「西郷と豚姫」の見比べ(昭和編) | 木挽町日録 (歌舞伎座の筋書より)

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平成30年の大河ドラマ「西郷どん」に因んで
歌舞伎「西郷と豚姫」が上演されるのではないかと
勝手に予想して 過去の上演をまとめてみました。

★昭和27年4月 歌舞伎座

西郷:幸四郎8、豚姫:勘三郎17

三宅周太郎の寄稿(一部)
初演は震災後、即ち大正末期の本郷座だったと覚えている。
故左團次が西郷、故延若が豚姫で実に佳良な舞台成果をあげた。
後昭和初期にこれは先代幸四郎が演じた。その外にも西郷を演じた
役者があるが、豚姫だけは延若が一手専売の形で、初演以来
断然好評を博したのであった。
去年あたり京都の祇園の名物で、舞の名手の松本さださんであったか
何かのついでに、延若が豚姫を初めて演じた時の様子を聞いた記憶がある。
延若はこの豚姫に関する限り、非常な研究と注意とをしていたそうである。
京都のお茶屋の女というため、延若は京なまりの、京都特有の言葉、
アクセントをいろいろ研究したそうであった。そして舞台装置なども
あの時代の、京都のお茶屋の特色、風物を再現するのに心がけ、扮装は
当時のそういう種類の女性のこしらえによったのだそうであった。
果然、あれだけ特殊な役、初めて見る第一印象は「豚姫」の豚を
思わせるような不思議なのに拘らず、見ている中に、それはこの作の
力ではあろうが、「豚姫」のいかんを超越して、ひそかに恋に悩む
しっかり者の女の哀れさを感じた。恋と言うには余りに不可思議な
感情であろうし、相手が西郷という凡そ恋物語には縁の遠い男性で
あるため実に複雑きわまる情操の表出が入る。
それをワンダフルな延若の豚姫は、いつの間にか我々を捕らえてしまって
この物語にしんみりと同情させてしまうのであった。
これを今度幸四郎の西郷、勘三郎の豚姫で上演するのは
誠に思いつきであった。三月の「お園と五平」では、むづかしい役の
友之丞を勘三郎が意外によくして褒めておきながら私は目を疑う
心地だったが、作者の谷崎さんが満足せられていた由を伺って安心したが
今度もこのむづかしい豚姫をどう彼が演じるか、不安、期待相半ばする
心地だ。が、油ののりかけた彼が、友之丞なみに、もしこの豚姫を
うまく料理し得れば、今年は彼に幸福をもたらす年となろう。

解説のページには
初演は新劇の無名会への書下ろしとのこと。歌舞伎初演は大正11年。
延若の豚姫を畢生の当り役と褒めながら、延若が豚姫の方に重みが
かかり過ぎていたところが、今回は釣合いのとれた幸四郎の西郷の
配役で作者の企画に近くなり、大いに期待出来るとある。

★昭和30年4月 歌舞伎座

お馴染み横長のパノラマ写真
西郷:幸四郎、半次郎:勘弥、豚姫:勘三郎


舞妓雛勇:芝雀(後の時蔵4)、芸者岸野:芦燕(後の我童)

演目紹介のページ


巌谷眞一の寄稿(一部)
幕末の京都三本木の揚屋を舞台に、若き日の苦境に立った西郷吉之助が
豚姫とあだ名された、肥満純情の仲居のお玉と同情心中を計ろうとする
物語を情緒纏綿と描いた、まことに哀愁深き戯曲で、延若の当り狂言となり
終戦後は一昨々年四月、勘三郎の豚姫、幸四郎の西郷で此の歌舞伎座の
舞台にかけられ絶賛を浴びました。
この時の演出も今回と同じ久保田万太郎先生で、
西郷が上京を決意するところで舞台を廻し、紅灯ゆらぐ先斗町へ転換する
演出は、久保田先生の御創意に出ましたもので、亡き池田先生がご覧になったら
さぞお喜びなさったろうと、私も感心致しました。
延若の豚姫も定評のありました位、工夫を重ねたものでありましたが、
勘三郎の豚姫も凝り性のこととて、充分以上工夫を重ねまして、
登場するだけでも「ワアッ」と云う賛嘆の声が客席から起る位で、
全く彼の最近の当り役の一つでございます。

★昭和33年1月 歌舞伎座 前半の筋書で舞台写真なし
冒頭、大幹部の年頭の挨拶から

勘三郎
「この劇は、天下に演じますと、所謂笑劇に堕する危険性のある
作品ですから、この点を充分に考えて、あくまでこの危険性を
克服して行くべきだと思っております。」
と挨拶につづき一部芸談じみた話も。

演目紹介のページに載った絵看板

ふっくらとして柔らかい線と色合いで良い絵看板ですね。

池田弥三郎の寄稿から一文
西郷という人物をえがいて、作者はお玉にこう言わせている
「おそばにいると、ものにたとえていえば、こう、
大きな大きなお日さんの、一杯さした野辺にでもいる様な、
酔うたような気持ちになり、それから今までのわが身が顧みられて」
ここのお玉の述懐は、全編中でのことに身にしみる所で、
「大きな、大きな、お日さんの、一杯さした野辺」と言う所あたり
ふっと涙がにじみ出て来る。

★昭和42年4月 歌舞伎座
これも前半の筋書で舞台写真なし。七世芝翫始め成駒屋大襲名の月。

巻頭の出演俳優グラビアで主な優は扮装写真が載った

西郷は、今までの幸四郎に変わり八世三津五郎。

豚姫は勘三郎が引き続き演じる。
演目紹介のページに載った過去の舞台写真から

半次郎に勘弥、雛勇に東蔵、岸野は雀右衛門。

★昭和47年1月 歌舞伎座
豚姫に二世鴈治郎、西郷に八世幸四郎


雛勇に玉三郎、岸野に扇雀(現・藤十郎)、半次郎に勘弥

演目紹介のページ

久保田万太郎演出による と書いてある。

二世鴈治郎は戦後の記録を見ると
昭和27年に大阪、京都と豚姫を演じていて歌舞伎座では初めて。
小柄で痩身の鴈治郎が豚姫とは意外だが、元々上方の芝居という
自負もあったのだろう、芸で見せる気概が写真からも溢れている。

聞き書き
鴈治郎は他に吉田屋の伊左衛門、輝虎配膳の越路、中将姫の照日の前
関の扉の宗貞と大忙しで豚姫には久しぶりとひと言。

扇雀
京都風のやわらかい良いムードのお芝居で、私の勤めます岸野は
またとても洒落たお役で大好きです。このお芝居に出るのは
二十年ぶりで、前回大阪の時は、雛勇をいたしました。」

幸四郎
幕末の殺気立った時代のエピソードで、西郷さんみたいな英雄も
一面まぬけだったというところは、現代にも通じないこともないでしょう
時代の空気も感じさせるし、京都の風情もあり、池田大伍さんの
作品の中でもいいものです。

竹之丞
ふた昔前に大阪で岸野をしましたが、今度は大久保利通という
実在の人に扮します。歴史に名を残した人物は、うまくできるか
どうかは別として、目標が決められるだけ役に入りいいように思えます。

★昭和60年11月 歌舞伎座 前半の筋書

冒頭に載った絵看板、見慣れた画風ですね。

十七世勘三郎最後のお玉(豚姫)、二世松緑の西郷。
この3年前に亡くなった初代白鸚の役に、弟が替わった訳だが、
これも劇団制の頃には見れなかった組合せといえよう。

雛勇に現・時蔵、芸者岸野にベテラン我童、半次郎は二世白鸚
舞台写真がないのも残念だが、聞き書きもない。

戸板康二の ちょっといい話番外にて
・池田大伍の「西郷と豚姫」の初演は大正末で、文芸協会に大幹部でいた
東儀鉄留が西郷、お玉の役を肥った女にしないで、川田邦子が演じた。
のちに松竹映画のスターになった花柳界出身の女優で、豚姫という
わけにもゆかず、「西郷とお玉」にした。しかし大男の西郷と大女の
お玉の恋だから面白いので、作者としては不満だったらしい。
病気になる前の京塚昌子は肥っていて、芸術座でその柄をいかして
、岡本かの子に扮している。「西郷と豚姫」を幸四郎と共演させたら
と東宝のプロデューサーに言ったら、
「そんな企画持って行ったら、怒られます」
・幕が開くと、舞妓が四人いて、そのうちの二人が綾とりをしている。
大伍在世中に、明治座で七代目幸四郎と先代延若のを見たが、その時
大伍が僕に言った。「わかりますか、幕あきの舞妓の綾とりは
「五大力」の序幕の升屋から趣向をもらったんですよ。

余談
平成26年10月 十七世勘三郎二十七回忌・十八世勘三郎三回忌追善
この月の筋書で 出演俳優が思い出話を書いている。
その中で 扇雀が十七世勘三郎の豚姫のエピソードをあげていた。
「いたずら好きなおじさんで、「西郷と豚姫」で舞妓をしたときは、
お玉役のおじさんに毎日舞台で台詞にはない色々なことを聞かれました」
扇雀が出演したのは昭和60年11月の歌舞伎座でのこと。

以上、昭和の筋書から、
次回は平成の筋書から紹介いたします。