風水をよくしようと言われる
”これこれをすると恋人ができます” ”これこれをすると夫婦仲がよくなります”
”これこれをすると仕事が順調にいきます””これこれをすると健康になります”
etc……
まるで節分に柊をイワシの頭に刺して飾るような、ちょっとおまじない的な
迷信のような気もするが、一理あるように思う
「鏡は自然光のあたるところに置き朝のメイクもその鏡でするように」
仕事から帰り、パソコンや携帯を見ながら食事をし、後片付けもしないで
ソファーで寝落ち…
朝、カーテンも開けずにテレビのニュースをつけ、昨夜のままのテーブルに
鏡を置いて急いで化粧
なんだか、昨夜の飲み残したビールの臭いを纏っていきそう
これに対し、カーテンを開け外の空気を入れ、自然光のあたるところに鏡をおいて化粧をしたら、
「あ、今日は少し曇りでひんやりしているから、落ち着いたメイクにしよう」
とか、「今日は、爽やかな初夏の日差し 明るい爽やかなメイクにしよう」
「お洋服は、今日はこの色が似合う」という風になり、いい香りの香水もつけたくなる
「お部屋を整えよう」
散らかっているお部屋。別に彼がいるわけでも来るわけでもないし、誰かに
迷惑かけているわけでもないし疲れているんだからいいのだけれど、お部屋を整え、
綺麗になってきたところでふと鏡にうつる自分をみると、「誰?このオバサン」
となり悲鳴をあげたくなる
汚い部屋にいるときは、同化してるから気が付かないが、綺麗な部屋になり
鏡に映る自分をみると、「うそでしょ?!」となる
髪は、ボサボサ、肌もくすんで、猫背でヨレヨレの部屋着
「鏡よ、鏡、この世で一番醜いのはだ~れ?」「お前だ~」だ
部屋に合う人になりたくなる
出かけるときにとても綺麗にしているつもりでも、生活は後ろ姿にでる
汚い部屋を背負っているのが出る
「生花を飾ろう」
花の値段は高いし、食べれるものでもないし、すぐに枯れるし水も変えないといけないから面倒くさい
しかし、ここは
もうナルシストの世界になるのだ 自分に酔うのだ
わざわざ、ケーキではなく花を買って帰る女なのだ
部屋に花を飾っている女なのだ
そして、何より生花の美しさったらない
うっとりする
可憐に咲いてる姿をみると自分もそうなろうと思えてくるし、自分もそうじゃないかと錯覚してくる
毎日違ったお花の魅力を見つけ、「あ、今日の私はこういう女性でいよう」と真似までしてしまう
優美な微笑みになる
夫婦仲が悪かったりしても、もしかしたら部屋に花が飾ってあって
妻が綺麗に微笑んでたら
”今夜はお花をプレゼントしようかな”と思ってくれるかもしれない
彼が来た時に花が飾ってあったら、その時は何も言わない感じてないようでも
ふと花が飾ってあったな~と思うかもしれない
花を贈られる人でいたい
「家の四隅に盛り塩」
家の四隅に盛り塩をして、毎日のように塩も取り替えて清めると厄払いになるとなってるが恐らく、家の四隅まで盛り塩をするということは、色々なことの細やかな
ことまで気にかけ細部まで注意を払えるようになるということではないだろうか
「トイレは、いつも清潔に」
日に何回も行くトイレが臭く汚れていたら、日に何回も不快になることになる
においと言うのは、脳に直結していて一番先に本能反射する
だから、嫌な臭いを嗅ぐということは本能で日に何回も危険な状態と脳が反射することになり身体に良いとはいえない
用を足した後を綺麗にして出るといのは、後ろを振り返り確認を怠らないので
ミスが防ぐことにつながってるのかもしれない
etc……風水もこれはダメ、あれはダメじゃなく昔から言われてきてるものには何らかの願いや納得する理由があるように思う
心地よいものを取り入れて素敵に脱皮していけたらと思う
ありのままの私を受け入れて欲しいと、皆思ってる
そのありのままをアップデートしていけたらと思う