この写真を撮った朝、インディはいつもどおりで。
夕方、突然旅立ってしまった。
いつか、「その日」は来ると思っていたけれど
やはり物事は突然やってくる。
生きることの延長線上に死があるように、
取り乱さないように、
最期までちゃんとわたしの手で見送れるように、
願わくば、最期のときを一緒に迎えられるように、
いろんな準備をしてきたつもりだった。
理性的にいろんなことを考えられたのも、
行動できたのも、インディがいたから…
突然いなくなって、
「どうしよう…」「インディがいない」
と繰り返すばかり。
三日三晩、
インディの大好きな腕枕をしていっしょに過ごした。
不思議なもので、保冷剤が溶けたらふと意識が戻って
きちんと交換していた。
エアコンを最大にしても、保冷剤を変えても
「生命」はちゃんと終わりを告げるもの。
大好きなインディの匂いが、違う匂いに変わってくるのを
少しづつ感じた。
「あぁ、これは執着だな、エゴだ」と気づく。
インディはとっくに次のステップに進んでいる。
お散歩と同じ。
いつもいつもわたしはインディのあとをついていくばかり。
ありがたいことに静かに見守ってくれていた
パパズ、ママズに「焼きます」と報告。
(インディは最初、仲間たちと飼い始めたのでパパママが何人かいる。その後、紆余曲折を経て母ひとり子ひとりになった)
自分で連絡する、と豪語したものの話もできず断念。
2、3箇所電話をして、一番希望に近い場所に決めてもらった。
今思うと全然冷静じゃなかったと思うのだけど、
どうすれば一緒に棺桶に入れるのだろう…と思案していた。ようやくまともに考え始めたことが、それとは…
最期に棺が炉の中に引き込まれていくとき、
「ありがとう、インディ」という気持ちが自然と浮かんだ。
一緒にいてくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
いつも待っていてくれてありがとう。
…ありがとう。
チベットでは、マントラを10万回唱えたら成就する、というのがあるらしい。成就、とはいわないのかな?
インディにありがとうを、10万回伝えよう。
そうしたら、この感謝の気持ちが伝わるかな、と。
数珠が108個。10回で1080回。100日続けたら、だいたい10万回。
100日続けると、それは習慣になるという。
インディを思うとき、いつもいつも感謝であふれるように。
100ヵ日が過ぎ、10万回のありがとうはインディに届いたかな。
更新がなさ過ぎて消えてしまった…