Q.エヴァを語る資格とは?〜『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 記録集』 | HYGGE 創作活動·読書感想

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「語りえぬものについては,沈黙せねばならない」
ウィトゲンシュタイン

ーーのだろうか?


4月の末から5月頭にかけて。新型コロナの緊急事態宣言下に基づく自宅待機要請にあったその頃、私が何をしていたかというと。

YouTubeでエヴァ見てました。

ええ、かの有名なエヴァンゲリオンです。旧エヴァではなく新エヴァでございます。1995年〜96年に放送された旧エヴァこと『新世紀エヴァンゲリオン』のリメイク映画全4部作としての新エヴァ。
『序』、『破』、『Q』がすでに公開されております。

その3作品が公式YouTubeで一挙無料配信!、ということで一気見をした次第。

もともと自分はエヴァという作品には食わず嫌いな苦手意識を持っておりまして、2、3回ほど
・録画に失敗したり
・「アスカ来日」で挫折したり
などを繰り返しており、昨年NETFLIXだったかで旧作の完全履修をようやく終えたという感じ。サブスクって便利ね。

それまでは「エヴァ」の要素を持ってこられてもピンとこず、例えばある日私が考え事をしていると自分の手を口元に当てる仕草が完璧に碇ゲンドウ状態になっていたのでその"ネタ"を拾ってくれた当サークルの柚月さんが
「ドゥン、ドゥン、ドゥン、ドゥン、デンデン」
と例のエヴァのテーマを口ずさんでくれても肝心の私は自覚がないこともあいまって、完全に
「???」
と反応できず。ボケ殺しな失礼な話である。
(最も恐ろしいのは、無知識と無意識にも関わらず自然と碇ゲンドウポーズの境地に到達してしまう、コイツの痛さである)


えー、閑話休題。

ということで、新劇場版3作品を見終わった私は身支度をして家を出た。
「駄目! 『Stay Home』ってYouTubeの広告でさえしきりに言ってるじゃない、自粛しなさい!!」
いや、ちょっと待ってくれ。自宅待機は防疫の肝心かなめだが、さすがに食料を買わないとコロナ以外の死因で死ぬんです。薬局でマスクが売り切れようとも、カップ焼きそばと牛乳パックぐらいは売ってるんです、頼むから買い物にくらい行かせてくれ。ちゃんと自前のマスクもして出かけますので。
ーーで、その道のりに新古書店がございまして。本屋のたぐいに長らく足を運んでいなかった自分は、大変罪悪なことにそこにふらりと吸い込まれてしまったのです。それが神の悪戯(「悪戯」と書いて「いたずら」と読む)とも知らず……!

「新型コロナの対策に伴い、店内での立ち読みはお断りしております」
日頃聞いたこともないアナウンスに改めて背筋を伸ばす。新古書店と言えばマンガコーナーでの客の立ち読みが定番である。自分は立ち読みが苦手なので(※体力的に)、普段から立ち読みはしないので通常運行である。ただ違ったのは、その時の気分が
「小説とかではなく、軽い図録でも買って帰ろうかな」
というものだったことだ。あまり前に立ったことのないコーナーに足を止めると、目はすぐさまその薄い冊子に吸い込まれた。
「こ、これは……!」



3.0、すなわち3作目『Q』のことですね。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 記録集』。

大層なタイトルついとりますが、まずおそらくこれ、映画公開時のパンフです。中古なので確証無いですが。

YouTubeとは言え初視聴を果たした直後にたまたま訪れた新古書店の特定の棚にたまたま立ち、そこでたまたま『Q』の映画パンフレットの在庫があった。たまたま誰かが下取りした名残り。

2012年の作品ですよ!?、『Q』。
8年の年月を経て、目の前に。

買うしかないでしょ。この値段だし。


Stay Home。さっさと88円(税込み)を支払って店を後にし、薬局での買い物も済ませる。

かくして、じっくりと読んだわけですが本当に興味深い。半分は映画本編やキャラ設定などの図版で、残り半分はキャスト声優さんのインタビューなのですが、これがボリューミーかつ面白い。


「エヴァ」と言えば難解なアニメとして知られているわけで、だからその解説文や動画がネットにもたくさんあるわけです。作者の庵野さんがいちいち説明してくれると助かるけれど、そんな作品ではなく。

そうであれば、作品制作に参加された方のインタビューというのは一級のヒント集になるはずなのです。はずなのです。ほんとは。

ところが。


・宮村優子(アスカ役)
(※台本を)何度読んでもイメージがはっきりつかめないままで。
・坂本真綾(マリ役)
実は物語そのものの流れは、よく理解してなかったかもしれませんね。
(中略)(※マリの過去の経験について)設定としては、私は分かってないんですが。
・三石琴乃(葛城ミサト)
役者にも「エヴァの世界が分かってる派」と「分からないなりにがんばってます派」があるんです。私は後者で、まったく分かっていない方です(笑)。
・山口由里子(赤木リツコ役)
私には庵野さんの壮大な世界観が分からないんです。自分の主張よりも、庵野さんが考えているところに近づきたい。その一心でした。
・立木文彦(碇ゲンドウ役)
ゲンドウという役は僕もつかみどころがなくて、いまだにわからないことが多いんです。それは内容的な「謎」の部分ではなく、ゲンドウのやろうとしていることですね。もちろんボンヤリとは分かるんですけど(……※以下略)
【敬称略。括弧書き中"※"は引用者追記】

こういう切り取り方は好みではないのですが、すみません。
一応、文脈を壊さないよう引用はしたつもりなんですが、エヴァファンでなくとも、声優の知識がある人にはご存知の主要有名キャストたちが公式の場で「理解してない」「分からない」と堂々と表明してるってかなり凄い情景ではないかと。

普通、出演者のインタビューって「いかにこの作品が素晴らしいのか」「どこの演技に力を入れたか」が集中するだろうし、もちろんこのパンフレットでもそういった内容がメインを占めてはおります。
が、「役者が作品、ひいては総監督のビジョンを理解していない」って通常はネガティブな情報でインタビューとして答えるには憚られる気がします。

それが、こんだけ「分からない」の声を山積みに出来てしまう。

「難解」という世間的なイメージとそのイメージが事実であるエヴァンゲリオンならではかもしれません。

緒方恵美さん(主人公・碇シンジ役)は、まあ『Q』を見れば分かるのですが劇中、恐ろしく精神的につらい立場におかれているので、そんな主人公を演じるにあたっての心中をかなり踏み込んで語ってくださってます。林原めぐみさん(アヤナミレイ役)も今回特有のフラットな印象のある演技についてメタ的な視点も含めて語っていらっしゃいます。

対照的なのは石田彰さん(渚カヲル役)で、旧エヴァの頃からかなり特殊な立ち位置な役柄ではあったおかげか、どうやらかなり詳細な設定を庵野総監督からきちんとレクチャーされている"らしい"ことがインタビューから窺えます。でも逆に「この人、教えてくれないだろうなー。口止めされてるだろうなー」ということもまあ、薄々と感じさせる。


つまるところ、「声優さんを問いただしても、欲しい答えはたぶん得られん」というあけすけなお話でございます。エヴァ特有の進行方針のためかとも思いますが。

それでもA4サイズ全33ページのインタビュー集が成立しとるわけです。この厚みは、声優さんが役を演じるということのほんの一端にすぎないのでしょう。
これは、物語世界やキャラクターの過去のことを知悉せずとも脚本上の文脈やディレクターの指示を受けてそのキャラクターに合わせた声を作り出すことは可能である、というわりと恐ろしい話で、ところでこのブログの運営母体は一応"創作サークル"を名乗っておりまして小説などを書くわけです。

フィクションという嘘を作るにあたって箴言(しんげん)というのはいくつもありますが、そのうちで「知っていて嘘をつくことと、知らずに嘘をつくこととは違う」というのがあります。物語の種類も関わってはきますが、現実に近い描写をしたほうが広い層の読者も感情移入しやすくはなります。ファンタジー世界にトマトらしき野菜を登場させるとして、キャラがその皮剥きをリンゴを剥くようにしていたらその時点で多くの読者はドン引きするわけです。
またその小説が例えば古代中国っぽい世界観だとしてそこでトマトの育成がなされていたら、トマトの原産地は南米であることを知ってる人はその嘘に醒めてしまうかもしれない。
でも「我々の世界の歴史とは違うのだな」という描写をきちんと積み重ねておけば、古代中国で老夫婦と子供がトマトを育てる風景をフィクションとして受け入れてもらえる可能性が出てきます。

小説を書くことと声優を演じることはもちろん違いますが、「フィクションという大嘘を受け取り手に信じてもらう義務を持つ」という点では似ています。

おそらくではありますが、エヴァを演じるにあたって、声優さんたちはあの世界観についてではなく、自分たちが聴かれていること、自分たちが観られていることを深く理解した上で嘘を演じていたのではないかと思います。

綾波を救ったと信じていたら実は世界を滅ぼしかけていた碇シンジを。
過去という情報が不要で、何も考えずにただエヴァに搭乗するアヤナミレイを。
かつて所属していた組織を壊滅させる闘いの陣頭に立つ葛城ミサトを。

彼らを観る我々が受ける驚きを理解した上で。

エヴァを演じる人間がエヴァを語りえるほどに理解する必要はない。エヴァを観るものがエヴァを理解する必要はない。

エヴァが理解される以前に、エヴァを通して観客が理解されているのかもしれない。

映画のエンドロールとはそういうもので、それを観終わって「面白い」なり「クダらない」なり「腹が立つ」なり、何らかの感情をいだいたとき、あなたのその感情の動きが発生するであろうことを見透かしていたかもしれない人たちの名前が、黒地のあの画面には羅列されているのです、声優に限らず。


「分からない」「何が分からない?」ということを語ることによってそれにまつわる情動かあるいは本質さえ語ることは可能かもしれないし、「語りえぬもの」を指をさすこと自体がそれを語ることとほぼ同義ともなりうる。

何らかの心情なり行動を取った時点で人は語る資格を獲得する。


A.何らかの形でエヴァを知った人間すべてにエヴァを語る資格がある。


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