2000年私が24歳になる年、インドに入って5ヶ月目のことです。

 

 

腸チフスの検査の二日後、私は再び病院に行き、今度はB型肝炎の検査をしてもらった。

 

 

結果はネガティブ。ホッ照れ

もし肝炎だったら帰国を考えないといけないところだったから、

 

 

こんなにも世の中が爽やかに見えたのは久し振り!と言うくらい晴れ晴れとした気持ちで山道を上って帰った。

 

 

でもまだ熱は下がらない。

 

 

マラリアでも、腸チフスでも、肝炎でもない。じゃあ一体何??

 

 

みんなは「高山病じゃないの?」ってふざけて言ってるけど、高々2000mで高山病になる人なんて居るの?うーん

しかも発熱以外症状ないし。

 

 

私がマクロードガンジで毎日一日中ベッドで過ごしていたのかと言うとそうでもなくて、

 

 

一日の中でも熱は上がったり下がったりしてたから、

下がっている時はアキラさん、カズくん、ドラと一緒に出掛けたりご飯を食べに行ったりしていた。

 

 

チベタン亡命者が多いマクロードガンジには、チベット料理やインド料理の他にイタリアンや日本料理、

韓国料理や美味しいケーキまで、バックパッカー価格で楽しめるレストランが沢山ある。

 

 

インド人はインド料理以外を作らせるとセンスがなくて、全くのオリジナル料理にしてしまう傾向があるけど、

 

 

チベタンたちはその辺センスがとてもよくて、とっても美味しいご飯が食べられる。

勿論チベット料理もとっても美味しい。

 

 

もちろんインドでも都会の高いお店に行けば、いくらでも本物に近い美味しい海外の料理が楽しめると思うけど、

 

 

バックパッカー価格でカレー以外の美味しいものが食べられると言う意味では、マクロードガンジが一番じゃないかと思う。

 

 

強いインドの解熱剤でやられてしまった私の胃は、

胃を保護する液体タイプの胃薬を飲み始めたら回復してきて、ご飯もモリモリ食べられるようになった。

 

 

普通病人には

 

「頑張ってちょっと食べた方がいいよ。」

 

って励ますものだけど、

 

 

私はいつもアキラさんとカズくんに

 

「おソノさん食い過ぎだよ。」

 

って言われるくらい食べていた(笑)

 

 

病気だと言うのにとにかくお腹が空く。

 

 

毎日のようにみんなで通っていたヤクレストラン。(2003年に行ったら別の店に変わってたぐすん

 
モモとかスープモモとか、チョーメン(焼きそばみたいなの)とか、トゥクパとかほんとに何でも美味しかった!!
 
ちっちゃなサンライズカフェにも毎日のように通った。(2007年に行ったら取り壊されてたぐすん
 
中はこんな感じ。
ずっと前の旅人達の写真がいっぱい貼ってあって、時代を感じさせる。
 
ただドラとアキラさんとカズくんと小さなマクロードガンジで、
毎日毎日同じ道をブラブラ歩いているだけで、楽しくて仕方がなかった。
3人が大好き過ぎて。一緒に居るのが心地良すぎて。
 
でも調子に乗って遊びすぎるとすぐに又熱が上がってしまって、1人で先に帰って来ることもしばしば。
 
 
そしてドミでグッタリチーン
ベッド脇のお酒は私のじゃないよ!
 
いつも発熱中寝転がりながら眺めていたのは、ベッドの横にあるポタラ宮の絵。
いつかチベットにも行きたいなぁ〜なんて思いながら。
 
うっかり親に熱の事をメールしたら、当然めちゃくちゃ心配して、
 
 
「アイム、ソノコズ ママ、ママ。」
 
 
と、英語の話せない母が頑張って宿に電話を掛けて来た。
 
 
父は、
「6月に帰って来るって言ってただろ?」
(その時既に6月。ほんとは4ヶ月で帰るって言って出て来たの。一年近く帰らなかったけど。)
 
 
ってちょっと怒ってた。
 
 
でも私は、
 
「やだ!!まだ帰らない!!!大丈夫だから。」
 
と言って適当に電話を切った。
 
 
まだまだやりたいことが沢山あるんだもん!!
 
 
カルカッタのボランティアだってまだ一ヶ月しかしてないし、子供たちにまた帰って来るって約束したもん!!
 
 
みんなにも「一旦帰国した方がいいって。」って言われたけど、私が、やだ!帰りたくない、帰りたくないって言ってたら、
 
 
仲良くしてた宿のチベタンのクンちゃんが、ドミで二人で話していた時に、
 
 
「僕は帰りたくても国に帰れないんだ。」
 
 
って呟いた。
 
 
ハッ。そうだった。
クンちゃんは帰りたくても帰れないんだ。
 
 
「いつ亡命してきたの?家族は一緒?」
 
 
って聞くと、
 
 
「家族はチベット・・・」
 
 
って寂しそうな顔をして、
 
 
家族の中で一人だけヒマラヤを徒歩で越えて亡命してきたこと、
 
 
一年前までは家族に手紙を何度も出していたけど、
一度も返信が来ないからもう出すのを止めてしまったことを話してくれた。
 
 
多分インドからの手紙は中国政府が破棄して届けないようにしているんだと思うと言っていた。
 

そうだ、私は恵まれているんだった。
日本でも何にも脅かされずに暮らすことが出来て、何でも出来る自由があって、
 
 
インドに居たって大好きな両親といつでも連絡が取れるし、帰りたくないのもただまだ遊んでたいってだけだもん。
 
 
「帰りたくない」なんて、クンちゃんの前で言ってしまったことを後悔した。
 
 
クンちゃんの話を聞いて、ここに来るまで知らなかったチベット問題についてもっと知りたいと思った。
 
 
でも、やっぱり帰りたくない。
何とか回復してまだまだインドに居たい。
 
 
大好きなクンちゃん。
その後台湾人と結婚して、安全に幸せに暮らているはずチューリップピンク

 
続く。
 
 
昨日は沢山の方に票を入れて頂きました爆笑
嬉し〜アップアップ有難うございます!!

 
今日も一票、宜しくお願いします!
おじぃをタッチしてねドキドキ

にほんブログ村 にほんブログ村へ

いつもありがとうございます!!
にほんブログ村