Hollyの聖書ブログにご訪問頂き、

ありがとうございます。

本日は
聖書の登場人物について
となります。

聖書を読むのはまだ一周目なので、
人物全てへの深い理解はまだまだですが、
温かい目でお読み頂けましたら幸いです。

好きな登場人物



旧約聖書に出てくる私の好きな

登場人物を一人挙げると、


ダビデの親友ヨナタン 

です。


「互いに愛し合う」とは、

具体的にどうすれば良いのか、

わからないと感じていました。

今もまだまだ模索中です。



因みに、新約聖書だと、

イエス•キリスト

パウロ

です。



私が真面目に聖書を読み始めた頃、

周囲でこの話題が少し人気だったのですが、


当時は聖書にそういうイメージがなく、


面白いストーリーとか、

この世的に言う推し的な人物に出会える様な)


ピンと来なかったのですが。。。


もちろん、イエス様については、

この段階で嫌いになる理由は無かったのですが、


やはり私たちの様な一般人と違うイメージ、

完璧すぎて、共感しきれない部分


を、何となく感じていました。


この点については

イエス様には申し訳ないけれど、


今でも少しずつ近づいて、

共感できます様にと、

祈りながら過ごしています。


友情、毒親…「サムエル記」が熱い


聖書を読み続けられる様になってからも、
「面白い」「ハマる」
感覚にはなかなかなりませんでした。

「サムエル記」を読むまでは、

難しい所やわからない部分が多く、
祈って聖霊様に助けられてばかりいました。

「サムエル記」を読んで驚いたのは

「友情」
「愛」
「信仰」

さらには、
「毒親」

といった、

現代の私たちでも共感できるテーマが
盛り込まれている

という点です。

私自身がそうですが、同じ様に

家族仲が良くない、
人間関係の悩みが多い方


には、是非
読んで欲しいと感じています。

私も一回読んで、
まだまだ足りないと感じたので
祈りながら読み返しています。


​「サムエル記上」20より。

有名な「ダビデ」と共に誓い合う、真友。





​父サウルとの衝突

サウルはヨナタンに激怒して言った。


「心の曲がった不実な女の息子よ。


サムエル記上 20-30


​サウルはヨナタンを討とうとして槍を
投げつけた。


サムエル記上 20-33


ヨナタンは

父サウルと衝突
も多く、

その
父に命を狙われている
親友ダビデ

を愛していましたが、

板挟みの状態
でした。

(私も最初は、
父サウルも神様に愛されていたので、
「毒親」
なんて失礼なことを言ってはいけない、と
思っていた
のですが…

読んでいて、

自分が子供だったら
どうしても「毒親」だ
と感じてしまう様な
ことを沢山されている
のです。)



こんな家庭環境で、私だったら

自分が傷ついたことにばかり
フォーカスしてしまい、
愛や道を見失ったかもしれません。

自分のことで精一杯
だと、つい
友のことを考える余裕を無くしたかもしれない

と思います。


それでも愛を失わず、人を呪わず、
真っ直ぐでいられる所が
本当に強いし、優しく、尊敬
できます。

(それは信仰が正しく、
聖霊に満たされているから)


自分なら、そんな心境になった時、

どの様に信仰を保ち、行動し、
正しい選択をしていけば良いのか

ヨナタンの人物からは
それらに関して具体的な事
に想いを馳せられます。

​「ダビデの敵」が報復されます様に


父パウロの攻撃から、

親友ダビデを守るのは

とてもストレスだし難しかったと思います。


しかし、

父親を呪っているわけでも、

槍を投げ返して暴力で報復した訳でも

ありません。


📘📘📘📘📘📘📘

ヨナタンはダビデの家と契約を結び、

こう言った。

「主がダビデの敵に報復してくださるように。」


「サムエル記上」20-16

📘📘📘📘📘📘📘



自分が苦しめられたからと言って、


父親を名指しで呪うのではなく、

「ダビデの敵」と呼んでいる


点も、考え方や祈り方として

考えさせられます。



(嫌なことがあった時、

神様にその気持ちをぶつける事も

悪い事だと思いませんが、


最近は私も、

長々とこの世の愚痴みたいな祈りを

聞かせてしまうのは申し訳なく思う様になり、


スパッと

「敵となる存在を遠ざけてください」

と祈る様になってきました)


聖書の内容と人物については、

これ以上書いてしまうと

ネタバレになるので、

紹介はここまでにしますが、


皆様も是非聖書を読んで、


各登場人物の魅力に

直接心を動かして頂きたい


と思います。


個人的に

「サムエル記」最後まで読むと、

ヨナタンの様な信仰の持ち主なら、


この世で報われるかどうかに関係なく

神様に愛され慰められるのだろう

思いました。



好きな登場人物がいる有り難さ


ここまでお読み頂き、

ありがとうございます。


聖書の中での好きな登場人物がいると、

その人物を

信仰や姿勢の模範とすることができます。


(もちろん、

一番は神様を求めますが、

いきなりは理解が難しいこと等に関してなどの、

助けとなります)


すると、聖書を楽しく読めるし、

神様に祈る時に具体的

になっていきます。


(どこだったか忘れてしまってすみませんが)

聖書をしっかり読むには

頭ではなく「心」を使うと良く、


聖書の内容に心を沢山動かす事

とても良いと書いてありました。


好きな登場人物はこのことの助けと

なります。


これは、

聖書以外のアニメや漫画、芸能人などの

「推し」「ファン」を持つのとは

違った魅力であり、


「聖書だから」得られる大きな事です。


これからも、

皆様共々、楽しく聖書を読めます様に。


ますます共に心を動かして、

命を得ていくことができます様に。