずは
自分がしっかりしたいと
思います。
信仰して私もまもないのですが、
時々1人っきりで
勇気を出して頑張らなければならないことが
出てきます。
聖霊が与える試練もあると
聞きましたが、
そうなのかもしれません。
クリスチャンの皆様も
私と比べものにならない程
大変なことに向き合っているのかなと
思いますが、
励まし合って頑張っていきたいです。
皆様が頑張らなければならない時、
万軍の主である神様が
共に居てくださりますように。
今日もお読みくださり、
ありがとうございます。