「リウマチ感謝!STORY(1)そもそもの異変のはじまりは出産前後のドタバタ劇」の続きです。(※まとめ記事はこちら)
前回お伝えしたように、いわゆる難産だったため出産でかなりの体力を消耗し、フラフラ状態の私に容赦無く駐在所への引越しの日が近づいてきます(駐在所は家族住み込みで勤務する家付きの交番のような場所です)。
その時点でかなり引き継ぎを待ってもらっていたため、とてもじゃないけど「もう少し待って欲しい」なん言える雰囲気ではなく、退院の次の日には引越しを強行することに・・・。
当時は「頑張り屋」の性格で、疲労困憊の中でも自分で荷物を運んだりと、産後の日だちが浅いにもかかわらず、かなりの無茶をしたと思います。^^
夜は夜でおっぱいやおむつやで何度も何度も起こされるので、昼夜問わずにまともに眠ることもできず、かと言って人事異動の直後で忙しいダンナに手伝ってとも言えず、、、、見かねた実家の母が手伝いにきてくれましたが、少しずつ精神が不安定になっていきました。
そこにさらに拍車をかけたのが、ダンナの様子というか態度の変化でした。後で知ったのですが、出産に立ち会えなかったことに腹を立てていたらしく、私や母への対応がなんとなく冷たくなり、そんな理由があったと知らなかった私はそのことでもとても悩みました。
気づけば「死にたい」とまで考えるようになり、母の手前もあってなんとか気力で「カラ元気」を保っていましたが、母の手伝いが終わると、精神状態は一気に悪化。。。
生まれたばかりの娘に、能面のような無表情の顔で接し、ただおっぱいをあげておむつを変えるだけの日々。余裕が一切なくなってくると、娘が泣いていても動くことができずしばらく放置することも。
この時のことが、娘への「大きな罪悪感」として、精神状態が回復した後も何年もにわたって私を苦しめ続けることになります。
そして、もう一つ。ずっと後になって分かったのですが、引越し先の駐在所のある土地が昔は墓地だったとところだったらしい。。。 いま思い返しても、とっても気持ちの悪い家でした。。。
もともとは、どちらかというと超ポジティブな性格だったのに、あんなに坂道を転げ落ちるようにメンタルが悪化したのは、このこともあったんだろなと、いまとなっては思います。(笑)
→ 「リウマチ感謝!STORY(3)どん底の精神状態を救ってくれた娘と七田式教育」につづく(※まとめ記事はこちら)
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