ぼくは誰にも話すことができない。
当たり前だ。
だって、ぼく自身が誰でもないんだから。……
(p.10)
フランス人作家による、アメリカのとある町を舞台にした異色ミステリー。原題は『Les Quatre Fils du Docteur March』。
会話の文がなく地の文もない、と言ってもいいだろうか。
本書のほぼ全体を構成するのは「日記」。
ある家で働き始めた女中のジニーの日記と、そしてある人物による日記だ。
その「ある人物」は自分は人を何人も殺してきたと告白し、その殺人の過程を克明に記述する。
そして自分がマーチ博士の子供であると述べる。
この「殺人者の日記」を働き先の家のなかて見つけたジニーは愕然とする。今まさに自分が働いて居候している家の主こそマーチ博士であり、マーチ博士には確かに男の子供がおり、同居していたのだ。
しかしその日記を発見してもジニー自身、実は前科持ちでしかも身元を隠した窃盗の逃走犯であるために「日記を警察に持っていく」などということができない。
そして何よりも。
マーチ博士の息子は四つ子なのだ。
「殺人者の日記」を隠れ書いている者はその四人のうち誰なのか判らなければ、告発も、自分の身を守ることが出来ない。
続く不審死。
重圧に耐えかねて、酒をあおりながらジニーは殺人者との孤独な格闘を乗り越えるための乾坤一擲を探る。
しかしジニーが日記を隠れ読んでいることが殺人者にバレてしまい……。
ジニーの日記と犯人の日記とが交互に提示されることで語られるミステリー。最後に勝つのは果たして。
翻訳についても、ジニーの日記の部分を藤本優子さん、殺人者の日記を堀茂樹さん、と担当を分けており輪をかけた緊張感が本作を通底している。
原作・翻訳ともに意欲作。
(志田佑)