「独立自尊」とは、簡単に言えば、自分の力で生き抜くということである。
すなわち、他者を頼らず自分の力で生き、自らの尊厳を守るということである。
独立自尊は福沢諭吉の考える日本近代化における根本理念である。
フック沢諭吉との対話を彼の弟子たちが教訓集の29条にまとめた「修身要領」に、独立自尊という言葉が用いられている。
独立自尊は、今でも慶應義塾のバックボーンとして、現役や卒業生である塾生の生きるための指針となっている。
福沢は江戸から明治を生きた人であるが、彼の独立自尊の気概が、現在の日本人にとって、不可欠な指針となる。
日本は大政奉還から明治を経て、西欧列強に対抗するため、富国強兵をスローガンに国力を高めた。
その結果、1867年の大政奉還からわずか50年後の1918年の第一次世界大の後には、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアと並んで、五大大国に列せられるまでに至った。
当時、日本は世界の中で最も尊敬される国であり、当時の西洋列強の植民地や非西洋地域における、人々の希望の星であった。
富国強兵を支えた精神的支柱は独立自尊であった。
福沢の独立自尊では、個人の独立の延長に国の独立があり、国の独立のためには個人の独立が不可欠であると考える。
福沢は「学問のすゝめ」第三編で、「我が日本国人も今より学問に志し、気力を慥(たし)かにして、まづ一身の独立を謀り、したがつて一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るに足らん。道理あるものはこれに交はり、道理なきものはこれを打ち払んのみ。一身独立しえ、一国独立するとはこのことなり。」と説く。
そして、「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切らず」と述べる。
先の大戦に日本は敗北し、占領軍GHQによってウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)と呼ばれる、日本人に対する洗脳が行われ、日本国家や日本人の誇りを徹底的に打ち砕いた。
以降、日本は独立自尊の気概が失われ、戦後の80年の間、国家も国民も米国に対する「従属保身」の精神が蔓延している。
この状況を、福沢は、「独立の気力なき者は、必ず庇護に依頼す。人に依頼する者は、必ず人を恐る。人を恐るものは、必ず人に諂ふものなり。常に人を恐れ人に諂う者は、次第にこれに慣れ、その面の皮鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥ぢず、論ずべきを論ぜず、人をさへ見ればただ腰を屈するのみ。いはゆる習い証となるとはこの事にて、慣れたることは容易に改め難きものなり」と述べている。(「学問のすゝめ」第三編)
戦後80年間、日本の売国的な、官僚、政治家、ジャーナリズム、学者、経営者が、のさばってきた。
トランプ大統領の再選によって、新たな世界が動き始めた。
トランプはアメリカ国民を守るために、反グローバリズム、反新自由主義経済、反ポリティカルコレクトネスを掲げ、歴史の修正に乗り出している。
トランプの主張は、福沢の独立自尊の主張と同義である。
トランプは諸国に対し自分の国は自分で守れと言っている。
日本も対米従属で保身ができなくなってくる。
「修身要領」の第二十四条には、 「日本国民は男女を問はず、国の独立自尊を維持するが為めには、生命財産を賭として敵国と戦ふの義務あるを忘る可らず。」とある。
他国に依存し、平和と唱えてさえいれば平和でいられるような時代は終わった。
独立自尊は勝ち取るものである。
日経の2025年3月3日の朝刊には、「改憲『賛成』最多の68%」の見出しが躍る。
従属保身から独立自尊の第一歩は、戦える国になることである。
70年間も憲法改正を党是に掲げて国民を騙し続け、さらに、国民から奪うばかりで国民を救う経済政策も実行できないよう、自由民主党には消滅の時が近づいている。
売国的な、官僚、政治家、ジャーナリズム、学者、経営者にも、退場してもらいたいものである。