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艶がについていろいろ。
基本、翔太くん推しです。

昨日はなかなかエエ気分で酔っ払ってツイッターにあれこれとつぶやいたけれども、今朝起きてから
「あああ…」
とは、なっていない(笑)。
よかったよかった。昨日の酒はうまかった。家で一人第三のビールやけども、うまかった。

気重業務もいよいよ終わりが見てきましてですね、昨日もまたでかい案件をひとつ終わらせました! イエアー。
あと半月なんやけれども、現在本職がかなりバタバタしておりまして
「あ、これ無理やな」
ちゅう状態になっております。

その旨は今月頭に気重業務にも連絡して、今月はほぼ気重業務にはかかわっていない。
もうこのまま最低限のことだけやってフェイドアウトしていこうという魂胆なわけやけど(笑)、それに対して
「やめるにしても最後まできちんとやりなさい」
と、いう人もいる。そりゃそうよね。(;^ω^)

去年までの私なら
「どうしよう…」
とか迷ってそうやけど、現在の私は1ミリの逡巡もない。途中で放ったらかすのがアレやから、今年一年やったのだ。綿々と続く話なので、どこかで自分が区切りをつけないと、いつまでも切れないと思うねん。
どこでやめるかは、俺が決めるー。@からちゃん

まあまあ、イイワケはエエねん。笑
私をかってくれてはる方には後ろ足で砂やったか泥やったかかける形になるんかもしれへんけど、もうそれもしょうがないかと思う程度には、追い込まれております。

我慢すれば、何かが報われるって思ってるねん。
でもそれって、何か違うよね。
何かを成し遂げるために我慢をすることはあっても、我慢をすれば何かを成し遂げられるとは限らない。
その微妙なニュアンスを、はき違えがちやなあと自分でも思うわ。

我慢せんでいいわけじゃない。でも、我慢すればオッケーではない。我慢と努力は同じものではないから。
努力は自慢してもいいけど、我慢は自慢することじゃない。

どうせなら、我慢せんでもできるよう、知恵を絞って努力をすべきやろう。

今ならそう思います。
普段グダグダな私がここまで言い切れるんやから、今年はほんまにきつかったんやろうな。



さてそのほか、先日読んだ本でオードリーの若林氏が、
「今言ったことを今理解してもらえると思わない」
と、いうようなことを述べてはって

「なるほど!!」

と、目から鱗がめっちゃ落ちた。
いわゆる今日は種を植えたぐらいに思っておくのだそうだ。いつか芽が出るだろうと。

そうやわ!!!

それはまさに子育てで一番大事なことちゃうか!!

ムスコにあれこれと口出しをするのは今年までにしようと思ってるねん。
いや、普通にはいうけど、もうこれ以上はいいのか…みたいな。
ちなみに何をいうてるかって、

あいさつをしろ(特に「はい」と「ありがとう」)
他人に言われてることは自分にも言われていると思え
他人の行動をよく見ろ
メモを取れ

そんなようなことやな。まあ、あんまりできてへんけどね…。


毎度毎度いうように、
「テストで必ず100点」
とかいうてるわけじゃないので、簡単にできるやろう!? と、思うんやけど、まあ、できないのかやらないのか。
いずれ彼が就職したころに
「そういえばお母さんがこんなことを言うてたな」
程度に思ってもらえればいいや
と、思うことにする。

ハッキリいうて、私もそこまで付き合えない。(;^ω^)


親って、完璧じゃないねんな。いや、当たり前やけどな。

今って、「毒親」って言葉がめっちゃ流行ってる(?)やん。ほんで、その言葉の意味を知る年代のほとんどが

「うちの親も『毒親』やな」

っていうわけやん。
まあ申し訳ないけど、たぶんにもれず私も両親は毒親の部類やろうなあと思うわ。でもそう思う私も、子どもらから見ればたぶん「毒親」なんやろうなとふと思って。

長女が生まれたときにまず思ったのは
「私とこの子は別の人間なんやなあ」
やったのは前述の通りやけど、別の人間なので、考え方も感性も違うねんな。
それぞれが「親」に求めるものは違っていて、求めるものを返してもらえなければ、「毒親」と、いいたくなる(こともある)かもしれへんねんなと思った。

なので、それはそれでええんかもしれへん。また成人してから親のことをどう評価しようと自由やし、ある程度の年齢まで最低限の生活をさせてくれるのが親。子どもに対して最低限の生活をさせるのが親。なんか、そんな気がする。

たまたま気質があえば楽しい家族関係も築けるんやろうけど、ひつこいようやけど違う人間やからなあ。
家族ということだけで、必ず気質が合うってことも、ないやろうしね。

親=神、だったり、親やから言うことは絶対、と、いうような繋がりしかなかったら、その親が
「社会的に見て、この人おかしくないか…?」
と、いうのがなかなか認められへんねんなあ。
ひつこいけど、私ら世代はたいがいそう育てられてるやろ。
親のいうことは絶対やし、それに反抗するのが反抗期かつ青春、的な。

私は中学、高校のときに散々それで苦労して、たぶんそれを抜けたのはやっとハタチを越えてからやったと思う。
ああ、うちの親って、神じゃないな。だから、すべて言うことを聞かねばならんということはないねんな、と、気づくまでじつに20年ぐらいかかってる。

親=神をあまりにも植え付けられてる世代なうえに、あまり激しい気性じゃないせいか、神である親のいうことが納得できないことを親にぶつける前に、納得できない私は悪い子なんだ、と、いう思考になってんな。
まあ、それもよくある話。
こういうベースがあるからDVも招きがちなわけやけども、まあなんちゅうか、子どもらは、親である私は絶対でないと思っておいてもらえればいい。

若いということだけでも、私を越えてるんやもの。まあ、多少学べるところがあるなら学んでもらえれば…。
それよりも自分の価値観を大事にしてほしいな。

つい、自分がやりやすいようにああせえこうせえいうてまうけどな。(;^ω^)