ルーチンといえば聞こえがいいが、それはただの強迫観念をごまかすための強迫行為の反復なのではないか。

 

そんなことを、朝方のルーチンということになっている一杯のコーヒーをすすりサンドイッチをもぐもぐと食べるという一連の作業のなかでふと思うのだが、これが強迫行為でしかないとしても、こうしないとどうにも朝が始まった感じにならない。

 

さして空腹感を抱いているわけでもなく、朝ごはんを食べる必要性などまるで感じないのだし、「今日はなにも口にいれたくはないな」と思っているようなときもあるのだけれども、ルーチンは遂行される。

 

一度ルーチンが組み立てられてしまった以上、このルーチンに支配される。
たとえ一日でもこのルーチンを破る日がきたら、自分は全面的な破滅に襲われることになるのではないか、という不安にかられる。

って、どうも、やっぱり強迫観念っぽくなってくる。

 

飲みすぎた翌日で「なんでサンドイッチなんか食ってんだ」と疑問にかられながらも、サンドイッチを口に運ぶ手を止めることができない。

このルーチンワークにそこそこの美味しさがあるのはいいことだけれど。

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