三代目市川右之助 東京初御目見得 | 木挽町日録 (歌舞伎座の筋書より)

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趣味で集めている第4期歌舞伎座の筋書を中心に紹介

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昭和31年9月 明治座
前年に大阪歌舞伎座で初舞台を踏んだ現 右之助が
寿海に連れられて東京初お目見え。
当時は関西歌舞伎というはっきりした区別があった。

冊中の挨拶

面影がありますね、8歳の頃です。
関西歌舞伎名門の二代目高島家市川右団次の孫斉儀を寿海が預り、
右之助を襲名させた、とあります。

本来はどこかのタイミングで右団次を継ぐはずだったと思うのですが
来年、平成29年1月市川右近が三代目右団次を襲名するのは衆知の通り。
同じ市川姓ではあるものの、右の字繋がりという単純なイメージだったのですが
右近は確か大阪出身という事で、そういう土地の縁も感じます。

役は「実盛物語」の倅太郎吉


斎藤別当実盛に寿海、瀬尾は澤村訥子。
他に「銘作切篭曙」という珍しい狂言で樽屋の丁稚を勤めました。

この月はもう一つ、後に歌舞伎史に刻まれる演目が上演されています
演目番付

坂東鶴之助(後の富十郎)に帰朝参加とあります。

これは母親の吾妻徳穂と、昭和29〜30年にかけて10ヶ月間海外公演に
出かけていて帰ってきた事を示しています。
そして、その海外公演で母親と踊っていた「二人椀久」を
この明治座で初めて大谷友右衛門(後の雀右衛門4)と組んだのです。

この後、半世紀に渡って同じコンビで練り上げられ
昭和の名作と言われる舞踊作品になりました。

余談
平成26年6月の筋書で「実盛物語」の女房小よしを演じた右之助が
聞き書きで初舞台の時のことを語っていた。

今回が五度目の役。昭和三十年代の二世霞仙や、三世福之助、
平成前後の六世菊蔵らが演じた小よしが目に残っているという。
「昔の方は舞台に立つ前、楽屋からお婆さんの雰囲気がありました。
そんな先輩方に一歩でも近づき、自然な感じで演れるようになりたい
ものですが、自然にしゃべり、自分の思いで台詞が言えるように
なるには、そう簡単ではありません」
子供のころ太郎吉を演じた。
「部屋子にしていただいた三世寿海のおじさんが昭和三十年、
三十一年にかけ実盛を名古屋、京都、東京、大阪の舞台でされ、
ずっとご一緒させていただきました。懐かしい思い出です」