昨日の続きです。
カーリーガートでのボランティアの仕事は、
洗濯・お風呂介助・排泄介助・シーツ交換・配膳・食事介助・お皿洗い・マッサージ・話し相手などなど。
中の様子。
画像はこちらからお借りしました。
http://www.kolkatabengalinfo.com/2015/05/mother-teresas-nirmal-hriday-kolkata-old-age-home.html
約ニヶ月間の話をギュッとまとめて書きます。
ボランティア二日目、あるおばあさんに日本人ボランティアがマッサージをしてたんだけど、気に入らなかったみたいで、
「代われ!!!」
って言われて、私が引き継いだ。
そのおばあちゃんの名前はルーシー。
体がちっちゃくてガリガリにやせ細っていて、リウマチを患っていた。
私のマッサージは気に入ったらしく、話をしながらマッサージをした。
「英語が話せない日本人が多くて困る。助かるわ、ありがとう。」
ってお礼を言われた。
大人は言葉でコミュニケーションが取れるからいいな、とその時は思ったけど、
ルーシーみたいに英語がペラペラな患者さんは他には誰一人いなかった。
路上から連れて来られるような人たちは当然下層の人々で、ヒンディ語かベンガル語しか話せないのが普通。
貧しくて病院に入ることが出来ないから、この施設に連れて来られるのだ。
ルーシーは色も白いし、どことなく品もあり、元々はある程度裕福な家庭の人だったんじゃないかと思った。
私は当時片言のベンガルすらわからず、当然ヒンディもわからなかったから、
おばあちゃんたちとのコミュニケ―ションにとても苦労した。
ベンガル語で「便器持って来て!」って言われているのに全然理解してあげられなくて、
あれかな?これかな?って色々やってるうちにやっとわかって持って行ったけど、おばあちゃんをカンカンに怒らせてしまった。
言葉が通じないのって、子供の世話をする時以上に大問題だ。
と思っていると、一番端っこのベッドのおばあちゃんがベッドの横に座り込んでう○ちをしてしまった。
それはコロコロコロッと下の段まで落ちて来て、おばあさんは手でお尻を拭いてそのまま寝てしまった。
布を濡らして、そのおばあさんのお尻と手を拭いてあげたけど、あの手でそのままカレーを食べるのだろうか??
(当時は石鹸できれいに手を洗ってあげるなんてことしてなかったと思う。)
一人とても若い骨と皮だけの女性が居て、苦しいのかずっとうめいていて可哀そうだった。彼女は生きられるのかな・・・
スペイン人のボランティア二人が彼女の手を握って励まし続けていた。
その次に行った時も、ルーシーにマッサージをした。
骨を揉んでくれと言われ、痛くないのかなぁと思いながらやった。
ルーシーは体が痒いと、細い木の棒で掻いてくれと言う。
「もっと強く!!もっともっと!!!!」
って乾燥した皮膚がポロポロ取れて来てしまうまで強く掻かされて怖くて嫌だった。
躊躇していると、
「私がもっと強くって言ってるのよ!!」
って怒鳴られてしまった。
体が痒くても自分で掻けないなんてもどかしいんだろうなぁ。
その次に行った時は、
「今日は体が全然痛くなくて、一人で歩いてトイレに行ったのよ。いつもはcarry carry(抱っこして連れて行ってもらってる)なのに」
ってご機嫌だったと思ったのに、
手を洗って拭いて欲しかったのを私がすぐにわかってあげられなくてまた舌打ちされて激怒。あーあ
ルーシーはシーツの掛け方からベッドに入った後のスカートの直し方まですごく細かいこだわりがあって、本当に大変だ。
夕食タイムになり、あるおばあさんにご飯をあげていると、ベンガル語で何やらブツブツ言い始めた。
独り言なのか、何か伝えたいのか全くわからなくて、子供たちにするように
「そう~。うん~。そうだね~。」
って相槌を打っていると、おばあさんはポロポロ泣き出してしまった。
何て言ってたんだろう?
私に何かして欲しくて必死に訴えてたのかな?
わかってあげられなかったから泣いてるの?
わーーーーーキツイ
老人が泣いている姿を見ると胸がギューっと苦しくなる。
私、ここで働いてていいのかな・・・
分かってあげられないのが辛いし、罪悪感を感じてしまう。
男性の方に背中を大火傷した若い男の子が運ばれて来て痛々しかった。
そんな火傷を目の前で見たのは初めてだ。
こんな所で治療が出来るのだろうか。
それとも治すことを諦めたからここに連れて来られたのだろうか。
ボランティアを終えて、仲が良かった日本人の男の子と帰ろうとしていると、男の子が「ビニール手袋をはめて手伝って」
とシスターに言われた。
見ると、男性患者が亡くなっていた。
ほんの少し前まで生きていたのに。
さっきまで動いていた人が動かなくなる。ただただそれが不思議だ。
男性はシスターがお祈りを捧げた後運ばれて行った。
その後もすっかりルーシー専属みたいになってしまい、行く度に呼ばれるようになった。
「サンキューアンティー(施設ではボランティアをこう呼ぶ。)」
って言ってくれたから、
「ルーシーはいつもありがとうって言ってくれるから嬉しいよ。」
と言うと、
「でもね、私は時々ボランティアの人にすごく怒鳴ったりするでしょ?自分の体が動けばいいけど、
何でも頼まなくちゃいけないからそれをボランティアの人が理解してくれない時イライラして怒っちゃうのよ。
この前シスターニルマラマリアが来た時そのことを反省して、どうぞ私の為に神に祈って下さい、許して貰えるように、
ってお願いしたのよ。」
そうなんだ!!
いつもすぐに怒鳴り散らすから、このワガママバ◯◯!!!って思ったこともあったけど、心の中ではそう思ってたんだね。
14年もベッドの上に居て、自分で動けなくてイライラするのは当然だよね。
怒鳴ったと思ったら、体が痛くて痛くてシクシク泣いてることもあるもんね。怒鳴られても我慢しよう。
先日運ばれて来た、骨と皮だけの若い女性は、もうダメだと判断されたのか、
点滴も抜かれてしまって昨日より更に弱ってしまっていた。
もう目の焦点が合わないようになっていてガリガリの腕を私の友達(看護師)の肩に回して、
「う~~~ん。う~~~ん。」
と唸っていた。
何か最後にしてあげられることはないか考えたけど、頭を撫で体をさすることしか出来なかった。
数日後、シスターにバナナをほんの少しだけ食べさせてもらっていたのを見た僅か10分後に行くと、
彼女は息を引き取って居た。静かな最期だった。
同じ日に運ばれたばかりの中年の女性もほぼ同時に亡くなった。
大火傷で運ばれて来た若い男の子はボランティアを手伝ったりしてくれるほど回復して、ピンピンしていた
中にはこうやって元気になる人も居るのは嬉しい。
私は午前中の子供の施設で疲れてしまった時は、午後のカーリーガートはサボってたから間が空くことが多かったんだけど、
ルーシーは私が行く度に笑顔で
「アンティーが来るのを待ってたの」
って言ってくれた。
時には、ルーシーが隣の患者さんの言っていることを英語に訳して助けてくれたりしたけど、
やっぱり殆どの患者さんたちとコミュニケ―ションが取れないことが苦痛だった。
お手伝いをしに行っているはずなのに言葉が通じないせいで怒らせたり、泣かせたりしてしまって、
全然役に立っていない気がして、私は洗濯や食器洗いなど裏方の仕事をしていることが多かった。
次回は、その裏方仕事について書きます。
(2回で終わるつもりが終わらなかった・・・)
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