「不知火検校」 | 木挽町日録 (歌舞伎座の筋書より)

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趣味で集めている第4期歌舞伎座の筋書を中心に紹介

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平成25年9月の演舞場公演 特別チラシ


ちなみに裏の上部はこう
撮影は若手俳優を撮って定評のある蜷川実花氏、以前
猿之助や染五郎のポスターも手がけていましたね。


この年は、歌舞伎座の新開場が4月にあり
歌舞伎座の9月、花形の「陰陽師」を向こうに回しての演舞場での歌舞伎公演
幸四郎の座頭、副将に三津五郎を配したが三津五郎は病気休演となった。
「松本幸四郎 悪の華相勤め申し候」と角書があって
昼の河内山、夜の不知火検校と悪役二役。
歌舞伎座開場で賑やかしい年だったが、演舞場での印象的な舞台として
記憶に残っている。

その「不知火検校」が平成28年4月にやはり幸四郎で
今度は新しい歌舞伎座での上演となるのだが、
元々は昭和35年2月に宇野信夫が17世勘三郎に書いた新作歌舞伎で
すぐに映画化され、勝新太郎と中村玉緒の出逢いのきっかけになったりと
話題作であった。初演の筋書、東京再演の昭和52年の演舞場の筋書、
また幸四郎の演舞場の筋書と3冊が手元にあるのでご紹介します。

昭和35年2月
時系列で同じサイズの舞台写真がナンバリングされて並ぶ珍しい形式
縦に2列だったが右列を載せます。

1番は冒頭で殺される正の市の場面。50年後に主役をやることになる
当時染五郎の幸四郎。こういう巡り合わせが歌舞伎の面白いところだろう。
初演では後の不知火検校の父親役も勘三郎が演じた、盲按摩を殺すことが
因果話の発端となる場面で、これは勘三郎自身の再演では割愛されたが
のちに幸四郎が演った時には復活されていた。
3番の奥方浪江(我童)が映画で中村玉緒が演じた役。


5番、湯島のおはんは後の四代目時蔵(当時芝雀)その母親役に多賀之丞
7番、最後に悪事がバレてお縄となる場面。ここの啖呵が見せ場。

(平成25年の演舞場の筋書の中から)
いかにも若々しい当時染五郎の現 幸四郎と勘三郎17。

鬼気迫るような白目を剥いた勘三郎。


作者で演出の宇野信夫の言葉
「悪人」徹頭徹尾悪い人間を書いてみたいというのは
長い間の念願であった。二月に上演を予定して、去年の暮れから用意した。
年が明けると主役を務める中村屋は、直ちに稽古をはじめた。
装置の下絵もその頃には出来上がった。こんなに熱心に用意を整え稽古を
はじめたことは珍しい。作者としてこんなうれしいことはない。
舞台の出来不出来は、明けてみなければわからないが、今度の芝居は
異常な熱心さで稽古を続けていることだけを言っておきます。

昭和52年2月の演舞場公演は 座頭の勘三郎に
澤村藤十郎、孝夫、玉三郎に勘九郎と若手が並んだ座組。

初演から17年、ふてぶてしさを増した勘三郎の不知火検校
この時は父親役を後の左團次に譲る、その女房に小山三。


浪江に玉三郎、玉三郎はおはんも演じてヒロイン二役
どちらも死んでしまうのは不憫だが…

恋人房五郎の藤十郎共々、不知火検校に殺されるところ。

作者、宇野信夫が余話 として 按摩に興味を持って書いた新作の話。
最初、半七捕物帳の「春の雪解」の徳寿を六代目に当てた話、その次が
「怪談蚊喰鳥」を六代目にと思ったが病気で猿翁が演った話、
次が「盲目物語」勘三郎の按摩と秀吉の二役で、作者としても大満足。
そしてその次がこの「不知火検校」で 今回は初演に大分手を加え
削除した所もあり、新しい場面もこしらえた。
或る人から、なぜこんな極悪人を書く気になったのかと質問された時
私はおおよそ次のような返事をした。
「大体私たちが悪人の活躍する舞台や残忍な場面を好む傾向のあるのは
どういうわけだろうか。現実では到底見られない情景を舞台によって見られるからか
或いは自分も一度やってみたかったという欲望、考えるだけで到底かなえられない
望みを舞台の人物がかなえて呉れるからか。または舞台の極悪人を見て、
悪い奴だなァ と高い所に立って批判する。その優越感が愉しいからだろうか。
或いは、人に知られないなら、自分もやってみたいという考えが心の隅に
ひそんでいて、それを舞台の人が実現してくれるからだろうか。
その他いろんな理由があろうが、検校が大詰で
「お前たちは眼あきのくせに悪いこと一つ出来ず、祭を愉しむくらいが関の山で
じじいになり、婆あになってしまうのだ。思えば不憫な奴等だ」と言う、この言葉を
苦笑をもって、ひそかな共感をもって聞いてくる人があるのではないか」
それはともかくも、芝居の醍醐味は、舞台に血の通った人間
ほんとうの世の中を出すことに尽きる。勘三郎氏をはじめ諸氏の協力によって
そうした舞台を作りたいと願っている。

筋書巻頭の勘三郎の挨拶から
(守田勘弥と同座した二月の演舞場公演が勘弥の死で勘三郎の
責任興行になったくだりから)
「もちろん私としましては不知火検校を久しぶりに演じますし、
この作品は宇野信夫先生が、私に当てて書き下ろして頂いた作品でもあり
常々再演したいと願っておりましたものだけに、新しい気持で上演する
つもりでおります。まだまだ若いものに負けていられないと張り切っております。
なお宇野先生とは岳父六代目菊五郎とのコンビで名作をたくさん発表して
いられますが、なかでも「巷談宵宮雨」は父も、宇野先生も代表作の一つで
私も度々上演しているものですが、このところ宇野作品には縁があり、
一月の歌舞伎座での「ぢいさんばあさん」も宇野先生の脚色演出で好評を
頂いたものです。その宇野先生が私のために書いて下さった「不知火検校」
ですから、ぜひ成功させたいと念願している次第です。
(二月の演舞場を毎年恒例にする意気込みを述べて終句とする)」


筋書中に聞き書きもあり(土岐迪子)
勘三郎
「不知火検校ほど悪い奴はいないでしょう。私はそんなに悪い人間では
ないつもりなのに、この役にぴったりだといわれて、情けなく喜んでいます」
という勘三郎は「前回は素晴らしい配役でしたがきっと今度も素晴らしいでしょう」
と大張切りだ。今度は、かつらをいつものとは変えて、本当の坊主の頭にみえるように
工夫したそうだ。そして前の間はより若くしたい、と云う。

玉三郎
不知火検校の初演の時、昼の部で玉三郎–当時の喜の字は、
佐倉義民伝の彦七、寺子屋の菅秀才を演じている。不知火検校の記憶は
「うっすらあります。四世の時蔵さんが猫を抱いていたのを覚えています」
あの可愛かった喜の字ちゃんが今度はおはんで猫を抱く。
「僕、猫はあんまり好きじゃない、大きくてノソーっとしている犬が好き」
だそうだ。陽気な動物が好き、というのは意外だが、もっと意外なのは健啖家
であること。好き嫌いはなく「しいて言えばお魚の粕漬けとおでんは食べません。
でも出てきたら食べないこともない」よく食べて、よく眠…れないのが
悩みのたねとのこと。

再演の際に増えた場面(幸四郎版ではカットされていた)で
富の市(後に不知火検校)に旅籠で騙される妾を演じた 門之助(先代)
「初演の時は富の市の母親役で、大道具が倒れかけてドキッとしたことがありました。
十七年たって、逆に私は役の上で若くなりました」
それも前回の貧しいかみさん役から一転してお妾役で。「宇野先生から
寒くて気の毒だけれど、湯あがり姿を浴衣一枚で色っぽくやってください。
と言われました」今月は歌舞伎座とかけもちでつとめるが
化粧を落とすひまがなく、会社に頼んで人力車で往復する。
「新橋芸者のような気分です」とまんざらでもない様子だ。
舞台でお色気を発散している門之助も、うちへ帰ると、女優市川八重、
タカラジェンヌ彩辰美、そしてもう子役の域を脱した市川小米のよき父親である。

澤村源之助
「私の役(夜鷹宿の女将)は前に芝鶴さんがなさったそうですが、
私は拝見しなかったのでございますよ。ひと場だけですけれども、
むずかしい役でございますね」 いつもながら女方らしい優しい物腰に、
つい、小さい時からおとなしいお子さんだったのですか?と失礼なことを聞くと
「女の子と遊ぶことが多うござんしたね。体操でとび箱などはやりませんでしたね。
棒っきれを持って駆けずり廻るようなことはしませんでしたね。」
子役時代の可愛らしかったことは、古老の語り草になっている。

源之助、古い筋書ではお馴染みの紹介写真である


平成25年9月 演舞場の筋書、聞き書きから
幸四郎「勘三郎のおじに序幕で殺される若い按摩の役でした。
53年後にまさか不知火検校を務めることになろうとは…
感慨無量ですね。昭和に出来た新作ですが、平成の現代に生きる
お客様に、面白い歌舞伎と感じて頂ける様な作品にしなければ
と思っています。それに久しぶりの宇野先生のお作です。
先生は私の為に数々のお芝居を書いて下さいました。
新歌舞伎における幸四郎の大恩人とも云える方です。そんな先生を
偲んで、心を込めて一所懸命勤めたいと思います」

弥十郎「(鳥羽屋丹治を演じる。昭和52年演舞場で上演された際にも出演していた)
本当に懐かしいです。当時21歳で町人や供の者で出演していました。
その時鳥羽屋丹治を演じていらっしゃったのが、7世寿美蔵のおじさんです。
丹治は共に悪事を働く玉太郎と一緒に出る場面が多く、玉太郎を勤めていたのは
亡くなった兄(2世坂東吉弥)でした。玉太郎の気がおかしくなってしまう場面が
あるのですが、非常に印象的でよく覚えています」

左團次(寺社奉行石坂喜内)
「(昭和52年上演の際は魚売富五郎役で出演)懐かしいです。前回は不知火検校の
父親の役でしたが、今回は悪事の限りを尽くす検校を最後にお縄にかける役。
36年ぶりの復活上演ということでq、当時の舞台の雰囲気を思い出しながら、
勤めたいと思います。」

翫雀(現 鴈治郎、指物師房五郎)
「歌舞伎では拝見したことがなく、叔父である勝新太郎の舞台のイメージが
残っています。」

最後に平成25年の演舞場公演、ラストシーンを

この痛快な悪人が、今度は歌舞伎座で観られるのが楽しみです。

※平成25年9月演舞場の筋書を入手しましたので
そこに載っていた初演時のブロマイドなど加えて再掲。