2022.11.14①

 

 

今日は体調が回復してたから、6:30に宿を出てマザーハウスへ。

 

 

歩き始めてすぐに、会うたびに「乗れ乗れ」とうるさい顔なじみのリキシャワーラ―の爺さんが、

「マザル(マザー)ハウス?」って聞いて来た。

 

 

昔から断ってばっかりだったから一回くらい乗ってあげようか。

 

「いくら?」

 

「ワンハンドレッド!(約180円)」

 

「(相変わらず欲深い爺さんだな凝視まあいいか。)OK!レッツゴー!」

 

って言うと、爺さんはまさかOKって言うとは思わなかったらしく、慌てて準備を始めた。

 

 
ガタンガタン。
 
いつものムスリム街を通って行く。
 
一生懸命歩いてくれてるけど、自分の足で歩いた方が速いくらいのスピード。
もう72歳らしいから、乗っていてちょっと心配になったわアセアセ
 
道中ずっと、やっぱり500ルピー欲しいだとか家族がどうとか生活が大変だとかブツブツ言い続けていたけど、
 
爺さんは、昔から外国人相手に一発でドーンと儲けようとサダルにたむろしていたリキシャワーラ―の一人で、
怠け者のイメージしかない。
100ルピーでも十分多いと思うよ?
 
 
え?100ルピーしかくれないの?
 
見てこの不満げな顔!!「フンッムカムカ」って声が聞こえて来そう。
 

人の生き様って顔に刻まれるよね~とつくづく思う。

あ、別に爺さんのことだとは言ってないけどね爆笑
 
 
マザーハウスに到着。
 
 
既にボランティア担当のアメリカ人シスター、メルシーマリアと外国人ボランティアたちが集まっていて、
今日の活動先などについて話し合っていた。
 
 
本来、ボランティアをするには週三回あるオリエンテーションで登録をする必要があるんだけど、
今回は一日だけだから当日にOne Day Passを出してもらうことになっていた。
 
 

バラナシに行く前に、間違った日に登録に行っちゃった話下矢印

 

シスターは私の事をちゃんと覚えていてくれて、

「あなたは例の女の子を探しにシャンティダンに行きたいって言ってたわよね。」と、One Day Passを書いてくれて、

 

 

同じくシャンティダンに通っているフランス人医師の女性に声を掛けてくれて、一緒に連れて行くようにと言ってくれた。

 

 

以前は入りきらない程のボランティアが世界中から集まって来ていたけど、

今朝は数えてみたら15人程しか居なくて、私以外全員ヨーロピアンだった。フランス人が特に多い。

 

 

以前はボランティアの為に毎朝パンとチャイとバナナを用意してくれていたんだけど、それは廃止になって、

その分を路上の人たちに配るようになったそう。その方がいいよね。

 

 

フランス人ドクターのマリズ?と一緒に近くのバス停へ。

私がシャンティダンに行くのは全く初めてだから、マリズが居てくれて助かった。

 

 

バスに乗りながら、

 

「シャンティダンにソニアって言う女の子が居るかどうかわかる?
最初はシシュバヴァンに居て、その後はダヤダンに移ったの。
 
シスターはダヤダンに居た女の子たちはみんなシャンティダンに移ったって言うんだけど・・・
一番可愛がっていた子で、その子に会えたらと思って今回来たの。」
 
って聞いてみると、
 
「ソニア・・・ちょっとわからないけど、マーシー(インド人ワーカー)に聞いてみるわ。
Don't worry. We'll find her.」
 
と言ってくれた。
 
 
途中のパークサーカス辺りで、バスの窓から見えた別のマザーテレサの施設、プレムダン。
ここには一度だけお手伝いに来たことがある。
 
バスを降りてからは15分くらい歩いた。
 
シャンティダンに到着。
 
マリズの後に続いて入っていく。
 
へえ~こんなに敷地が広くて、緑がたくさんある施設は初めて!すごく環境がいい。
シシュバヴァンもダヤダンもビルの中にあって、狭いし自然は全く無かった。
 
畑もあるみたいだった。
 
こんな明るい屋外の公園まである。
 

施設にはボランティア用の部屋があり、鍵の掛かる戸棚にバッグを入れて、エプロンを付けて施設へ向かう。

 

 

中に入ると、体の動く軽度の障害のある女の子たちが歩いていた。

ソニアはこの施設に居るんだろうか?元気なら26歳になっているはず。と思っていると、

 

 

マリズがあるマーシーの所へ行って何か話した後、私の所へやって来て肩に優しく手を置くと、

 

「I'm so sorry・・・」

 
ドキーン。
 
 
「She passed away a few months ago.」(彼女は数か月前に亡くなったわ。)
 
 
その瞬間、ワッと涙が溢れ出た。
 
 
遅かった。来るのが遅かった。
何でもっと早く来なかったんだろう?
 
 
コロナが無ければ2年前に来ていたはずだったのに。
でも、コロナのせいじゃないね。
コロナ前にもいくらでも来るチャンスはあったのに10年も来なかったんだから、私のせい。
 
 
自由に動けた若い頃は、夢中になって繰り返しボランティアに通っていたのに、
世界一周後は日本で落ち着いた生活をするようになって、日本での保育士の仕事が楽しくて充実していたせいか、
 
 
10年前に最後に来た時に突然『もうマザーハウスは卒業でいいかな』と言う気持ちになって、
それ以来足が遠のいてしまっていた。
 後悔しても遅い。もう会えなくなっちゃったんだ。
 
 
廊下で泣いている私の顔を、軽度の障がいのある女の子が不思議そうに、心配そうにのぞき込んでいる。
「ごめんね~。心配になっちゃうよね?」と、涙を拭いて部屋に向かった。
 
 
ボランティアに来たんだから、ソニアが居なくたってちゃんとお手伝いしないと。
 
 
シスターにソニアの事をもう一度聞いてみると、
「数か月前まで元気だったわよ。よく喋ってたし。」って言う。
 
 
重度の脳性麻痺で寝たきりだったソニアは、
泣く時とすごく嬉しい時にたまに声を出すくらいで、言葉を話すはずはない。
 
 
「え??喋ってた??それはソニアじゃないと思います。ソニアは喋れません。」って言うと、
 
「でもシシュバヴァン、ダヤダンから来たソニアはそのソニアだけよ。」
 
 
え~~~?ソニアが喋ってたって言うのは信じられないな。誰かと間違ってるんじゃない?
(シスターは管理者であってケアまではしないことが多いから、一人一人のことはよくわかってないのかな?)
 
 
諦めきれず、同じような障害のある女の子たちがずらりと寝ている部屋で一人一人の顔を見てみたけど、
やっぱりソニアらしい子は居なかった。
 
 
そして、ダヤダンに居た女の子は全員移って来たと聞いていた割には、見覚えのある子はたった2人しか居なかった。
やっぱり他の子たちも亡くなってしまったのかな。
 
 
部屋の中には50程のベッドが並べられていて、寝たきりで体がねじ曲がったまま固まってしまっているような
重度の障害の女の子たちが寝ていた。
 
 
消毒液と糞尿の混ざった臭いに一瞬ウッとなる。懐かしい臭いだと言えばそうだけど・・・アセアセ
相変わらず紙オムツではなく布おむつを使っているから、
夜の間に排泄したものはオムツを通ってシーツまで濡れてしまっている。
この状態で何時間放置されているんだろう・・・
 
 
マーシーたちが一人一人を車いすに乗せて、シャワーの場所に連れて行っているようだった。
ベッドが空いた後、私は全部の枕カバーを外していくように言われた。
 
 
その後は、消毒液で拭いたベッドにシーツを掛け、ベッドがおしっこで濡れないようにビニールシートを掛けて行く。
 
 
そこへフランス人と韓国人のボランティアがやってきた。
既に一週間程お手伝いしているようで、色々教えてくれた。
 
 
次に洗濯物を屋上に干して来て、と言われて洗濯場へ行く。
以前はマザーテレサが一切の電化製品を使わないと言うポリシーだったため、全てが手作業だったけど、
今は巨大な脱水機だけ導入されていた。
 
 
脱水機が入っただけで、マーシーたちの仕事はかなり楽になったと思う。
大量のシーツや洋服、オムツを一つ一つ手で絞るのはものすごく大変な作業だったもんアセアセ
 
 
たらいに大量の洗濯物を入れて屋上へ向かう。
これはむか~しのシシュバヴァンの屋上の写真だけど、どこの施設も屋上でこんな感じで洗濯物を干す。
 
 
洗濯物を欲し終わると休憩の時間。
朝通った中庭でチャイとパンをいただく。懐かしいマザーハウスのチャイの味は変わっていなかった。
 
 
もう一人の若いフランス人医師の女性が「Are you Sonoko?」って聞いて来て、そうだと言うと、
「シスターからあなたにこれを預かって来たわ。」と言って、ペンダントをくれた。
 
 
本当はオリエンテーションに参加してボランティア登録をしなければ貰えない物なのに、
今日一日だけの私の為にも用意してくれたなんて、ありがたい。
 
 
そのフランス人の女性に「シスターメルシーマリアに会ったら、ありがとうと伝えて。
それと探していた女の子、ソニアは亡くなっていたと伝えてね。」とお願いした。
 
 
休憩後に施設内に戻ると、体の動く障害の軽い子たちはインドポップスに合わせてダンスの練習をしていた。
見ていると、そのうちの二人が22年前にシシュバヴァンでお世話をしていたニーシャと、
(さっき泣いている私を心配そうに見ていたのはニーシャだった!)
 
当時赤ちゃんで入って来たメタリだと気が付いた!
 
二人には10年前にもダヤダンで会っていたけど、その時から随分見た目が変わっていて最初はわからなかった。
二人にこの昔の写真を見せると、自分だとわかっているのかわかっていないのか、不思議そうな顔をしていた。
 
 
ソニアには会えなかったけど、何人かでも懐かしい子供たちに会えてよかった。
 

重度の女の子たちはと言うと、
ダヤダンに居た頃は、理学療法士さんが作ってくれたファイルを見ながらマッサージをしたり、
音楽を聴いたりと言う時間もあったけど、
ここではただ木で出来た車いすに座って一つの部屋に集められているだけで、何のアクティビティーもなかった。
 
 
しばらくするとランチの時間になり、「この子にあげて。」と言われて向かいに座った。
脳性麻痺の女の子で体も曲がってしまっているけど表情はある子で、話し掛けると少しニコリとした。
 
 
咀嚼も嚥下も難しい子だったから、相手の様子を見て声を掛けながらゆっくりあげる。
ご飯をあげていると、何とも言えない穏やかで優しい気持ちになって、
あ~だからこの時間が大好きだったんだ、と思い出した。
 
 
こちらが一方的にお世話をしているようで、実はこの子たちからたくさんの優しい気持ちと愛情を教えてもらったんだなぁニコニコ
特にソニアには母性を教えてもらい、保育士という職業にも導いてもらった。
 
 
ソニア、ありがとうね。
次は走り回ったり踊ったり勉強したり恋愛したりできる元気な姿で生まれて来てね。
(2000年、ソニアが4歳の頃)
 
ソニアが最後に過ごしていた場所が見られただけでもよかった。
 
 
 
 
帰りもバスに乗って、ニューマーケット近くでマリズと一緒に降りた。
 
 
マリズは、
 
「大丈夫?ああいう寝たきりの子どもたちは、内臓に何も問題がなくてもどうしても体が弱くて、
長生きしないのよね。残念だったわね。」
 
と言って慰めてくれた。
 
 

56歳の彼女は、ここ10年、年間4週間の休暇を全てマザーハウスでのボランティアに費やしているそう。

 

「じゃあいつ休むの?」って聞くと、「歳を取ったらよ。」

 
偉い人が居るんだなぁ~。
お医者さんのボランティアはマザーハウスで本当に役に立つと思う。
 
 
それに、今までマザーハウスで出会った年齢の高いフランス人は殆ど英語が話せなかったけど、
マリズは英語もペラペラでそれにも感心するキラキラ
 
 
私は彼女より若いのに、仕事もせずボランティアもせずボーッと生きているだけ。
ダメだなぁ・・・
 
彼女に今日のお礼を言って、一旦宿へ向かった。
 
続く。
 
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