ここ数日、万葉集についてお話しされる方とのご縁が続き、改めて「書く」ということを意識する機会に恵まれました。


万葉の人びとは、ちょっとした空模様の変化や、自然が移ろう歓び、悲喜交交の恋模様、死に直面したときの辞世の思い、たくさん歌に記して私たちに伝えてくれていますね。


自分の中の感性を言葉に残した人びと、そんな人たちが残した言葉から小さなことも見逃すまいと読み解く人びと、どちらも愛おしく感じます。


手帳に何を書くか。

歌い慣れた万葉人のようにはいかなくても、自分の中のちょっとした変化、さざなみを文字にしてみる習慣を持つことは、感性を磨くにはとでいいことだと思います。


もちろん、ぼーっと生きていてもいいでしょう。生きていること、それだけでしあわせなことなのですから。


ですが感性が曇ってくると「生きているしあわせ」すら感じにくくなるのではないかと心配になります。


そもそも、万葉集だって、編纂されることを想定したものでも、こんな千年以上先の人びとに読んでほしいと思って書かれたわけではないでしょう。自分のために、または特定の相手に伝えるために書かれたものです。


手帳の余白を見つけたら、ラッキーとばかりに「今」の気持ちを書き留めておく習慣、作ってみませんか。


次回は、書くことで自分をコントロールする方法について考えてみたいと思います。