「1人できたの?」
主治医になるであろう先生に
初めて言われた言葉を今でも覚えている。

普通、がん告知を受けるときは
家族の誰かと一緒に聞くのだろうか?

私は気丈だ。
私は強い。
私は1人でも大丈夫。
私は…
私は…


そんなのウソ。

初めて主治医に声をかけられた
言葉を覚えているのは
心細かったに違いない。

人に甘えることができなかった。

長女気質なのか
甘える場所がなかったのか
甘え方を知らなかったのか




 私の診察の順番はやはり一番最後。

予約患者さんの合間に
診察していただけるかもしれないと
8時過ぎには病院に出向いたのだが
私の診察はお昼前になった。

でも待ち時間はそう長く感じなかった。

その時間は空想タイムだったのだと思う。

人は1日6万回~8万回思考するというが
8万回思考を巡らせると
確かに暇ではない。



 診察室に入ると先生は
前日に撮ったPETの画像と
紹介状に目を通し終えた様で

「1人で来たの?」と
私に質問したのだった。

そして首を触診する。
「細胞の検査をしましょう」

そう言われると
これでちゃんと私に診断が下るんだなって

不安と安堵感が入り混じった
変な感じがした。

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 処置室に行くとそこは何だかひんやりしていて

私がベッドに横になると
若い先生が注射器の針を首にさす。

細胞診、その検査は
痛かったのかそうでなかったのか
覚えていない。

結果が出るまで待合室で待つ。
その待ち時間も
長かったのかそうでなかったのか
覚えていない。



 診察室に呼ばれ
主治医の説明が始まった。

image
 
「甲状腺がんです。右側が原発で
左にも転移しています。
頸部のリンパ、胸のリンパ、肺にも
転移が見られます。」

「すぐに甲状腺を取り除く
手術をしましょう。」

「12月3週目に予約できますが」


(甲状腺だったのかぁ…)


「先生…」
「次男の成人式があるので
年明けにお願いしてもいいですか?」

息子の成人式を楽しみにしていた
母の気持ちなのか

転移しまくっているから
今更急いだところで
何も変わらないと思ったのか

手術日を先伸ばししてもらう。

年明け成人式の翌日月曜日に入院して
火曜日の手術が決まった。

(お祝いしてあげられるかなぁ?)




 手術の日程が決まると
先生は手術をするにあたって
沢山のリスクを話し始めた。

沢山沢山話していた。
説明された手書きの用紙に
私はサインをして
控えをもらった。



 なぜだか今でも理由わからないけど
手術をに対するリスクについては
先生が建前で話していて

私には関係ないと思い込んでいた。

これも悲劇のヒロインにはなれない
という感覚だったのだろうか。




 診察室をでて
その足でがん相談室へ

するとタイミングよく
耳鼻科の看護師さんがいらした。

「術後はどんな感じですか?」
と質問してみる。

「麻酔から覚めて4時間後には歩けますよ。」

その言葉を聞いた私は
安心して病院をあとにした。
元気な自分を想像できたからだ。

その言葉が地獄へと
拍車をかけるとも知らずに…


             つづく

 

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